大島正太郎
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大島 正太郎(おおしま しょうたろう、1943年9月20日 - )は、日本の外交官。東京大学客員教授。内閣官房内閣審議官およびTPP関係国との協議担当政府代表[1]、世界貿易機関(WTO)上級委員。東京都出身。大島寛一の子。
経歴
[編集]- 1959年 成城学園中学校卒業
- 1962年 成城学園高等学校卒業
- 1964年 カールトン大学留学(-1965年)
- 1968年 東京大学法学部卒業、外務省入省
- 1969年 アマースト大学留学(-1970年)
- 1970年 プリンストン大学ウッドロウ・ウィルソン公共・国際問題大学院留学(-1971年)
- 1997-2000年 外務省経済局長
- 2000-2001年 在サウジアラビア特命全権大使
- 2001-2002年 外務審議官(経済担当)
- 2002-2005年 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使(世界貿易機関(WTO)一般理事会議長、紛争解決機関(DSB)議長に就任)
- 2005-2007年 在大韓民国特命全権大使
- 2007-2008年 国際貿易・経済担当兼査察担当特命全権大使
- 2008年 退官。東京大学公共政策大学院客員教授[2]、西村高等法務研究所客員上席研究員。世界貿易機関(WTO)上級委員(2012年5月まで[3])。
- 2009年 政策研究大学院大学客員教授[4]
- 2012年5月- 内閣官房内閣審議官、TPP関係国との協議担当政府代表(2013年3月まで[5])。
- 2013年5月 一般社団法人霞関会理事長
- 2013年6月 株式会社国際経済研究所代表取締役理事長[6]
- 2013年9月 法務省法曹有資格者の活動領域の拡大に関する有識者懇談会座長[7]
- 2021年4月 瑞宝重光章受章[8]。
入省同期
[編集]- 赤澤正人(元嘉悦大学長・神田外語大学長)
- 岡本行夫(元内閣官房参与・内閣総理大臣補佐官)
- 小川郷太郎(エイ・エフ・エス日本協会理事長・元イラク復興支援大使)
- 鏡武(中東調査会副理事長・元駐シリア大使)
- 小林秀明(元迎賓館長・東宮侍従長)
- 東郷和彦(元外務省欧亜局長・条約局長)
- 服部則夫(元OECD大使・外務報道官)
- 槙田邦彦(元駐シンガポール大使・外務省アジア大洋州局長)
- 馬渕睦夫(元防衛大学校教授・駐ウクライナ大使)
- 美根慶樹(元日朝国交正常化交渉日本政府代表・防衛庁参事官)
家族
[編集]- 祖父・大島堅造 ‐ 住友銀行重役
- 父・大島寛一 - 大蔵官僚、日本銀行理事。農林中央金庫副総裁、新日本製鉄監査役[9]
- 母・朗子 - 子爵阪谷希一の娘。植村泰忠の妻・春子は姉[9]。
- 姉・大島加寿子(1942-2007)[9] - 米国で活躍したジュエリーデザイナー[10]。1968年にニューヨーク大学演劇科に留学して以来当地で暮らし、食道癌により亡くなった[11]。
脚注
[編集]- ^ “環太平洋パートナーシップ協定政府代表の任命について”. 内閣官房長官記者会見. 首相官邸 (2012年5月18日). 2012-9-15閲覧。、
- ^ GraSPP 教員紹介 大島 正太郎”. 東京大学公共政策大学院 (2010年). 2011年5月22日閲覧。 “
- ^ https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1001H_Q2A510C1EE2000/
- ^ 「大島正太郎 | GRIPS Faculty Directory」政策研究大学院大学
- ^ https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2200Q_S3A320C1EB1000/
- ^ 「会社概要」株式会社国際経済研究所
- ^ 「法曹有資格者の活動領域の拡大に関する有識者懇談会の設置について」法務省
- ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
- ^ a b c 『閨閥 日本のニューエスタブリッシュメント』佐藤朝奏、p80
- ^ Kazuko Oshima, Designer of Stone Jewelry, Dies at 65The New York Times, Oct. 4, 2007
- ^ Sayonara, Sweet Kazuko: Jewelry Designer, Loveable KookObserver, 10/02/07
外部リンク
[編集]- GraSPP 教員紹介 大島 正太郎(東京大学公共政策大学院ホームページ内、平成16年までの経歴掲載)
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公職 | ||
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先代 野上義二 |
外務省経済局長 1997年 - 2000年 |
次代 田中均 |