大井行真
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 文明16年(1484年) |
死没 | 天文8年5月10日(1539年5月27日) |
別名 | 縫殿助、弾正少弼、次郎右衛門尉 |
戒名 | 徳鄰院高山全仰 |
墓所 | 桃源院 |
氏族 | 小笠原氏流大井氏 |
父母 | 父:大井行満、母:板垣氏の娘 |
兄弟 | 女子(屋澤氏室)、行真、行次、松岩(桃源院開祖) |
妻 | 平賀氏の娘 |
子 | 行頼、武石三郎信綱(大井大和守信広養子)、女子(耳取城主大井民部室)、兼行(川下五郎) |
大井 行真(おおい ゆきまさ)は、戦国時代の武将、信濃国佐久郡、岩尾大井氏、三代岩尾城主。大井行満の嫡子。
生涯
[編集]文明16年(1484年)、岩尾城に生まれる。明応7年(1498年)、15歳で元服。天文3年(1534年)、紀州高野山に参詣して落髪し高山と号し、牌を高野山蓮華定院に建てた。天文6年(1537年)、岩尾村寺中に弟の僧松岩長伊を開山として高井山桃源院[1]を建立し、延命地蔵尊[2]を奉安した。この年、祖父行俊の三十三回忌、父行満の十三回忌を行った。天文8年(1539年)、岩尾城に卒す。56歳。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大井敏夫、1996、『岩尾家譜(現代語訳)』1996年
- 『佐久市志 歴史編(二)中世』1993年