コンテンツにスキップ

函館山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
函館山
青函連絡船記念館摩周丸から見た函館山(2024年5月撮影)
標高 334 m
所在地 日本の旗 日本 北海道函館市
位置 北緯41度45分33秒 東経140度42分16秒 / 北緯41.75917度 東経140.70444度 / 41.75917; 140.70444 (函館山)座標: 北緯41度45分33秒 東経140度42分16秒 / 北緯41.75917度 東経140.70444度 / 41.75917; 140.70444 (函館山)
種類 成層火山[1]
函館山の位置(北海道南部内)
函館山
函館山
函館山 (北海道南部)
函館山の位置(北海道内)
函館山
函館山
函館山 (北海道)
函館山の位置(日本内)
函館山
函館山
函館山 (日本)
プロジェクト 山
テンプレートを表示

函館山(はこだてやま)は、北海道函館市の市街地西端にあるであり陸繋島でもある。陸繋島として表す場合でも「函館島」「函館山島」といった表現をすることは稀である。 牛が寝そべるような外観から臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれる[2]

地理

[編集]

標高333.8m、周囲約9.5km。南西部には溶岩台地が広がり、裾は断崖となって海に迫る一方、北東部はやや緩斜面で、浸食の進んだ幾つかの深い谷に刻まれながらも豊かな森林に恵まれている[3]

地質

[編集]

約100万年前の海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現。海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して砂州ができ、約5000年前に渡島半島と陸続きの陸繋島になった。 函館市の中心街はこの砂州の上にある。函館市街の地下に分布する軽石層が既知の第四紀火山噴出物と対比できないことから、函館山を給源とする可能性が指摘されている[4]

  • 寒川火山噴出物層 - 函館山における最も古い地質。中新世末期の海底火山噴出に伴う火山灰や火山岩礫が水中で堆積して出来たものと推定されている[5]
  • 立待岬溶岩 - 立待岬付近に分布し、褐色がかった灰色の硬質安山岩[6]
  • 千畳敷集塊岩層[6] - 南部海岸で懸崖を成し、安山岩あるいは石英安山岩の角礫と、その間を埋める黄褐色の凝灰岩より成り立っている[7]
  • 高龍寺山溶岩[6] - 高龍寺山付近と寒川東方にわずかに分布する。青灰色を呈する硬質の石英安山岩[7]
  • 千畳敷溶岩[6] - 南部の千畳敷と呼ばれる平坦台地を造る溶岩[7]
  • 御殿山溶岩[6] - 最高峰御殿山を中心に分布している。御殿山溶岩と千畳敷溶岩は一つづきのものである可能性も考えられている[7]

構成する峰

[編集]

函館山とは、展望台のある御殿山 (334m)をはじめとして、薬師山 (252m)・つつじ山 (306m)・汐見山 (206m)・八幡山 (295m)・水元山 (280m)・鞍掛山 (113m)・地蔵山 (286m)・入江山 (291m)・エゾダテ山 (129m)・観音山 (265m)・牛の背山 (288m)・千畳敷 (250m)といった13の山々の総称である[8]

  • 御殿山 - 函館山の最高点。1960年万延元年)の江戸幕府測量図では薬師山となっている。三角点高度は333.8mであるがそれより若干高い。古絵図や古い写真によるともっと尖っていたが、津軽要塞(函館要塞)時代に削られ、第二次大戦後に函館山テレビ・FM放送所の置局によりさらに変形され今に至る。地質は御殿山溶岩[9]
  • 薬師山 - 御殿山の峰つづきの東の方にあり、薬師堂があり箱館市中で眼病を患う者がここにこもったとされる[10]
  • つつじ山 - ボランティアが17年間かけて函館市の花のエゾヤマツツジを1万本を植えたことから[11]
  • 高龍寺山 - 1960年万延元年)の江戸幕府測量図や1883年(明治16年)の函館港実測図によると愛宕山(あたごやま)。御殿山溶岩より幾分古い高龍寺溶岩で形成される。深い谷に刻まれ険しい[9]

火口

[編集]
  • 谷地頭 - 形が爆裂火口に似ており、ボーリング調査資料によると地下構造がすり鉢状になっている。比較的新しい時代に生じたとされている[9]

温泉

[編集]

自然

[編集]

中世以降、和人流入による人口増加により函館山の樹木が伐採された。七重村(現・七飯町)の農家倉山卯之助がを苗から育て文化年間(1804年-1817年)に約1万本移植した。なお、移植されなかった杉は七飯町の三嶋神社境内に残されている[13]

津軽要塞(函館要塞)の影響により約半世紀にわたって一般人の立ち入りが禁止されてきたために函館山の自然が守られ、今では絶滅寸前といわれているエゾヒキガエルなども函館山に生息している。なお、現在ではエゾヒキガエルという種は存在しないとされ、ニホンヒキガエルの亜種アズマヒキガエルの人為移入とされている。そのため法的な保護は受けておらず、逆にヒキガエルやネコなどの人為移入種による在来種の捕食が懸念されている。

この自然環境を保護するため、函館山の樹木や草花を採ることは市条例[14]によって禁止されている[15]

歴史

[編集]
千畳敷要塞跡

要塞地帯法明治32年法律第105号)により、函館山では1898年から要塞建設が始まり、1905年までに山全体に砲台や発電所、観測所など17の施設が建設された(津軽要塞)。この時に山の頂上を削ったため、標高が348mから約334mと低くなった。また、函館山が要塞地帯になったことで、山全体が軍事機密となり、地形図から函館山が消えた。函館山の測量はもちろん、一般人の入山や函館山の写真を撮影すること、スケッチをとること、函館山に関する出版や話題も厳しく制限された。当時、函館山周辺での写真は函館山が判別できないよう検閲され出版されていたため、「要塞司令部許可済」といった文言が必ず添えられていた。

1945年第二次世界大戦終結で要塞としての存在意義を失った函館山一帯の国有地は、所管する大蔵省(現在の財務省)から函館市へ無償で貸し付けられた。津軽要塞はアメリカ軍によって解体され、翌1946年10月に大蔵省から一時使用の許可を受けた函館市は12月に函館山管理事務所を設置、函館山は一般市民に再び開放された。1948年に函館市はこの一帯326.6ha都市計画法に基づく都市計画緑地「函館山緑地」とした。戦後は夜景の名所として全国的に有名になる。

現在、御殿山第一砲台跡はロープウェイ施設や駐車場、展望台、送信所の下に現存しているものの、崩落の危険などがあり立ち入りが禁止されているが、残りの施設跡は一部見学できる。

2001年(平成13年)、「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。最近は中国からの観光客が多いとされるが[要出典]、函館市の資料「令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計」によると、函館山自体の登山客のデータは記載されていないが、函館市を訪れる訪日観光客(インバウンド観光客)は記載があり、日本人が中国と呼ぶ大陸側の「中華人民共和国」ではなく、諸島側の台湾と呼ぶ「中華民国」が1位であり、訪日観光客全体の42.9%と半数弱を占めている。なお、中華人民共和国は26.3%で2位である[16]

利用

[編集]

日中散策

[編集]

市によると下記の日中用徒歩散策ルートが整備されている[17]

  • 旧登山道コース
  • つつじ山コース
  • 千畳敷コース
  • 地蔵山コース
  • 汐見山コース
  • 入江山コース
  • 観音コース
  • 薬師山コース
  • 七曲りコース
  • 宮の森コース
  • エゾタテ山コース

観光

[編集]
函館山から望む函館市街地
山頂から夜の函館を望む
大森浜から見た函館山全景。左端が立待岬。右方のアンテナ群のある最高峰が御殿山である

御殿山の山頂に展望台が設置され、山麓からは函館山ロープウェイや一般道(北海道道675号立待岬函館停車場線。函館山観光道路とも。季節運行バス[18]あり)や登山道を通じてアクセスすることができる。ただし、道道675号の函館山にかかる区間は、二輪車は終日、一般車(マイカー)は4月25日~10月15日の17:00~22:00の間、通行できない[19]。さらに、10月16日から約3週間[20]程の期間は、函館山ロープウェイ法定整備点検にともなう営業運転中止による交通渋滞緩和のためと日没時間を考慮して規制時間帯を1時間前倒しで実施し、16:00~21:00の間、通行できない[21][22]。また、冬期は全面通行止[注釈 1]となる。

  • 昼間晴れた日には眼下の函館市街はもとより、津軽海峡を挟んで遠く下北半島をも望むことが可能である。
  • 都市の両側に海(函館湾と津軽海峡)があり、ほぼ中央に夜景が映し出されるバランスのとれた地形であり、一望できる位置に程よい高さの眺望地点が存在する。低層建築物が多いことから街路照明が夜景の大きな構成要素となっている。眺望地点は表夜景と裏夜景の二か所あるが、当地は表夜景にあたる[23]
  • 5月から7月にかけてがかかりやすく、きれいな夜景が見られない日がある[24]

映画

[編集]

放送

[編集]

NHK民放各局のテレビ、FMラジオの送信所が山頂展望台に近接して建っているが、アナログUHF局(北海道テレビ放送北海道文化放送テレビ北海道)および地上デジタル放送全局では青森県側に電波が飛ばないようにするため、送信アンテナに指向性がかけられている。

通信

[編集]

レーダー施設

[編集]

旧・函館海洋気象台函館山気象レーダー観測所 - 現・函館地方気象台の気象レーダー。1962年(昭和37年)7月開設、1992年(平成4年)10月横津岳山頂付近に移転[27]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 但し、2016年12月11日夕方に函館山ロープウェイで発生した作業死亡事故の影響で、山頂に取り残された観光客を下山させる為、緊急措置としてタクシーのみ通行できる措置を採った。ロープウエー事故 男性従業員は死亡 - 毎日新聞デジタル・2016年12月11日23時31分配信(12月12日20時34最終更新)

出典

[編集]
  1. ^ 日本の火山の位置(函館山火山)
  2. ^ 函館山”. 函館市公式観光情報サイト「はこぶら」. 函館市. 2019年7月16日閲覧。
  3. ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.66-69
  4. ^ 高橋良・伊藤久敏 (2020). “岩石学的特徴とU-Pb年代に基づく函館市街地下の軽石堆積物の給源の検討”. 火山 65: 69. 
  5. ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.48-49
  6. ^ a b c d e 函館市史 通説編第1巻 pp.55-56
  7. ^ a b c d 函館市史 通説編第1巻 p.56
  8. ^ "座学DE「函館山の歴史をめぐる」" まちづくりセンター活動日記 函館地域まちづくりセンター 2009年08月27日14:57更新 2024年9月21日閲覧
  9. ^ a b c 函館市史 通説編第1巻 pp.13-18
  10. ^ 函館市史 通説編第1巻 pp.523-527
  11. ^ "まちづくりセンター活動日記『ツツジが見頃』" 函館市地域交流まちづくりセンター 2009年5月29日18:47更新 2024年9月21日閲覧
  12. ^ "函館市温泉資源保護指針のあらまし" 函館市 2024年9月22日閲覧
  13. ^ "ピチャリ第3号" 七飯町歴史館 2008年 p.1
  14. ^ 函館市都市公園条例[リンク切れ] 昭和33年3月15日条例第5号、函館市
  15. ^ 函館山の自然を守りましょう! Archived 2007年11月21日, at the Wayback Machine. 函館市住宅都市施設公社
  16. ^ "令和元年度(2019年)来函観光入込客数推計" 函館市 2020年 p.4
  17. ^ "函館山散策コース案内図" 函館市 2019年
  18. ^ 函館山登山バス - 函館バス 2017年7月5日閲覧 (PDF)
  19. ^ 函館山ロープウェイアクセスマップ Archived 2015年4月19日, at the Wayback Machine.
  20. ^ 但し、2015年は10月13日から11月12日までの1ヶ月間。
  21. ^ 夜間の観光バス登山方法(2014年度) Archived 2015年9月23日, at the Wayback Machine. - 函館市ホームページ
  22. ^ 整備点検によるロープウェイ運休のご案内 Archived 2015年11月17日, at the Wayback Machine. - 函館山ロープウェイホームページ
  23. ^ 函館市夜景診断調査報告書 pp.66-70
  24. ^ 函館市夜景診断調査報告書 p.15
  25. ^ "函館山無線中継局の紹介" 国土交通省北海道開発局函館開発建設部 2023年12月27日10:00投稿 2024年9月22日閲覧
  26. ^ 函館市地域防災無線 函館市 2010年
  27. ^ "気象レーダー観測" 函館地方気象台 2024年9月22日閲覧

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]