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五味芳夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五味 芳夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県甲府市湯田[1]
生年月日 1917年11月14日
没年月日 (1988-09-10) 1988年9月10日(70歳没)[1]
身長
体重
167 cm
56 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手 遊撃手
プロ入り 1936年
初出場 1936年
最終出場 1948年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

五味 芳夫(ごみ よしお、1917年11月14日 - 1988年9月10日)は、山梨県甲府市出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手

来歴・人物

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甲府中学では1年生からレギュラーとなり、第21回全国中等学校優勝野球大会に出場[1]。1回戦の青島中学戦で1試合5盗塁を記録[1]。この記録は現在も夏の甲子園の大会記録として残っている。

1936年名古屋金鯱軍へ入団し、山梨県初のプロ野球選手となった[1]1939年は30盗塁を記録し、山田伝と並んで盗塁王を獲得した[1]。尚、これにより1937年の秋のシーズンに島秀之助が盗塁王を獲得してから、江口行男佐々木常助、五味芳夫と、4シーズン連続で同一の球団(名古屋金鯱軍)の各選手が盗塁王を獲得するという、珍記録が達成された事になる。1941年朝日軍へ移籍[1]1942年シーズンを最後に第二次世界大戦のため野球を離れる[1]。戦後はシベリアに抑留された[1]

社会人野球の植良組を経て1948年に復帰[1]。同年引退し、同チームの助監督に就任した[1]。退任後はタクシー会社を経営した後に地元甲府へ戻りブルドーザー工業甲府支社長を務めた[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1936 金鯱 18 32 30 3 5 2 0 0 7 0 2 -- 0 -- 2 -- 0 9 -- .167 .219 .233 .452
1937 15 27 25 2 5 0 0 0 5 1 1 -- 0 -- 2 -- 0 2 -- .200 .259 .200 .459
1937 12 7 6 1 2 0 0 0 2 1 0 -- 0 -- 1 -- 0 1 -- .333 .429 .333 .762
1938 34 157 130 25 31 7 2 2 48 14 13 -- 2 -- 23 -- 2 19 -- .238 .361 .369 .731
1938 34 138 113 10 19 4 0 0 23 6 4 -- 2 -- 23 -- 0 16 -- .168 .309 .204 .512
1939 88 365 293 37 56 2 4 0 66 19 30 -- 7 1 62 -- 1 41 -- .191 .334 .225 .560
1940 97 376 297 39 57 6 0 1 66 12 25 -- 7 2 70 -- 0 48 -- .192 .346 .222 .568
1941 朝日
大陽
66 219 180 19 35 1 1 1 41 6 17 -- 5 -- 34 -- 0 38 -- .194 .322 .228 .550
1942 74 296 241 30 44 1 2 0 49 9 21 11 6 -- 49 -- 0 33 -- .183 .321 .203 .524
1948 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 -- 0 -- 0 0 -- ---- ---- ---- ----
通算:8年 439 1617 1315 166 254 23 9 4 307 68 114 11 29 3 266 -- 3 207 -- .193 .330 .233 .564
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 朝日(朝日軍)は、1946年にパシフィックに、1947年に太陽(太陽ロビンス)に、1948年に大陽(大陽ロビンス)に球団名を変更

タイトル

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背番号

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  • 17 (1936年 - 1940年)
  • 10 (1941年)
  • 1 (1942年)
  • 2 (1948年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、230ページ

関連項目

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外部リンク

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