コンテンツにスキップ

ヘレン・ツィレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘレン・ツィレ
Helen Zille
ヘレン・ツィレ
生年月日 (1951-03-03) 1951年3月3日(73歳)
出生地 南アフリカの旗 南アフリカ連邦トランスヴァール州ヨハネスブルグ
出身校 ウィットウォーターズランド大学文学部卒業
前職 新聞記者
所属政党 民主同盟
公式サイト Helen Zille

在任期間 2009年5月6日 -

当選回数 1回
在任期間 2006年3月15日 - 2009年4月30日

第2代 民主同盟党首
在任期間 2007年5月6日 - 2015年5月10日
テンプレートを表示

ヘレン・ツィレ英語: Helen Zille1951年3月3日 - )、南アフリカ共和国政治家。現在、西ケープ州首相。ケープタウン市長、民主同盟党首(第2代)を歴任した。

概要

[編集]

ヨハネスブルグ出身。ランド・デイリーメールの政治記者からケープタウンの教育管理者を経て下院議員。ケープタウンの市議会でアフリカ民族会議を抑えて民主同盟を第1党に導き、市長に就任。翌年から民主同盟党首。2008年、ワールド・メイヤーに選出された。この間、黒人女性であるリンディエ・マジブコを議会党首[1]に起用するなど、「白人中間層の政党」と見なされていた民主同盟の非白人からの支持、特に黒人層への支持拡大に努めた[2]。2015年5月、8年間務めた党首の座を退いた[3]

2017年3月、ツイッター上で植民地主義について、独立した司法、輸送インフラ、水道など負の面ばかりではなかったとツイートした。植民地主義を肯定するものだとして非難され、身内の民主同盟から停職処分を受けた(ただし西ケープ首相には留まった)。

略歴

[編集]

両親はドイツ系ユダヤ人で、ナチス・ドイツの迫害を逃れて南アフリカへ移住した。母のミラ・ツィレは、白人女性からなる反アパルトヘイト運動の活動家であった。

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 議会において党を代表する役職で、通常は党首が兼任するが、党首に就任したツィレは国会議員とならずケープタウン市長の立場を選択したため、別個に議会党首を選出した。
  2. ^ 佐藤千鶴子 (2014年). “2014年南アフリカ総選挙-民主同盟の支持拡大-” (PDF). アフリカレポート. アジア経済研究所. p. 48. 2015年5月12日閲覧。
  3. ^ “南アの最大野党・民主同盟に初の黒人党首 34歳のマイマネ氏”. AFPBB. (2015年5月11日). https://www.afpbb.com/articles/-/3048049 2015年5月12日閲覧。 

外部リンク

[編集]
公職
先代
リンネ・ブラウン英語版
西ケープ州首相
2009 -
次代
(現職)
先代
ノマインディア・ムフェケト英語版
ケープタウン市長
2006 - 2009
次代
ダン・プラト英語版
党職
先代
トニー・レオン
民主同盟党首
2007 - 2015
次代
ミッシュ・マイマネ英語版