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レニー・ハリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レニー・ハリス
Lenny Harris
ナショナルズでのコーチ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州マイアミ
生年月日 (1964-10-28) 1964年10月28日(60歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1983年 MLBドラフト5巡目(全体108位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 1988年9月7日
最終出場 2005年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

レナード・アンソニー・ハリスLeonard Anthony Harris, 1964年10月28日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手内野手)。右投左打。

現役時代はナ・リーグ一筋8球団でプレーしており、代打での通算安打212本のMLB記録保持者である。

経歴

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プロ入りとレッズ時代

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1983年6月6日MLBドラフトシンシナティ・レッズから5巡目(全体108位)指名を受け、2日後の6月8日、正式に選手契約を結んだ。その後はマイナーリーグで経験を積んで、プロ6年目となる1988年に、レッズでメジャーデビューを果たした。対戦相手はサンディエゴ・パドレスで、ハリスは代走としての試合出場だった。1988年は、43打数という限られたチャンスの中で16安打を放ち、.372という高い打率を記録した。1988年に、シュアなバッティングを見せたため、メジャー2年目の1989年は開幕からレギュラー格の選手として試合に出場。しかし、61試合で打率.223と振るわなかった。

ドジャース時代

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1989年6月18日ティム・リアリーマリアーノ・ダンカンとのトレードで、カル・ダニエルズと共にロサンゼルス・ドジャースで移籍した。移籍後も、54試合で.252と平凡な数字に終わった。しかし、開幕からドジャースで試合に出場できた1990年は、打数が400を越え、.300台の打率をマーク。巧打者として、まずまずの働きを見せた。その後1992年まではまずまずの数字を残していたが、1993年になって成績が急落。FAとなる年に結果を残せなかった。10月8日にFAとなった。

レッズ復帰

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1993年12月1日に古巣のレッズと契約を結んだ。復帰1年目となった1994年ストライキのあったシーズン。それも影響してか66試合の出場に留まったが、打率は再び.300台に乗った。だが、翌1995年は再び不振に陥り、.200前半の打率しか残せなかった。1996年は準レギュラーと呼べる程度に試合に出場。まずまずの働きを見せたが、打率が.300台に戻る事はなかった。シーズンオフの10月31日にFAとなり、同年の11月13日にレッズと再契約を結んだ。1997年1998年もまずまずの働きを見せていた。

メッツ時代

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1998年7月3日ジョン・フーデックとのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した。メッツでは、打率こそ低調だったものの75試合で6本塁打を放ち、パワーをアピールした。同年の10月31日にFAとなった。

ロッキーズ時代

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1998年11月9日コロラド・ロッキーズと契約を結んだ。1999年はロッキーズで.300に迫る打率を記録した。

ダイヤモンドバックス時代

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1999年8月31日にマイナーリーガーのベルバーニ・マルティネスとトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。ダイヤモンドバックス移籍後は、29打数11安打で.379という打率をマーク。シーズントータルの打率を.300に乗せた。2000年も引き続き、ダイヤモンドバックスで開幕を迎えたハリスだったが、36試合で打率.188と極度の不振に陥った。

メッツ復帰

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2000年7月2日ビル・パルシファーとのトレードでメッツに復帰。自身2度目となったメッツでのシーズンは、76試合に出場して.300台の打率を維持した。3年連続でのシーズン中トレードから解放されたハリスは、2001年をメッツで過ごしたが、打率.222と期待に応える事は出来なかった。また、この年にそれまでマニー・モタ(元ドジャース他)が記録していた代打での通算安打数を更新した。

ブルワーズ時代

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2002年は開幕前に猛烈なトレード劇に巻き込まれた。

トレードの内約:1月21日に実施。メッツがグレンドン・ラッシュミルウォーキー・ブルワーズに放出。メッツがベニー・アグバヤニトッド・ジール+金銭をロッキーズに放出。ロッキーズがクレイグ・ハウスロス・グロードをメッツに放出。ロッキーズがアレックス・オチョアをブルワーズに放出。ブルワーズがジェフ・ダミーコジェロミー・バーニッツルー・コーリアーマーク・スウィーニー+金銭をメッツに放出。なおこのトレードには日本に馴染みの深い選手であるベニー・アグバヤニ(千葉ロッテマリーンズ)と、アレックス・オチョア(元中日ドラゴンズ)が絡んでいた。

この大型トレードでラッシュと共にブルワーズへと移籍したハリスは、122試合に出場して.305という打率をマーク。打数こそ200に届かなかったものの、ベテラン内野手として渋い働きを見せた。シーズンオフの10月28日にFAとなった。

カブス時代

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2003年1月27日シカゴ・カブスと契約した。しかし、極度の不振に陥ってしまい、8月2日にカブスを解雇されてしまった。

マーリンズ時代

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カブス解雇後に救いの手を差し伸べたのはフロリダ・マーリンズだった。8月11日に再びメジャーへの切符を手にしたハリスだったが、出場機会も極小に留まり、結果を残す事ができなかった。11月5日にFAとなったハリスは、2004年1月2日にマーリンズと再契約を結んだ。しかし、結果を残す事が出来ず、年齢的にも限界の近づいて来たハリスは、10月27日にFAに。いよいよ終わりの時かと思われたが、12月7日にマーリンズと再々契約を結ぶ事が出来た。2005年、不惑を迎えたハリスは、少ない出場機会で.300を越える打率をマーク。しかし、2006年3月29日にマーリンズを解雇された。

引退後

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2007年途中から2008年までワシントン・ナショナルズで打撃コーチを務め、その後はマーリンズ傘下やドジャース傘下のマイナーでコーチを歴任。2015年よりマーリンズの打撃コーチ補佐を務める[1]。シーズン途中の5月にブレット・バトラーに代わり、三塁コーチに配置転換され、翌2016年まで務めた。

プレースタイル

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打者としてのタイプは、三振の少ない巧打者タイプ。出場試合数及び打数にバラつきがあるとはいえ、.300を超える打率を6度マークしたことがある。しかし、パワーはなく、1シーズンでの最多本塁打は6本が最高である。足の速さは、平均以上。若かった頃には何度となく二桁盗塁を記録している。守備では、現役時代は三塁手二塁手を始め、外野守備に就く機会も多かった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1988 CIN 16 51 43 7 16 1 0 0 17 8 4 1 1 2 5 0 0 4 0 .372 .420 .395 .815
1989 61 199 188 17 42 4 0 2 52 11 10 6 1 0 9 0 1 20 5 .223 .263 .277 .540
LAD 54 159 147 19 37 6 1 1 48 15 4 3 0 0 11 0 1 13 9 .252 .308 .327 .635
'89計 115 358 335 36 79 10 1 3 100 26 14 9 1 0 20 0 2 33 14 .236 .283 .299 .582
1990 137 465 431 61 131 16 4 2 161 29 15 10 3 1 29 2 1 31 8 .304 .348 .374 .722
1991 145 485 429 59 123 16 1 3 150 38 12 3 12 2 37 5 5 32 16 .287 .349 .350 .699
1992 135 380 347 28 94 11 0 0 105 30 19 7 6 2 24 3 1 24 10 .271 .318 .303 .621
1993 107 176 160 20 38 6 1 2 52 11 3 1 1 0 15 4 0 15 4 .238 .303 .325 .628
1994 CIN 66 106 100 13 31 3 1 0 36 14 7 2 0 1 5 0 0 13 0 .310 .340 .360 .700
1995 101 215 197 32 41 8 3 2 61 16 10 1 3 1 14 0 0 20 6 .208 .259 .310 .569
1996 125 333 302 33 86 17 2 5 122 32 14 6 6 3 21 1 1 31 3 .285 .330 .404 .734
1997 120 263 238 32 65 13 1 3 89 28 4 3 3 2 18 1 2 18 10 .273 .327 .374 .701
1998 57 133 122 12 36 8 0 0 44 10 1 3 0 2 8 2 1 9 8 .295 .338 .361 .699
NYM 75 184 168 18 39 7 0 6 64 17 5 2 4 2 9 1 1 12 5 .232 .272 .381 .653
'98計 132 317 290 30 75 15 0 6 108 27 6 5 4 4 17 3 2 21 13 .259 .300 .372 .672
1999 COL 91 164 158 15 47 12 0 0 59 13 1 1 0 0 6 0 0 6 7 .297 .323 .373 .696
ARI 19 30 29 2 11 1 0 1 15 7 1 0 0 1 0 0 0 1 0 .379 .367 .517 .884
'99計 110 194 187 17 58 13 0 1 74 20 2 1 0 1 6 0 0 7 7 .310 .330 .396 .726
2000 36 91 85 9 16 1 1 1 22 13 5 0 0 3 3 1 0 5 3 .188 .209 .259 .468
NYM 76 157 138 22 42 6 3 3 63 13 8 1 2 0 17 1 0 17 4 .304 .381 .457 .838
'00計 112 248 223 31 58 7 4 4 85 26 13 1 2 3 20 2 0 22 7 .260 .317 .381 .698
2001 110 143 135 12 30 5 1 0 37 9 3 2 0 0 8 0 0 9 3 .222 .266 .274 .540
2002 MIL 122 215 197 23 60 8 2 3 81 17 4 1 1 1 14 1 2 17 4 .305 .355 .411 .766
2003 CHC 75 146 131 11 24 3 0 1 30 7 1 0 1 1 13 3 0 20 1 .183 .255 .229 .484
FLA 13 17 14 3 4 0 0 0 4 1 0 0 0 0 3 0 0 1 1 .286 .412 .286 .698
'03計 88 163 145 14 28 3 0 1 34 8 1 0 1 1 16 3 0 21 2 .193 .272 .234 .506
2004 79 99 95 7 20 5 0 1 28 17 0 0 0 1 3 0 0 8 2 .211 .232 .295 .527
2005 83 78 70 5 22 4 0 1 29 13 0 1 0 0 7 1 1 11 3 .314 .385 .414 .799
通算:18年 1903 4289 3924 460 1055 161 21 37 1369 369 131 54 44 25 279 26 17 337 112 .269 .318 .349 .667

背番号

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  • 56 (1988年)
  • 7 (1989年 - 同年途中)
  • 29 (1989年途中 - 1993年、1999年途中 - 2000年途中、2003年 - 同年途中、2015年途中 - 2016年)
  • 28 (1994年 - 1998年途中、1999年 - 同年途中)
  • 19 (1998年途中 - 同年終了、2000年途中 - 2001年)
  • 16 (2002年)
  • 10 (2003年途中 - 2005年)
  • 9 (2007年 - 2008年)
  • 49 (2015年 - 同年途中)

脚注

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  1. ^ Aaron Gleeman (February 19, 2015). “Marlins hire Lenny Harris as new assistant hitting coach”. NBC Sports. May 23, 2015閲覧。

関連項目

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外部リンク

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