吉田 孝雄(よしだ たかお、1901年5月12日 - 1979年1月24日)は、日本の経営者。東京都出身[1]。
1924年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業し、同年に中島飛行機に入社[1][2]。設計主任として、多くの海軍機の設計に携わり、1955年に岩崎通信機社長を経て、1956年から1963年までに富士重工業社長を務めた[2]。
1962年5月に藍綬褒章を受章し、1971年4月に勲二等瑞宝章を受章[1]。
1979年1月24日肺癌のために死去[2]。77歳没。