会津坂下町
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あいづばんげまち 会津坂下町 | |||||
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恵隆寺観音堂 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
郡 | 河沼郡 | ||||
市町村コード | 07421-7 | ||||
法人番号 | 6000020074217 | ||||
面積 |
91.59km2 | ||||
総人口 |
13,851人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 151人/km2 | ||||
隣接自治体 | 会津若松市、喜多方市、河沼郡柳津町・湯川村、耶麻郡西会津町、大沼郡会津美里町 | ||||
町の木 | 桜 | ||||
町の花 | 菊 | ||||
村の鳥 | うぐいす | ||||
会津坂下町役場 | |||||
町長 | 古川庄平 | ||||
所在地 |
〒969-6547 福島県河沼郡会津坂下町字市中三番甲3662番地 北緯37度33分41秒 東経139度49分18秒 / 北緯37.56147度 東経139.82164度座標: 北緯37度33分41秒 東経139度49分18秒 / 北緯37.56147度 東経139.82164度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
会津坂下町(あいづばんげまち[1])は、福島県会津地方に位置し、河沼郡に属する町。
地理
[編集]会津盆地西部に位置する。町の中部から東側は盆地が広がり比較的平坦で水田が多く、西側は山林が多い。町の東側から北側にかけて阿賀川が流れているほか、西部には只見川が流れる。古来より交通の要所として栄えた。江戸時代には旧坂下において毎月旧暦の14日に市が立った。坂下町から三里(現代のメートル法換算で約12 km)の範囲では市を立てないようにと言う会津藩の御触れが有り、商業・流通の中心として保護されていた歴史がある。若松、喜多方、高田それぞれか三里であるため、「坂下のバカ三里」とも呼ばれた。
慶長16年の会津大地震(1611年)時、現在の喜多方市山科地区で起きた山崩れにより阿賀川がせき止められ、山科湖(堰止湖)が出現し、旧越後街道が現在の国道49号付近まで北側に移動した。このことでもわかるように、会津盆地でも一番高度の低い場所に位置する。余談であるが現在の広瀬地区の地名は当時この山科湖に水没していたことに由来する。この堰止め湖は50年ほど存在し、それを解消したのは会津藩主保科正之と言われている。
また沼田街道(会津坂下町 - 群馬県沼田市)の起点が旧越後街道の鐘撞き堂峠の入り口にあり、ここより七折峠(国道49号)を通り奥会津、尾瀬が原、群馬県片品を通り沼田へ至る主要街道であった。
また江戸時代、旧坂下地区には奥会津柳津の銀山から掘り出された銀の集積地が有った。また新潟津より阿賀川の河川舟運で運ばれてくる海産物を荷揚げをする荷揚げ場もあった。荷揚げ場を整備した当時の民間人佐藤丈介が荷揚げ場に橋も整備し、その名が現在の丈介橋として残っている。
- 山 :高寺山、馬立山
- 河川:阿賀川、只見川
- 湖沼:
隣接する自治体
[編集]人口
[編集]会津坂下町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
歴史
[編集]産業
[編集]- 主な産業
- 米
商業
[編集]郵便
[編集]教育
[編集]高校
[編集]中学校
[編集]- 会津坂下町立坂下中学校
小学校
[編集]- 会津坂下町立坂下東小学校
- 会津坂下町立坂下南小学校
廃校になった学校
[編集]- 福島県立坂下高等学校
- 会津坂下町立片門小学校
- 会津坂下町立川西小学校
- 会津坂下町立八幡小学校
- 会津坂下町立第一中学校
- 会津坂下町立第二中学校
- 会津坂下町立坂下小学校
- 会津坂下町立若宮小学校
- 会津坂下町立金上小学校
- 会津坂下町立広瀬小学校
交通
[編集]鉄道
[編集]- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
路線バス
[編集]道路
[編集]- 高速道路
- 一般国道
- 福島県道
道の駅
[編集]- 道の駅あいづ 湯川・会津坂下(所在地は湯川村)
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]- 亀ヶ森・鎮守森古墳(国の史跡)
- 陣が峯城跡(国の史跡)
- 春日八郎記念公園
- 杉薬師糸桜
- 恵隆寺(立木観音堂)
- 法界寺(会津戦争で悲劇の最期を遂げた中野竹子が葬られている)
- 上宇内薬師堂
- 心清水八幡神社(塔寺八幡神社)
- 旧五十嵐家住宅(国の重要文化財)
- 会津自然の家
- 津尻温泉(営業停止中)
- 宇内温泉(営業停止中)
祭事・催事
[編集]名産品
[編集]出身有名人
[編集]- 猪俣公章 - 作曲家、作詞家
- 江川嘉孝 - 1964年東京オリンピック男子バスケットボール日本代表
- 遠藤留吉 - たこ焼きを発明した料理人(会津屋初代店長)
- 大崎裕史 - ラーメン評論家
- 小野末吉 - 医師、日本医師会最高優功賞受賞
- 春日八郎 - 演歌歌手(デビュー当初は会津若松市出身と公表していたが後に訂正)
- 斎藤清 - 木版画家
- 佐藤紳 - 農林水産技官[4]
- 高橋ヒロシ - 漫画家
- 高久進 - 脚本家
- 武田惣角 - 武道家
- 和田洋子 - 参議院議員(2期)
脚注
[編集]- ^ トップバナー「会津坂下町 あいづばんげまち」会津坂下町公式ホームページ(2022年1月22日閲覧)
- ^ おいしい 日本酒の教科書 決定版!. 株式会社宝島社. (2015-06-19)
- ^ 【十字路】2年ぶり勝負『日本農業新聞』2022年1月22日16面
- ^ “毎日フォーラム・霞が関人物録”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2021年1月8日) 2024年6月23日閲覧。