中野渡清一
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中野渡清一 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 青森県 |
生年月日 | 1941年4月6日(83歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
所属厩舎 |
東京・本郷重彦(1961 - 1985) 東京→美浦・フリー(1986) |
初免許年 | 1961年3月4日 |
免許区分 | 平地(初期には障害免許も保持) |
騎手引退日 | 1986年 |
重賞勝利 | 9勝 |
通算勝利 | 5122戦566勝 |
中野渡 清一(なかのわたり せいいち、1941年(昭和16年)4月6日-)は元日本中央競馬会騎手・調教師。青森県出身。
騎手時代は「スーパーカー」と称された名馬・マルゼンスキーの主戦騎手として知られていた。
孫の1人は女子プロレスラーの梅咲遥[1]。横山富雄、吉永正人とは同期生に当たる。
来歴
[編集]1957年に東京競馬場・本郷重彦厩舎に騎手見習いとして競馬界入りし、1961年に騎手としてデビュー。1966年のスプリングステークスでシヨウグンに騎乗し重賞初勝利。1968年にはルピナスでオークスに勝ち八大競走初勝利となる。
1976年に本郷厩舎に入厩したマルゼンスキーは全8戦を中野渡の騎乗で8戦すべて勝利した。だが当時の規則で「持込馬」だったマルゼンスキーはクラシックに参戦できず、中野渡は「28頭立ての大外枠でもいい。賞金なんか貰わなくていい。他の馬の邪魔もしない。この馬の力を試したいからマルゼンスキーに日本ダービーを走らせてくれ」という有名なコメントを残した[2]。
1988年、調教師試験合格に伴い騎手を引退。翌1989年より美浦トレーニングセンターに厩舎を開業した。
2011年に迎える定年を前にした2010年10月20日付で調教師を勇退した[3]。
成績
[編集]騎手通算
[編集]5122戦566勝(うち重賞9勝、障害競走8勝)
主な騎乗馬
[編集]- シヨウグン(1966年スプリングステークス)
- アラジン(1967年NHK杯)
- タケシバオー(1967年朝日杯3歳ステークス、1968年東京4歳ステークス)
- ルピナス(1968年優駿牝馬)
- メイジシロー(1969年中山記念)
- マルゼンスキー(1976年朝日杯3歳ステークス、1977年日本短波賞)
- マリキータ(1983年新潟3歳ステークス)
- その他
調教師通算
[編集]- 重賞勝ちはない。
主な厩舎所属者
[編集]※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 武士沢友治(1997年-2010年 騎手)
脚注
[編集]- ^ “「ワールド女子プロレス・ディアナ」梅咲遥、“幻のダービー馬”マルゼンスキー主戦・中野渡騎手の孫だった”. スポーツ報知 (2021年5月30日). 2021年5月30日閲覧。
- ^ 日本中央競馬会『優駿』1988年5月号
- ^ a b “Racing Topics”. 日本中央競馬会. 2014年8月29日閲覧。
- ^ “中野渡”. 地方競馬全国協会. 2014年8月29日閲覧。