コンテンツにスキップ

デヴィッド・ベントリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デイヴィッド・ベントリー
名前
本名 デイヴィッド・マイケル・ベントリー
David Michael Bentley
愛称 ベント
ラテン文字 David BENTLEY
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1984-08-27) 1984年8月27日(40歳)
出身地 ピーターバラ
身長 173cm
体重 76kg
選手情報
ポジション MFSH / OH) / FWWG / ST
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2006 イングランドの旗 アーセナル 1 (0)
2004-2005 イングランドの旗 ノリッジ (loan) 26 (2)
2005-2006 イングランドの旗 ブラックバーン (loan) 14 (0)
2006-2008 イングランドの旗 ブラックバーン 88 (13)
2008-2013 イングランドの旗 トッテナム 42 (3)
2011 イングランドの旗 バーミンガム (loan) 13 (0)
2011-2012 イングランドの旗 ウェストハム (loan) 5 (0)
2012-2013 ロシアの旗 ロストフ (loan) 7 (0)
2013 イングランドの旗 ブラックバーン (loan) 5 (0)
通算 201 (18)
代表歴
2005-2007 イングランドの旗 イングランド U-21 8 (4)
2007 イングランドの旗 イングランド B 1 (0)
2007-2008 イングランドの旗 イングランド 7 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

デイヴィッド・マイケル・ベントリーDavid Michael Bentley, 1984年8月27日 - )は、イギリスイングランド)・ケンブリッジシャー州ピーターバラ出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。現役時代はイングランド代表

経歴

[編集]

クラブ

[編集]

2001年アーセナルFCに入団、当時はフォワードで”ベルカンプの後継者”と将来を嘱望されていた。2002年にトップチームに昇格したが、トップチームでは芽が出ず、アーセン・ヴェンゲル監督に見限られながらも、2004-05シーズンにレンタル先のノリッジ・シティで頭角を現わした。そして、移籍先のブラックバーン・ローヴァーズとイングランドU-21代表の主力となった。 アーセナル時代にはセンターフォワードとしてプレーしていたが、ノリッジ移籍後にサイドハーフに固定された。正確なクロスを持ち味としていたことや、ファーストネームから”ベッカムの後継者”と呼ばれるようになる。

2008-09シーズン夏季移籍期間にトッテナム・ホットスパーに、移籍金1700万ポンドで移籍した[1]。しかしトッテナムでは本領を発揮できず、その後もバーミンガム・シティウェストハム・ユナイテッドFCFCロストフと転々とし、2013年に古巣ブラックバーンに復帰するもそこでも復活することはできなかった。

2013年にトッテナムを契約満了につき退団、それからは無所属が続いており、2014年6月13日、29歳の若さにして現役引退を発表した。

現役引退後は、スペインでレストランを経営している[2]

代表

[編集]

代表では、U-15に初選出されて以後、U-16、U-18、U-21と各年代の代表チームの主力選手として活躍。U-18では主将も務めた。フル代表には、2007年6月2日ブラジル戦に初招集をされたがベンチ入りするも出番はなかった。2007年9月8日EURO2008予選イスラエル戦で代表デビューを果たした。

エピソード

[編集]

2009年7月12日レストランで友人と食事中に、近寄ってきた男に突然殴られる事件があった[3]

タイトル

[編集]
トッテナム・ホットスパーFC
バーミンガム・シティFC
  • カーリング・カップ : (1) 2010-11

脚注

[編集]
  1. ^ http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/7530967.stm 閲覧:2008年9月8日
  2. ^ Qoly (2015年7月19日). “ヤンゼンだけじゃない!早すぎる引退が惜しい名選手たち”. 2017年5月28日閲覧。
  3. ^ スポーツナビ (2009年7月13日). “トッテナムのベントリー、顔面を殴打される”. 2009年7月13日閲覧。

この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。

外部リンク

[編集]