千種有能
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和元年(1615年) |
死没 | 貞享4年3月1日(1687年4月12日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 後西天皇→霊元天皇→東山天皇 |
氏族 | 岩倉家→千種家 |
父母 | 父:岩倉具堯、母:園基継の娘 |
兄弟 | 具起、有清、一糸文守、有能、坊城俊完室 |
妻 |
正室:久我通前の娘 継室:長姫(真田信吉の娘) |
子 | 有維、雅永 |
千種 有能(ちくさ ありよし)は、江戸時代前期の公卿。木工頭・岩倉具堯の四男。官位は正二位・権大納言。千種家(村上源氏の久我家の分流)を復興させた人物。
経歴
[編集]京都に生まれる。久我家の古い分家・千種家を偲んで千種を氏とした。元和9年(1623年)に叙爵し、寛永2年(1625年)には元服して侍従に任じられ、以降累進して慶安2年(1649年)には従三位となり公卿に列した。
明暦元年(1655年)、正三位参議。明暦2年(1656年)参議を辞職し、踏歌節会外弁となる。さらに寛文5年(1665年)に権中納言に任じられ、寛文9年(1669年)まで務めた。寛文6年(1666年)に従二位となる。延宝3年(1675年)から天和3年(1683年)にかけては武家伝奏役を務めた。この間の延宝4年(1676年)には権大納言となっているがすぐに辞している。また延宝5年(1677年)には正二位となる。
貞享3年(1686年)に72歳で出家。その翌年に死去した。正室に久我通前の姫を迎えており、その間に千種有維、植松雅永を儲けた。また、上野沼田藩主の真田信吉の娘(長姫)を継室としている。