前田利精
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦8年11月15日(1758年12月15日) |
死没 | 寛政3年9月15日(1791年10月12日) |
改名 | 勇之助(幼名)、利精 |
墓所 | 石川県加賀市の実性院 |
官位 | 従五位下、備後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 加賀大聖寺藩主 |
氏族 | 前田氏 |
父母 | 父:前田利道、母:加藤氏(円成院) |
兄弟 | 利貞、利精、利物、元三郎、利寧、利以、利行、利幹 |
妻 |
正室:なし 側室:西島氏(敬大院)、恵遊院、長泉院 |
子 |
利考、利純、利信、利竜、秀、千(松平直寛室)、 養子:利物 |
前田 利精(まえだ としあき)は、加賀大聖寺藩の第6代藩主。
生涯
[編集]宝暦8年(1758年)11月15日、第5代藩主・前田利道の次男として大聖寺で生まれる。宝暦9年(1759年)に長兄・利貞が早世したため世子となり、安永7年1778年5月25日に父の隠居により家督を継ぐ。しかし安永10年(1781年)、父が死去すると、遊廓に頻繁に通って女狂いとなり、無頼と交じって好き放題にふるまうなど、無法を繰り返すようになる。これら一連の行動に関して、家臣団は無論、本家の藩主・前田治脩も諫言したが、利精は聞く耳を持たなかった。
このため天明2年(1782年)8月21日、治脩は利精を「心疾」として監禁し、家督は利精の弟である利物に継がせた。寛政3年(1791年)9月15日に大聖寺で死去した。享年34。
系譜
[編集]父母
- 前田利道(父)
- 円成院 ー 加藤氏、側室(母)
側室
- 敬大院 ー 西島氏
- 恵遊院
- 長泉院
子女
- 前田利考(長男)生母は敬大院(側室)
- 前田利純(次男)生母は長泉院(側室)
- 前田利信(三男)生母は長泉院(側室)
- 前田利竜(四男)生母は敬大院(側室)
- 秀、生母は敬大院(側室)
- 千 ー 松平直寛室、生母は恵遊院(側室)
養子
- 前田利物 ー 実弟