加賀の井酒造
表示
加賀の井酒造本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒941-0061 新潟県糸魚川市大町2-3-5 北緯37度2分43.1秒 東経137度51分32.7秒 / 北緯37.045306度 東経137.859083度座標: 北緯37度2分43.1秒 東経137度51分32.7秒 / 北緯37.045306度 東経137.859083度 |
設立 | 1953年 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 9110001021851 |
事業内容 | 清酒などのアルコール飲料製造販売 |
代表者 | 代表取締役 山岸逸人 |
資本金 | 6500万円 |
純利益 |
▲178万7000円 (2023年3月期)[1] |
総資産 |
3億1671万2000円 (2023年3月期)[1] |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 | 株式会社伝統蔵 100% |
外部リンク | https://kaganoi.co.jp/ |
加賀の井酒造株式会社(かがのいしゅぞう)は、新潟県糸魚川市にある日本酒製造及び、販売を行う1650年創業の酒蔵[2]である。酒蔵などは2016年12月の糸魚川市大規模火災(糸魚川大火)で焼失したが、被災前と同じ敷地内で2018年3月に再建された[3][4]。
歴史
[編集]- 1650年(慶安3年) - 小林家二代目の九郎左ェ門が古賀坂家から酒屋を譲り受け、酒造りを始める。
- 1652年(承応元年) - 小林家敷地内に加賀藩糸魚川本陣が置かれる。献上された酒を加賀藩主前田利常がいたく気にいり、加賀国でないのに加賀の字の使用を許し、酒銘を「加賀の井」とした。小林家は本陣の役と糸魚川の町年寄を兼ねて、幕末まで受け継いだ。酒造りは現存する敷地内の蔵(現在は出荷蔵として使用)で行われていた。
- 1782年(天明2年)以降、加賀藩とその支藩(大聖寺藩、富山藩)の宿泊記録とともに、酒が度々献上され、藩主や家老の献立にも用いられたことが記録に残っている。明治以降も前田家に献上されていた。
- 1953年(昭和28年) - 株式会社となる。
- 2006年(平成18年)
- 5月 - 事業休止状態となる。
- 12月 - ジャパン・フード&リカー・アライアンス(以下、JFLA)の支援を受ける。
- 2007年(平成19年)
- 7月 - JFLAの完全子会社の新・加賀の井酒造として発足。
- 10月 - JFLAより分離独立した中間持株会社、株式会社伝統蔵の完全子会社となる。
- 2011年(平成23年) 4月 - 株式会社伝統蔵が盛田株式会社に吸収合併され、加賀の井酒造はその子会社となる。
- 2016年(平成28年)12月22日 - 糸魚川大火により酒蔵を含め社屋が全焼した[5]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 2023年(令和5年) 1月 - 盛田が、加賀の井酒造をはじめとする酒造会社10社の株式を株式会社伝統蔵に譲渡[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 加賀の井酒造株式会社 決算公告
- ^ “越後で酒銘「加賀の井」である由縁”. 加賀の井酒造. 2019年2月26日閲覧。
- ^ “加賀の井酒造が工場再建へ 冬にも被災地で酒造り再開へ”. 新潟日報ニュース. (2017年6月10日)
- ^ a b c d 『北日本新聞』2018年3月14日付朝刊「酒蔵再建 月内仕込み 糸魚川大火被災の老舗」より。
- ^ “新潟県糸魚川市の火災に関するお知らせ(加賀の井酒造)”. 盛田株式会社 (2016年12月22日). 2016年12月22日閲覧。
- ^ “新潟)被災した加賀の井酒造、銀盤酒造で酒仕込み再開へ”. 『朝日新聞』. (2017年1月23日) 2017年1月24日閲覧。
- ^ “大火に負けぬ復興酒/糸魚川・老舗 隣県で仕込み出荷”. 『毎日新聞』朝刊. (2017年5月2日)
- ^ “JFLAホールディングス<3069>、傘下の盛田を通じて保有する「加賀の井」など酒造会社10社を譲渡”. 株式会社ストライク. 2024年1月4日閲覧。