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亥角仲蔵

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亥角 仲蔵(いすみ ちゅうぞう、1878年明治11年)3月31日[1] - 1953年昭和28年〉7月19日[2])は、日本判事内務官僚、朝鮮総督府官僚。

経歴

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京都府出身。1902年(明治35年)、早稲田大学邦語行政科を卒業し[3]、翌年には法政大学を卒業した[4]福島県事務官[5]宮崎県事務官[6]統監府警視[7]、朝鮮総督府警務官・警視、鳥取県内務部長などを歴任[1]。その後、全羅南道知事全羅北道知事に就任した[8]

退官後は清津水利組合長[4]、有信鉱業株式会社社長を務めた[3]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c 人事興信録 1918.
  2. ^ 『真理 8月号』巻末。
  3. ^ a b 『昭和10年 早稲田大学校友会会員名簿』早稲田大学校友会、1934年。
  4. ^ a b 『法政大学校友名鑑』法政大学校友名鑑刊行会、1941年。
  5. ^ 『官報』第6707号、明治38年11月6日。
  6. ^ 『官報』第7467号、明治41年5月20日。
  7. ^ 『官報』第8157号、明治43年8月29日。
  8. ^ 人事興信録 1925.

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版(上)』人事興信所、1918年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版(上)』人事興信所、1925年。 
  • 『真理 8月号』真理舎、1953年。