上山町 (山形県)
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かみのやままち 上山町 | |
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廃止日 | 1954年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上山町、西郷村、本庄村、東村、宮生村、中川村 → 上山市 |
現在の自治体 | 上山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 山形県 |
郡 | 南村山郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 本沢村、金井村、蔵王村、中川村、宮生村、本庄村、西郷村、山元村 |
上山町役場 | |
所在地 | 山形県南村山郡上山町 |
座標 | 北緯38度08分58秒 東経140度16分04秒 / 北緯38.14956度 東経140.26783度座標: 北緯38度08分58秒 東経140度16分04秒 / 北緯38.14956度 東経140.26783度 |
ウィキプロジェクト |
上山町(かみのやままち)は、かつて山形県南村山郡にあった町。
役場や議事堂は、現在の働く婦人の家や上山城駐車場の敷地に設置されていた。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い南村山郡上山鶴脛町、上山十日町、上山二日町、上山新丁、上山裏町、上山北町、長清水村、河崎村が合併し、上山町が発足。
- 1892年(明治25年)9月 - 南村山郡役所の新庁舎が元城内大手前に落成
- 1894年(明治27年)12月 - 南村山郡警察署を新丁地区に新築移転
- 1895年(明治28年) - 蔵王山が噴火
- 1896年(明治29年) - かせ鳥が廃止となる
- 1899年(明治32年) - 私立明新館が設立され、中等教育を行う
- 1900年(明治33年) - 上山まで鉄道が開通
- 1901年(明治34年)2月15日 - 上ノ山駅が落成
- 1901年(明治34年)4月15日 - 新丁大火により27戸焼失する
- 1905年(明治38年)5月17日 - 上山町役場新舎が落成
- 1905年(明治38年) - 上山町立女子実業補修学校(後の上山高等学校)が開校
- 1907年(明治40年)5月3日 - 山形商業銀行上山支店が十日町高橋宰橘家自宅表に開設される
- 1912年(大正元年) - 郡立農学校(後の上山農業高等学校)が開校
- 1912年(大正元年)12月18日 - 高橋弥惣八が上山町初めての歯科医院「八幡堂歯科医院」を開業
- 1913年(大正2年)6月 - 長清水に多勢製糸工場が創業
- 1919年(大正8年)3月 - 上山町営水道が完成
- 1920年(大正9年) - 新湯温泉が発掘される
- 1922年(大正11年)3月 - 村尾要助が上山最大の湯源を掘り当てる
- 1922年(大正11年) - 出羽ヶ嶽文治郎が関脇となる
- 1923年(大正12年) - 髙松温泉が発掘される
- 1923年(大正12年) - 新湯映画館「隆盛座」が建設される
- 1927年(昭和2年) - 矢来地区に映画館「常盤館」が建設される
- 1933年(昭和8年) - 上山スキー場が久保手地区に開設される
- 1935年(昭和10年) - 上山競馬がはじまる
- 1936年(昭和11年) - 葉山温泉が発掘される
- 1938年(昭和13年) - 上山と山形間に木炭バスが走る
- 1947年(昭和22年) - 昭和天皇の行幸を迎える
- 1952年(昭和27年) - 北上ノ山駅、羽前中山駅が新設される
- 1953年(昭和28年) - 河崎温泉が発掘される
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 町村合併により消滅
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 南村山郡西郷村、本庄村、東村、宮生村、中川村と合併し、市制施行して上山市となり消滅。
消滅時(1954年9月30日)の概要
[編集]町長
[編集]- 初代:高橋宰橘
- 6代目:高内源之助
出身著名人
[編集]- 国井庫 - 衆議院議員、弁護士、山形新聞社社長
- 松本長兵衛 - 上山町長、上山市長
- 相馬健一 - 山形新聞社社長
- 羽島金三郎 - 札幌鉄道局勤務時に鉄道除雪車キマロキ編成を開発
- 鈴木啓蔵 - 上山市長
- 永田亀昭 - 上山市長
脚注
[編集]- ^ 上山市議会200回記念事業実行委員会 編『上山市議会200回のあゆみ』上山印刷、昭和54-11-30。
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。