堤維長
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 1793年2月21日(寛政5年1月11日) |
死没 | 1859年9月6日(安政6年8月10日) |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇 |
氏族 | 堤家 |
父母 |
父:堤広長 母:菊(松平頼裕の娘) |
兄弟 | 堤言長、道子(津守国福室)[1] |
妻 | 清閑寺貞子(清閑寺昶定の娘) |
子 | 堤哲長 |
堤 維長(つつみ これなが、1793年2月21日(寛政5年1月11日) - 1859年9月6日(安政6年8月10日))は、江戸時代の公家。非参議。堤家10代目当主。
生涯
[編集]権中納言・堤広長の子として生まれる。母は松平頼裕の娘の菊。1830年1月15日(文政12年12月21日)に叙爵を受けて従三位となり、後に正三位、非参議となる[2][3]。