ホテルニューオータニ
ホテルニューオータニ | |
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ホテル概要 | |
正式名称 | ホテルニューオータニ |
ホテルチェーン | ニューオータニ |
設計 | 観光企画設計社 |
運営 | 株式会社ニューオータニ |
レストラン数 | 39軒 |
部屋数 | 1479室 |
開業 | 1964年(昭和39年)9月1日 |
最寄駅 | JR四ツ谷駅、東京メトロ赤坂見附駅、永田町駅、麹町駅 |
最寄IC | 首都高速都心環状線霞が関出入口 |
所在地 | |
位置 | 北緯35度40分51.132秒 東経139度44分2.821秒 / 北緯35.68087000度 東経139.73411694度座標: 北緯35度40分51.132秒 東経139度44分2.821秒 / 北緯35.68087000度 東経139.73411694度 |
公式サイト | 公式サイト |
ホテルニューオータニ(Hotel New Otani)は、東京都千代田区紀尾井町にあるホテル。
概要
[編集]日本の高層ビル時代を拓いた歴史的建築物であり、ブランド品などの店舗を館内に擁したプラザ型ホテルというコンセプトで知られている。運営は株式会社ニューオータニで、総支配人は清水肇(ニューオータニ代表取締役常務)、副総支配人は貝田康則(ニューオータニ取締役営業本部長)、グランシェフ(ニューオータニ取締役調理部長)は中島眞介である[1][2]。
沿革
[編集]1964年東京オリンピックを2年後に控えた1962年(昭和37年)、オリンピック委員会と政府は外国人来訪を約3万人と予想して受入れ施設の確保を計画し財界に打診すると、大谷重工業社長の大谷米太郎が受諾してホテル建設に着手する[3]。
場所は東京都千代田区紀尾井町で、古くから大名屋敷や旧伏見宮邸跡地であった約2万坪の敷地で、大谷家の私有地となっていた[4]。大成建設の施工で1963年(昭和38年)4月1日に着工した。ただ着工時に設計が全て終わっていたわけではなく、設計図を書きながら建設していくという突貫工事が行われた[5]。日が暮れても工事が続けられた現場は、不夜城にも喩えられた[6]。この結果、1964年(昭和39年)8月31日に竣工を迎えた。そして翌9月1日に現在のザ・メインを開業する。
地上17階[注 1]、地下3階、延べ床面積84411m2、客室数1085室のホテルを1年半で建設するためにユニットバス[注 2]や高性能カーテンウォールなど当時最新の合理化工法や、当時最高層の17階建てビルディングであるため後年に超高層ビルの基本となる柔構造理論設計を採用した。
シンボルともいえる最上階の回転ラウンジは、長らくブルースカイラウンジの名で親しまれて東京タワー等と並ぶ名所となった[6]。外国人観光客に富士山を堪能してもらおうと、大谷は完成まで1年と時間が無い中急遽ラウンジの設計を命じた[6]。このラウンジの回転機構には、戦艦大和の主砲塔を回転する技術を継承する尼崎製鉄(現神戸製鋼所)呉作業所で見つけ出した特殊な軸受が使用されている[10][11][5]。なお、ラウンジの回転は、2018年(平成30年)3月に安全上の理由より停止されている[12]。
10年後の1974年(昭和49年)9月1日、ザ・メインに隣接して新館のタワー(現在のガーデンタワー[注 3])を開業する[3]。地上40階、塔屋3階、地下1階、延床面積88,600m2、高さ144.5m。
1984年(昭和59年)9月4日、ザ・メインのロビーフロアに、当時のミシュラン三ツ星レストランであったパリの老舗レストラン、トゥール・ダルジャンの世界唯一の支店として、『トゥールダルジャン東京』を開業する[3]。
1991年(平成3年)2月8日、ニューオータニガーデンコートを開業する[3]。地上30階、地下3階、延床面積74,434m2、高さ134.7m。
2007年(平成19年)10月、ザ・メインをリニューアルオープンする。換気口を設けたフルハイトウィンドウ(全面窓)となり、眺望が改良される[3]。
2012年4月7日、宴会場で食事をした利用客59人がノロウイルスによる食中毒を発症し、ホテルは4月9日以降調理場の一部の使用を止め、千代田区から一部の調理場と宴会場には4月14日から6日間の営業停止処分が命じられた[13]。
歴代総支配人
[編集]- 岡田吉三郎 - 元ニューオータニ代表取締役副社長(初代総支配人)
- 大谷和彦 - 創業者大谷米太郎の孫で、現ニューオータニ社長
- 甲田浩 - 元ニューオータニ代表取締役副社長
- 清水肇 - 現ニューオータニ代表取締役常務取締役
歴代総料理長
[編集]- 小林作太郎
- 古谷春雄
- 福島正八 - 元ニューオータニ取締役総料理長、現武蔵野調理師専門学校校長
- 伊佐武二 - 前ニューオータニ総料理長、現ニューオータニ最高料理顧問
- 中島眞介 - 現ニューオータニ総料理長
館内
[編集]- ザ・メイン
- 宴会場
- 鶴
- 芙蓉
- edo ROOM
- PALAZZO OTANI(AZALEA・ACERO)
- 椿
- 橘
- 桜
- UTAGE
- おり鶴(舞・翔・麗・悠)
- AKATSUKI
- AKEBONO
- STELLA(1・2・3)
- LAPIS(1・2・3・L)
- レストラン
- VIEW&DINING THE Sky(ビュッフェダイニング、バー)
- Sky BAR(バー)
- Taikan En(チャイニーズキュイジーヌ)
- SATSUKI(コーヒーショップ)
- LA TOUR D'ARGENT(フランス料理)
- BAR CAPRI(バー)
- RIB ROOM(ステーキハウス)
- 岡半(すきやき、しゃぶしゃぶ)
- 久兵衛(寿司)
- ほり川(天麩羅)
- ほり川(日本料理)
- ふみぜん(とんかつ、季節料理)
- にいづ(そば、うなぎ)
- 伊勢廣(やきとり)
- トムCAT(ピッツァカフェ)
- ペシャワール(喫茶)
- 藍泉(割烹)
- RANSEN はなれ(バー)
- CAKE
- Patisserie SATSUKI(パン&ケーキ)
- PIERRE HERME PARIS(フレンチペストリー)
- 宴会場
- ガーデンタワー
- ガーデンコート
- ニューオータニ美術館
- 宴会場
- シリウス
- アリエス
- クレセント
- ボードルーム
- サミットイースト
- サミットウエスト
- レストラン
- KATO'S DINING&BAR(日本料理)
- 千羽鶴(料亭)
- GUN-SHIP(インターナショナル料理)
- ミルクホール(カフェテリア)
- 四季(寿司)
- TULLY'S COFFEE(カフェ&ラウンジ)
- 日本庭園
- レストラン
- 石心亭(鉄板焼)
- ガーデンレストラン清泉亭(鉄板焼)
- ガーデンレストランもみじ亭(鉄板焼)
- なだ万 山茶花荘(懐石料理)
- レストラン
- 新紀尾井町ビル
- レストラン
- AUX BACCHANALES(フレンチカフェレストラン・ベーカリー)
- レストラン
ギャラリー
[編集]-
西側、四谷、新宿方面を見る(2008年8月2日撮影)
-
南西側、青山、渋谷方面を見る(2008年8月2日撮影)
-
南側、赤坂見附、六本木方面を見る(2008年8月2日撮影)
-
南東側、永田町、霞ヶ関方面を見る(2008年8月2日撮影)
グループホテル
[編集]本ホテルが舞台となった作品・できごと
[編集]モダンで目立つ外観のため、多くの映画で背景になっている。映画『男はつらいよ』では寅さんが妹のさくらのお見合いを台無しにして、逆にこれが愛を深めるきっかけとなる。映画『007は二度死ぬ』では、作中で、悪役組織の日本の本拠「大里化学」の本社ビルとして登場する。
小説・映画『人間の証明』では、作中で、ホテルニューオータニの外見と被害者混血青年のダイイングメッセージ「ストウハ(=ストローハット)」が伏線[14]である。なお、作者である森村誠一は、ニューオータニへの勤務経験がある。
江川事件の発端となる江川卓投手の入団記者会見の会場となった。
アメリカのドラマ『フルハウス』の続編、『フラーハウス』では、当ホテルの日本庭園で結婚式のシーンを現地で撮影を行った[15]。
しかし、D.J.たちが着物を盗むシーンは、ロサンゼルスでのスタジオでロビーを模したセットで撮影したものである[16]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『親会社等の決算に関するお知らせ』(プレスリリース)株式会社テーオーシー、2020年6月29日。オリジナルの2020年12月3日時点におけるアーカイブ 。
- ^ “ホテルニューオータニグランシェフ 中島眞介さん”. 日本経済新聞. (2021年2月1日). オリジナルの2021年2月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e 富田昭次 (2014年10月24日). “ホテルニューオータニ開業50周年 開拓者として挑戦し続けてきた半世紀”. 週刊ホテルレストラン. オリジナルの2019年11月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “大成建設 山内隆司の 世界の風に吹かれて(17) 日本初の超高層ビル、ホテルニューオータニ〈前編〉”. 週刊ホテルレストラン. (2011年11月11日). オリジナルの2012年1月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 光文社「女性自身」2014年10月14日号(第57巻第37号)101頁 雑誌20302-10/14
- ^ a b c 鈴木 2016 58頁
- ^ 山川清弘 (2014年4月7日). “知られざる東京「ホテル御三家」の底力”. 東洋経済ONLINE オンライン (東洋経済新報社). オリジナルの2014年4月8日時点におけるアーカイブ。 2014年7月12日閲覧。
- ^ “「初代ユニットバス」発見 ニューオータニ 前回東京五輪で開発”. 東京新聞. (2014年7月22日). オリジナルの2014年8月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『平成28年度「建築設備技術遺産」に TOTOミュージアム所蔵の「初代ユニットバスルーム」が認定』(プレスリリース)TOTO株式会社、2016年5月20日。オリジナルの2019年4月5日時点におけるアーカイブ 。
- ^ “戦艦大和の技術遺産、日本に息づく 沈没から74年”. 日本経済新聞. (2019年4月7日). オリジナルの2021年3月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Vol.010 ホテルニューオータニ”. 地図に残る仕事. 大成建設. 2016年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
- ^ 川口敦子 (2020年12月18日). “狭くなった東京の空 回り続けて半世紀、レストランに幕”. 朝日新聞. オリジナルの2020年12月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ニューオータニで食中毒 18人からノロウイルス”. 日本経済新聞. (2012年4月13日). オリジナルの2021年3月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ 莫邦富 (2011年4月28日). “中国人観光客の心の琴線に触れる日本の懐メロ「草帽歌」・ニューオータニ”. ダイヤモンド・オンライン. オリジナルの2011年6月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ORICON NEWS「『フラーハウス』初の日本ロケ メイキング写真&エピソードを公開」” (2017年12月4日). 2022年6月19日閲覧。
- ^ “ベルボーイ役のミンチ・ムラカミのInstagramの位置情報より” (2017年8月25日). 2022年6月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 鈴木伸子 (2016年). シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド. リトル・モア. ISBN 978-4898154458。