レイトン・ヒューイット
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2016年ウィンブルドンでのレイトン・ヒューイット | ||||
基本情報 | ||||
フルネーム | Lleyton Glynn Hewitt | |||
国籍 | オーストラリア | |||
出身地 | オーストラリア・アデレード | |||
居住地 | オーストラリア・メルボルン | |||
生年月日 | 1981年2月24日(43歳) | |||
身長 | 178cm | |||
体重 | 77kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
殿堂入り | 2021年 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1998年 | |||
引退年 |
2016年(シングルス) 2020年(ダブルス) | |||
ツアー通算 | 33勝 | |||
シングルス | 30勝 | |||
ダブルス | 3勝 | |||
生涯通算成績 | 740勝356敗 | |||
シングルス | 616勝262敗 | |||
ダブルス | 124勝94敗 | |||
生涯獲得賞金 | $20,867,878 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 準優勝(2005) | |||
全仏 | ベスト8(2001・2004) | |||
全英 | 優勝(2002) | |||
全米 | 優勝(2001) | |||
優勝回数 | 2(英1・米1) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | ベスト8 (2018) | |||
全仏 | 2回戦(2000) | |||
全英 | 3回戦(1999・2012・2014) | |||
全米 | 優勝(2000) | |||
優勝回数 | 1(米1) | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全豪 | 1回戦(1998) | |||
全仏 | 3回戦(2000) | |||
全英 | 準優勝(2000) | |||
国別対抗戦最高成績 | ||||
デビス杯 | 優勝(1999・2003) | |||
ホップマン杯 | 準優勝(2003) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 1位(2001年11月19日) | |||
ダブルス | 18位(2000年10月23日) | |||
レイトン・グリン・ヒューイット(Lleyton Glynn Hewitt, 1981年2月24日 - )は、オーストラリア・アデレード出身の元男子プロテニス選手。身長178cm、体重77kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス30勝、ダブルス3勝。シングルスの自己最高ランキングは1位(史上最年少記録)。世界ランキング1位の在位期間80週は歴代10位。
ニューボールズ世代の選手で最も早く台頭し、2001年11月19日に史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位となり、2001年と2002年の2年連続で、年間ランキング1位の座についた。これまでにグランドスラム優勝3回(シングルス2回)、ATPワールドツアー・ファイナル優勝2回、デビスカップオーストラリア代表最多勝を挙げている。
選手経歴
[編集]- 1998年 プロ転向 ツアー初優勝
- 1998年1月に16歳でプロ転向を表明し、ネクストジェネレーション・アデレード国際で早くもATPツアー初優勝を果たした。
- 1999年 デビス杯初優勝
- 1999年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表選手に選ばれ、マーク・フィリプーシスらと共にオーストラリアを13年ぶりの優勝に貢献。
- 2000年 全米ダブルス初優勝
- 2000年には世界ランキングでトップ10入りすると、同年の全米オープンではベスト4に進出。準決勝でピート・サンプラスに敗れたが、男子ダブルスではマックス・ミルヌイと組んで優勝に輝いた。
- 2001年 全米初優勝 マスターズカップ初優勝 世界1位
- 2001年全米オープンの決勝でピート・サンプラスを7-6, 6-1, 6-1で破って4大大会初優勝を果たすと、ジャパン・オープン・テニス選手権でも初来日を優勝で飾った。11月19日付で史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位に登り詰め、その後の年間最終戦テニス・マスターズ・カップを制し、2001年度を世界ランキング1位で終え、戦績 80勝18敗、勝率0.8163 を数える好成績を挙げた。
- 2002年 ウィンブルドン初優勝 マスターズ初優勝 マスターズカップ2連覇
- 2002年でのSAPオープン決勝ではアンドレ・アガシを、インディアンウェルズ・マスターズとクイーンズクラブ選手権の決勝ではティム・ヘンマンを下して優勝。さらにウィンブルドン選手権では決勝でダビド・ナルバンディアンを6-1, 6-3, 6-2で破って初優勝を果たした。続く全米オープンでは準決勝でアガシに敗れたが、シンシナティ・マスターズとパリ・マスターズで準優勝。その後の年間最終戦では2連覇を果たし、2002年度も世界ランキング1位で終えた。
- 2003年 世界17位
- 2003年、インディアンウェルズ・マスターズ決勝でグスタボ・クエルテンを下して優勝。その後は故障もあって不調に陥り、80週かけて守った世界ランキング1位から陥落。ウィンブルドン選手権では、オープニング・マッチ(前年優勝者が初戦でセンター・コートの第1試合に出る慣例の事)でイボ・カロビッチの時速210km/hを超える高速サーブの前に敗れてしまい、同選手権の男子部門で1967年のマニュエル・サンタナ以来36年ぶりの前年王者の初戦敗退という辛酸を舐めた。2003年度は17位で終えた。
- 2004年 世界3位
- 2004年は不調から脱し、メディバンク国際、ABNアムロ世界テニス・トーナメント、レッグ・メーソン・テニス・クラシックとパイロット・ペン・テニスで優勝。シンシナティ・マスターズと全米オープン、テニス・マスターズ・カップで準優勝する好成績を残し、ランキング3位で年を終えた。特に全米オープンでは決勝まで全てストレート勝ちで進むなど圧倒的な力を見せたが決勝はロジャー・フェデラーに完敗した。この年は4大大会などの大舞台でロジャー・フェデラーにことごとく敗れている。全豪オープン4回戦で6-4, 3-6, 0-6, 4-6、続いてウィンブルドン選手権準々決勝で1-6, 7-6, 0-6, 4-6で、全米オープン決勝で0-6, 6-7, 0-6で、そしてテニス・マスターズ・カップのラウンドロビンでは3-6, 4-6で、決勝では3-6, 2-6で敗れていた。
- 2005年 世界4位
- 2005年全豪オープンでは地元選手としてパット・キャッシュ以来17年ぶりの決勝進出を果たしたが、マラト・サフィンに6-1, 3-6, 4-6, 4-6で敗れて地元優勝を逃した。ウィンブルドン選手権と全米オープンでは、フェデラーに準決勝で、それぞれ3-6, 4-6, 6-7と3-6, 6-7, 6-4, 3-6で敗れている。フェデラーには、2003年までは7勝2敗と勝ち越していたが、2004年以後は2010年全豪オープンまで15連敗とまったく歯が立たなくなった。ランキング4位で年を終えている。
- その後は怪我などに苦しめられ、1998年から2007年まで毎年記録していたツアー優勝も2008年に途絶えた。
- 2009年 ツアー27勝目
- 2009年ウィンブルドン選手権では3年ぶりに準々決勝に進出したが、アンディ・ロディックに3-6, 7-6, 6-7, 6-4, 4-6で敗れている。
- 2010年 ツアー28勝目
- 2010年のゲリー・ウェバー・オープン決勝では、フェデラーから7年ぶりの勝利を挙げて優勝した。
- 2014年 ツアー30勝目
- 2014年3月20日、史上21人目となる通算600勝達成。当時の現役ではフェデラー、ナダルに次ぐ3人目の記録となる[1]。7月13日、テニス殿堂選手権で優勝し通算30勝達成。
- 2015年 引退表明
- 2015年1月29日、2016年全豪オープンで現役引退することを示唆した[2]。また、上記の引退示唆からの意向で2015年全仏オープンを欠場した。
- 2016年 シングルス引退
- その2016年全豪オープン男子シングルスでは1回戦でジェームス・ダックワースに7-6(5), 6-2, 6-4で勝利。2回戦ではダビド・フェレールに2-6, 4-6, 4-6で敗れ、これがシングルスの最後の試合となった。ダブルスではサム・グロスと組んで3回戦まで進出。3回戦でバセク・ポスピシル/ジャック・ソック組に敗れた。
- 引退後の2016年からデビスカップオーストラリア代表の監督に就任している。初采配となった3月の1回戦アメリカ戦は、直前にニック・キリオスが体調不良で離脱したため急遽選手兼監督としてメンバー入り。第3戦のダブルスでジョン・ピアーズと組んでブライアン兄弟と対戦。3-6, 3-6, 6-4, 6-4, 3-6で敗れた。
- 2018年 ダブルスで現役復帰
- その後、2018年全豪オープンではこの大会での引退を表明しているサム・グロスと組んでダブルスに出場することを表明した[3]。全豪オープンの前哨戦であるブリスベン国際にもジョーダン・トンプソンと組んでワイルドカードで出場。1回戦でグリゴール・ディミトロフ/ライアン・ハリソン組に敗れた。
- また同年のメルボルンで開催されたTie Break Tensには現役選手達に混じって出場。初戦でノバク・ジョコビッチを破り、次戦の準決勝でラファエル・ナダルに敗れたものの、11-13の激闘となり元世界ランク1位の意地を見せた[4]。
- 2021年 国際テニス殿堂入り
- ヒューイットは2021年に国際テニス殿堂入りを果たした。
人物
[編集]2000年からベルギーの女子テニス選手、キム・クライシュテルスと交際する。同年のウィンブルドン選手権で2人のペアは混合ダブルスで準優勝した。それ以後はテニスのトーナメント中にお互いの試合を応援するようになり、2003年12月に婚約したが、2004年10月22日にクライシュテルスが彼女の公式ホームページで婚約解消を発表した。その後ヒューイットは、2005年7月21日にオーストラリア人女優のベック・カートライトと結婚し、3児がいる。
若い頃はコートマナーの悪さでテニス関係者から非難されることが多く、優勝した2001年全米オープンの2回戦で、黒人選手ジェームズ・ブレークに対する問題発言などのトラブルを起こしたこともある。またヒューイットが大事なポイントを決めた時に叫ぶ「COME ON!」は、男女を問わず多くの選手が真似をするなどの影響を及ぼした。
プレースタイル
[編集]オーストラリアン・フットボールで鍛え上げた強靭な足腰を活かし、どんな球にも喰らいつく足の速いストローク・プレーヤー。守備に秀でた選手であり、最大の武器はリターンと機敏なフットワーク、粘り強さ、そしてメンタルの強さである。
ボールに対する反応が良く、股関節が柔らかくて強いので、最後の一歩が大きくとれる。しかも踏ん張りが効くので、かなり厳しいボールを打たれてもしっかりと打ち返すことができる。それをベースにしたヒッティング・エリアの前後左右への広さが最大の特徴。また、リターンが良く、パスやロブも上手い[5]。 世界でも第一級のリターン力を持っており、反応の良さと、バランスの良さで相当厳しいサーブでもしっかりと打ち返せる[6]。
しかし一発でエースを取れるショットがないので、相手が勝負を急がず、確実にチャンスを作って攻めてこられると、得意のカウンター・ショットも生かせず、攻め手が無くなってしまう弱点がある[5]。
ATPツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 46回 (30勝16敗)
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 1998年1月5日 | アデレード | ハード | ジェイソン・ストルテンバーグ | 3-6, 6-3, 7-6(7-4) |
準優勝 | 1. | 1999年1月11日 | アデレード | ハード | トーマス・エンクビスト | 6-4, 1-6, 2-6 |
準優勝 | 2. | 1999年3月8日 | スコッツデール | ハード | ジャン=マイケル・ギャンビル | 6-7(2-7), 6-4, 4-6 |
優勝 | 2. | 1999年5月3日 | デルレイビーチ | クレー | グザビエ・マリス | 6-4, 6-7(2-7), 6-1 |
準優勝 | 3. | 1999年10月25日 | リヨン | カーペット (室内) | ニコラス・ラペンティ | 3-6, 2-6 |
優勝 | 3. | 2000年1月10日 | アデレード | ハード | トーマス・エンクビスト | 3-6, 6-3, 6-2 |
優勝 | 4. | 2000年1月10日 | シドニー | ハード | ジェイソン・ストルテンバーグ | 6-4, 6-0 |
優勝 | 5. | 2000年3月6日 | スコッツデール | ハード | ティム・ヘンマン | 6-4, 7-6(7-2) |
優勝 | 6. | 2000年6月12日 | ロンドン | 芝 | ピート・サンプラス | 6-4, 6-4 |
準優勝 | 4. | 2000年11月6日 | シュトゥットガルト | ハード (室内) | ウェイン・フェレイラ | 6-7(6-8), 6-3, 7-6(7-5), 6-7(2-7), 2-6 |
優勝 | 7. | 2001年1月8日 | シドニー | ハード | マグヌス・ノーマン | 6-4, 6-1 |
優勝 | 8. | 2001年6月11日 | ロンドン | 芝 | ティム・ヘンマン | 7-6(7-3), 7-6(7-3) |
優勝 | 9. | 2001年6月18日 | スヘルトーヘンボス | 芝 | ギリェルモ・カナス | 6-3, 6-4 |
優勝 | 10. | 2001年9月10日 | 全米オープン | ハード | ピート・サンプラス | 7-6(7-4), 6-1, 6-1 |
優勝 | 11. | 2001年10月1日 | 東京 | ハード | ミシェル・クラトフヴィル | 6-4, 6-2 |
優勝 | 12. | 2001年11月12日 | シドニー | ハード (室内) | セバスチャン・グロジャン | 6-3, 6-3, 6-4 |
優勝 | 13. | 2002年2月25日 | サンノゼ | ハード (室内) | アンドレ・アガシ | 4-6, 7-6(8-6), 7-6(7-4) |
優勝 | 14. | 2002年3月11日 | インディアンウェルズ | ハード | ティム・ヘンマン | 6-1, 6-2 |
優勝 | 15. | 2002年6月10日 | ロンドン | 芝 | ティム・ヘンマン | 4-6, 6-1, 6-4 |
優勝 | 16. | 2002年6月24日 | ウィンブルドン | 芝 | ダビド・ナルバンディアン | 6-1, 6-3, 6-2 |
準優勝 | 5. | 2002年8月12日 | シンシナティ | ハード | カルロス・モヤ | 5-7, 6-7(5-7) |
準優勝 | 6. | 2002年11月4日 | パリ | カーペット (室内) | マラト・サフィン | 6-7(4-7), 0-6, 4-6 |
優勝 | 17. | 2002年11月11日 | 上海 | ハード (室内) | フアン・カルロス・フェレーロ | 7-5, 7-5, 2-6, 2-6, 6-4 |
優勝 | 18. | 2003年3月3日 | スコッツデール | ハード | マーク・フィリプーシス | 6-4, 6-4 |
優勝 | 19. | 2003年3月10日 | インディアンウェルズ | ハード | グスタボ・クエルテン | 6-1, 6-1 |
準優勝 | 7. | 2003年8月4日 | ロサンゼルス | ハード | ウェイン・フェレイラ | 3-6, 6-4, 5-7 |
優勝 | 20. | 2004年1月12日 | シドニー | ハード | カルロス・モヤ | 4-3, 途中棄権 |
優勝 | 21. | 2004年2月16日 | ロッテルダム | ハード (室内) | フアン・カルロス・フェレーロ | 6-7(1-7), 7-5, 6-4 |
準優勝 | 8. | 2004年8月9日 | シンシナティ | ハード | アンドレ・アガシ | 3-6, 6-3, 2-6 |
優勝 | 22. | 2004年8月16日 | ワシントンD.C. | ハード | ジレ・ミュラー | 6-3, 6-4 |
優勝 | 23. | 2004年8月23日 | ロングアイランド | ハード | ルイス・オルナ | 6-3, 6-1 |
準優勝 | 9. | 2004年9月13日 | 全米オープン | ハード | ロジャー・フェデラー | 0-6, 6-7(3-7), 0-6 |
準優勝 | 10. | 2004年11月22日 | ヒューストン | ハード | ロジャー・フェデラー | 3-6, 2-6 |
優勝 | 24. | 2005年1月10日 | シドニー | ハード | イボ・ミナール | 7-5, 6-0 |
準優勝 | 11. | 2005年1月31日 | 全豪オープン | ハード | マラト・サフィン | 6-1, 3-6, 4-6, 4-6 |
準優勝 | 12. | 2005年3月21日 | インディアンウェルズ | ハード | ロジャー・フェデラー | 2-6, 4-6, 4-6 |
準優勝 | 13. | 2006年2月20日 | サンノゼ | ハード (室内) | アンディ・マリー | 6-2, 1-6, 6-7(3-7) |
準優勝 | 14. | 2006年3月6日 | ラスベガス | ハード | ジェームズ・ブレーク | 5-7, 6-2, 3-6 |
優勝 | 25. | 2006年6月18日 | ロンドン | 芝 | ジェームズ・ブレーク | 6-4, 6-4 |
優勝 | 26. | 2007年3月5日 | ラスベガス | ハード | ユルゲン・メルツァー | 6-4, 7-6(12-10) |
優勝 | 27. | 2009年4月12日 | ヒューストン | クレー | ウェイン・オデスニク | 6-2, 7-5 |
優勝 | 28. | 2010年6月12日 | ハレ | 芝 | ロジャー・フェデラー | 3-6, 7-6(7-4), 6-4 |
準優勝 | 15. | 2012年7月15日 | ニューポート | 芝 | ジョン・イスナー | 6-7(1-7), 4-6 |
準優勝 | 16. | 2013年7月14日 | ニューポート | 芝 | ニコラ・マユ | 7-5, 5-7, 3-6 |
優勝 | 29. | 2014年1月5日 | ブリスベン | ハード | ロジャー・フェデラー | 6-1, 4-6, 6-3 |
優勝 | 30. | 2014年7月13日 | ニューポート | 芝 | イボ・カロビッチ | 6-3, 6-7(4-7), 7-6(7-3) |
ダブルス: 8回 (3勝5敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 1. | 2000年1月9日 | アデレード | ハード | サンドン・ストール | トッド・ウッドブリッジ マーク・ウッドフォード |
4-6, 2-6 |
準優勝 | 2. | 2000年1月16日 | シドニー | ハード | サンドン・ストール | トッド・ウッドブリッジ マーク・ウッドフォード |
5-7, 4-6 |
優勝 | 1. | 2000年8月21日 | インディアナポリス | ハード | サンドン・ストール | ヨナス・ビョルクマン マックス・ミルヌイ |
7-6(7-3), 4-6, 7-6(7-3) |
優勝 | 2. | 2000年9月11日 | 全米オープン | ハード | マックス・ミルヌイ | エリス・フェレイラ リック・リーチ |
6-4, 5-7, 7-6(7-5) |
準優勝 | 3. | 2003年3月9日 | スコッツデール | ハード | マーク・フィリプーシス | ジェームズ・ブレーク マーク・マークレイン |
4-6, 7-6(7-2), 6-7(5-7) |
準優勝 | 4. | 2010年4月25日 | バルセロナ | クレー | マーク・ノールズ | ダニエル・ネスター ネナド・ジモニッチ |
6-4, 3-6, [6-10] |
準優勝 | 5. | 2013年2月17日 | サンノゼ | ハード (室内) |
マリンコ・マトセビッチ | グザビエ・マリス フランク・モーサー |
0-6, 7-6(7-5), [4-10] |
優勝 | 3. | 2014年7月13日 | ニューポート | 芝 | クリス・グッチョーネ | ジョナサン・エルリック ラジーブ・ラム |
7-5, 6-4 |
4大大会優勝
[編集]年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
2001年 | 全米オープン | ピート・サンプラス | 7-6, 6-1, 6-1 |
2002年 | ウィンブルドン | ダビド・ナルバンディアン | 6-1, 6-3, 6-2 |
シングルス成績
[編集]4大大会
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | 1R | 1R | 2R | 4R | 3R | 1R | 4R | 4R | F | 2R | 3R | 4R | 1R | 4R | 1R | 4R | 1R | 1R | 2R | 2R | 32–20 |
全仏オープン | A | LQ | 1R | 4R | QF | 4R | 3R | QF | A | 4R | 4R | 3R | 3R | 3R | A | 1R | 1R | 1R | A | A | 28–14 |
ウィンブルドン | A | LQ | 3R | 1R | 4R | W | 1R | QF | SF | QF | 4R | 4R | QF | 4R | 2R | 1R | 2R | 2R | 1R | A | 41–16 |
全米オープン | A | LQ | 3R | SF | W | SF | QF | F | SF | QF | 2R | A | 3R | 1R | A | 3R | 4R | 1R | 2R | A | 47–14 |
大会最高成績
[編集]大会 | 成績 | 年 |
---|---|---|
ATPファイナルズ | W | 2001, 2002 |
インディアンウェルズ | W | 2002, 2003 |
マイアミ | SF | 2000, 2001, 2002 |
モンテカルロ | 3R | 2004 |
マドリード | 1R | 2014 |
ローマ | SF | 2000 |
カナダ | QF | 2007 |
シンシナティ | F | 2002, 2004 |
上海 | 2R | 2009 |
パリ | F | 2002 |
ハンブルク | SF | 2001, 2004, 2007 |
シュトゥットガルト | F | 2000 |
オリンピック | 3R | 2012 |
デビスカップ | W | 1999, 2003 |
ランキング
[編集]大会 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
最終ランキング | 550 | 100 | 25 | 7 | 1 | 1 | 17 | 3 | 4 | 20 | 21 | 67 | 22 | 54 | 188 | 80 | 60 | 50 | 307 |
脚注
[編集]- ^ http://www.atpworldtour.com/News/Tennis/2014/03/12/ATP-Heritage-Miami-Hewitt-600-Match-Wins.aspx
- ^ テニス=ヒューイット、来年の全豪OPで現役引退へ
- ^ ヒューイット氏、来月の全豪OP男子ダブルスで現役復帰へ
- ^ Tie Break Tens MELBOURNE Jan 10.2018
- ^ a b http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt01.html
- ^ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_hewitt02.html
外部リンク
[編集]- レイトン・ヒューイット - ATPツアーのプロフィール
- レイトン・ヒューイット - デビスカップのプロフィール
- レイトン・ヒューイット - 国際テニス連盟
- レイトン・ヒューイット - 国際テニス殿堂のプロフィール
- 公式サイト(英語。妻のベックと運営している)
タイトル | ||
---|---|---|
先代 グスタボ・クエルテン アンドレ・アガシ |
世界ランキング1位 2001年11月19日–2003年4月27日 2003年5月12日–2003年6月15日 |
次代 アンドレ・アガシ アンドレ・アガシ |