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勝部村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かちべそん
勝部村
廃止日 1953年7月1日
廃止理由 新設合併
青谷町(初代)、勝部村中郷村日置谷村青谷町
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 26.28 km2
総人口 1,898
[1]、1952年)
隣接自治体 中郷村、日置村
東伯郡三徳村泊村東郷町
勝部村役場
所在地 鳥取県気高郡勝部村大字紙屋字河原町194-1
地図
旧・勝部村役場庁舎位置
座標 北緯35度27分58秒 東経133度58分32秒 / 北緯35.46606度 東経133.97567度 / 35.46606; 133.97567座標: 北緯35度27分58秒 東経133度58分32秒 / 北緯35.46606度 東経133.97567度 / 35.46606; 133.97567
特記事項 村役場および小学校(1981年の移転まで)は弥勒寺隣接地に所在した[2]
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勝部村(かちべそん)は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。

概要

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現在は鳥取市西端の青谷町桑原・青谷町澄水(すんず)・青谷町楠根・青谷町紙屋・青谷町田原谷・青谷町八葉寺(はつしょうじ)に相当する。勝部川上流域に位置した。

勝部の名は、南鮮からの渡来人「勝」(すぐり、朝鮮語で村主・村長の意味)の居住した地「勝部」(すぐりべ)に由来すると考えられる。平安時代からは気多郡勝部郷と称した[1][2]

藩政時代には鳥取藩領の気多郡勝部奥郷(かちべおくのごう)に属する八葉寺村・田原谷村・紙屋村・楠根村・澄水村・桑原村があった[1]

沿革

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  • 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
  • 1883年(明治16年)3月 - 鳴瀧村(後の中郷村大字鳴瀧)に置かれた気多郡第七連合戸長役場の管轄区域となる[1]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、八葉寺村・田原谷村・紙屋村・楠根村・澄水村・桑原村が合併して村制施行し、気多郡勝部村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を紙屋村に設置[1][3]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡勝部村となる。
  • 1915年(大正4年)1月1日 - 「勝部村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「勝部村大字◯◯」と改称[4]
  • 1933年(昭和8年)1月1日 - 役場位置を大字紙屋字河原町194番ノ1に変更[5]
  • 1953年(昭和28年)7月1日 - 青谷町(初代)・中郷村・日置谷村と合併し、改めて青谷町(2代)が発足。同日勝部村廃止[6]

行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 出身 備考
尾崎重平 1889年(明治22年)11月 1892年(明治25年)3月 澄水
2 長田吉三郎 1892年(明治25年)5月 1893年(明治26年)2月 紙屋
3 長谷川律次郎 1893年(明治26年)3月 1894年(明治27年)4月 澄水
4 尾崎重平 1894年(明治27年)7月 1897年(明治30年)5月 澄水
5 植田国吉 1897年(明治30年)5月 1898年(明治31年)9月 八葉寺
6 長谷川駒蔵 1898年(明治31年)9月 1899年(明治32年)10月 澄水
7 長谷川律次郎 1899年(明治32年)10月 1899年(明治32年)11月 澄水
8 長谷川栄松 1899年(明治32年)11月 1900年(明治33年)3月 澄水
9 山根芳五郎 1900年(明治33年)4月 1901年(明治34年)3月 楠根
10 稲脇仲蔵 1901年(明治34年)4月 1901年(明治34年)4月 八葉寺
11 長谷川駒蔵 1901年(明治34年)5月 1902年(明治35年)9月 澄水
12 植田国吉 1902年(明治35年)10月 1903年(明治36年)6月 八葉寺
13 尾崎重平 1903年(明治36年)6月 1905年(明治38年)12月 澄水
14 植田国吉 1905年(明治38年)12月 1913年(大正2年)1月 八葉寺
15 清水増治郎 1913年(大正2年)2月 1915年(大正4年)4月 桑原
16 植田国吉 1915年(大正4年)4月 1916年(大正5年)8月 八葉寺
17 尾崎重平 1917年(大正6年)2月 1918年(大正7年)2月 澄水
18 長谷川駒蔵 1918年(大正7年)5月 1920年(大正9年)1月 澄水
19 勝川豊吉 1921年(大正10年)3月 1933年(昭和8年)3月 紙屋
20 尾崎孝順 1933年(昭和8年)6月 1935年(昭和10年)3月 澄水
21 中林雄平 1935年(昭和10年)4月 1945年(昭和20年)6月 桑原
22 伊藤勝市 1945年(昭和20年)7月 1946年(昭和21年)11月 八葉寺
23 池田正由 1947年(昭和22年)4月 1947年(昭和22年)12月 八葉寺
24 尾崎晴二 1948年(昭和23年)1月 1953年(昭和28年)6月30日 桑原
参考文献 - [1][2]

教育

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  • 勝部村立勝部小学校(後の鳥取市立勝部小学校、2007年閉校)
  • 中郷村外三か村学校組合立山西中学校(1947年4月 - 1948年3月):中郷村大字亀尻257番地に中郷村・勝部村・日置村・日置谷村の組合立として創設。しかし4ヶ村の組合立が地域的に困難であることから2ブロックに分かれることになり、1年で閉校した[1]
  • 中郷村勝部村学校組合立山西第一中学校(1948年4月以降):中郷村大字亀尻257番地に所在。合併後は青谷町立となる。1958年(昭和33年)9月30日統合により新・青谷中学校となり閉校、同第一校舎となる[1]

脚注

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関連項目

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