コンテンツにスキップ

ディエゴ・ウリッシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディエゴ・ウリッシ
Diego Ulissi
基本情報
本名 Diego Ulissi
ディエゴ・ウリッシ
生年月日 (1989-07-15) 1989年7月15日(35歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
身長 175cm
体重 61kg
選手情報
所属 UAE チーム・エミレーツ
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 パンチャー
プロ経歴
2010– ランプレ
ランプレ・メリダ
UAE チーム・エミレーツ
主要レース勝利
グランプリ・シクリスト・ド・モンレアル (2017)
ジロ・デ・イタリア
 区間8勝 (2011, 2014, 2015, 2016, 2020)
ツール・ド・ポローニュ 区間優勝
ツアー・ダウンアンダー 区間優勝
ツール・ド・スイス 区間優勝
ミラノ〜トリノ (2013)
ジロ・デッレミリア (2013)
最終更新日
2024年8月19日

ディエゴ・ウリッシ(Diego Ulissi、1989年7月15日 - )は、イタリアチェーチナ出身の自転車競技ロードレース)選手。

経歴

[編集]

2010年、ランプレ=ファルネーゼ・ヴィーニ(現 ランプレ・メリダ)と契約。

2011年、ジロ・デ・イタリア 第17ステージにおいて、ジョヴァンニ・ヴィスコンティパブロ・ラストラスヤン・バケランツとの4人のゴールスプリント争いとなり、ゴール直前で先頭に立ったが、ウリッシの後位から道沿いへとチェンジオブスペースを試みたヴィスコンティが、ウリッシのコース取りが邪魔だとして右手でウリッシを払いのけながら1着で入線し、以下同タイムでウリッシ、ラストラスと続いた。しかし、前述のヴィスコンティの行為が違反とみなされ、ヴィスコンティは3位に降着。ウリッシが繰り上がって区間優勝を果たした[1]

2013年、ツール・ド・ポローニュ第1ステージにて並み居る強豪を抑え、1級山岳を制して優勝[2]

2014年、ツアー・ダウンアンダー第2ステージでは得意の登りスプリントで勝利[3]ジロ・デ・イタリアでは第5ステージ[4]、第8ステージ[5]の山岳フィニッシュを制して勝負強さを見せたが、期間中のドーピング検査で陽性となり暫定的に出場停止状態に置かれた[6]。同年9月に疑いが晴れ復帰している[7]

2015年、ジロ・デ・イタリア第7ステージでも登りスプリントを制して優勝[8]

2016年のジロ・デ・イタリアも安定した強さを見せ、第4ステージ[9]、第11ステージ[10]で優勝。通算勝利数を6に増やした。

2020年、ジロ・デ・イタリアで第2、13ステージで優勝。通算勝利数を8に増やした。

主な戦績

[編集]

2005年

[編集]

2006年

[編集]

2007年

[編集]

2010年

[編集]

2011年

[編集]

2012年

[編集]

2013年

[編集]

2014年

[編集]

2015年

[編集]

2016年

[編集]

2017年

[編集]

2018年

[編集]

2019年

[編集]

2020年

[編集]

2021年

[編集]

2022年

[編集]

2023年

[編集]

2024年

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ ジロ・デ・イタリア2011第17ステージ ヴィスコンティ失意の降格 勝利は21歳のウリッシの手に
  2. ^ ツール・ド・ポローニュ2013第1ステージ ポーランド一周が北イタリアで開幕 1級山岳ゴールでウリッシが勝利
  3. ^ ツアー・ダウンアンダー2014第2ステージ速報 ランプレメリダのウリッシが登りスプリント勝利!新城幸也は43位
  4. ^ ジロ・デ・イタリア2014第5ステージ ランプレメリダのウリッシが登りスプリント制覇 新城幸也が落車
  5. ^ ジロ・デ・イタリア2014第8ステージ ウリッシが1級山岳モンテコピオーロで2勝目 エヴァンスが総合首位に立つ
  6. ^ ディエゴ・ウリッシ ドーピング陽性 ジロでステージ2勝を果たしたディエゴ・ウリッシがサルブタモール陽性
  7. ^ ディエゴ・ウリッシがレース復帰へ サルブタモール陽性により暫定出場停止中のウリッシがレース復帰
  8. ^ ジロ・デ・イタリア2015第7ステージ 最長ステージでウリッシが登りスプリント制覇 コンタドールは首位を守る
  9. ^ ジロ・デ・イタリア2016第4ステージ 最大勾配18%の登りで抜け出したウリッシが独走勝利 2位のドゥムランが首位奪回
  10. ^ ジロ・デ・イタリア2016第11ステージ マリアローザを含む3名の逃げ切り決まる ウリッシが今大会2勝目をマーク

参考文献

[編集]