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八雲御抄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
順徳院 - 江戸時代の百人一首

八雲御抄(やくもみしょう)は、順徳天皇が著した歌論書である。著者による序文に「夫和歌者起自八雲出雲之古風(中略)名曰八雲抄」とあり、書名「八雲抄」の由来が分かる[1]。親撰であることから、これに「御」が付けられて流布した。

概要

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承久の乱以前から書き始められ一度まとめられた(草稿本)が、乱後に配流先の佐渡で書き続けられ、都の藤原定家に送付された(精撰本または再撰本)[1]。本書は、先行する歌論書・歌学書[注釈 1]をとりまとめ、独自の体系に編成した大著で、次の6部からなる[1][2]

  • 第一正義:序文と六義、歌体、歌病等
  • 第二作法:歌合、歌會、書様等
  • 第三枝葉:天象、時節、地儀等17部の解説
  • 第四言語:世俗語、由緒語、料簡語
  • 第五名所:山、嶺、嵩等の名所と出典[注釈 2]
  • 第六用意:詠作の心得や歌人論等

散逸した歌書で、本書に挙げられているために存在や概要が知れるものもある[注釈 3]。歌論的には、古風を尊ぶ[注釈 4]と共に、自然体での詠歌[注釈 5][注釈 6]を好ましいとする姿勢が随所に見られる。また、歌合のような晴れの場以外では歌の禁忌にあまり囚われないことや、不吉とされる煙の描写も恋愛歌においては許容される[3]等、柔軟な姿勢も示されている。一方で、猿楽のような新しい芸能に対しては、「凡賎を遠ざくべき事」として拒絶的な姿勢が見られる。

伝本

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承久の乱以前の第一次草稿本は現存せず、内閣文庫蔵本や志香須賀文庫本などの第二次草稿本と、この第二次草稿本を精撰した精撰本が存在する[2]。精撰本には順徳院宸筆本を祖本として、藤原為家識語本・静嘉堂文庫蔵藤原為氏識語本・旧尊経閣文庫蔵伝伝伏見院宸筆本(九州国立博物館蔵[1])・志香須賀文庫本蔵兼好奥書本などがある[2]

刊本には寛永12年(1635年)版や慶安4年(1651年)版などがある[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 源俊頼藤原基俊藤原俊成ら、平安歌論の先人の業績を継承しており、その集成とも言える。
  2. ^ 後世、歌枕の典拠資料としてしばしば引用される。
  3. ^ 藤原基俊の撰による『新三十六人』等の存在は本書によってのみ知られる。
  4. ^ 「貫之さしもなしなどいふ事少々聞ゆ。歌の魔の第一也」と、紀貫之を軽んじる者を戒めている。
  5. ^ 梁塵秘抄』を引きつつ、「まことのよき歌よみになりぬれば、やすやすとありのままの事とこそ聞こゆれ。何事も長じぬればかくの如しと云へり」。
  6. ^ 西行について、「唯詞をかざらずして、ふつふつといひたるが聞きよき」。

出典

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  1. ^ a b c d 八雲御抄”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2024年3月5日閲覧。
  2. ^ a b c d 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第6巻』岩波書店、1985年2月、-52-53頁。 
  3. ^ Villa Kaoru N.「俊頼髄脳・袋草紙・八雲御抄における「煙」と禁忌 : 歌論/歌学書・歌合・勅撰集の「煙」の歌を中心に」『京都大学國文學論叢』第24巻、京都大学大学院文学研究科国語学国文学研究室、2010年、27-52頁、doi:10.14989/137408hdl:2433/137408ISSN 1345-1723 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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