チェルケスク
チェルケスク Черкесск | |||
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位置 | |||
ロシア内のカラチャイ・チェルケス共和国の位置 | |||
座標 : 北緯44度13分 東経42度3分 / 北緯44.217度 東経42.050度 | |||
歴史 | |||
建設 | 1804年 | ||
行政 | |||
国 | ロシア | ||
連邦管区 | 南部連邦管区 | ||
行政区画 | カラチャイ・チェルケス共和国 | ||
市 | チェルケスク | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 66 km2 | ||
標高 | 530 m | ||
人口 | |||
人口 | (2021年現在) | ||
市域 | 113,226人 | ||
備考 | [1] | ||
その他 | |||
等時帯 | モスクワ時間 (UTC+3) | ||
郵便番号 | 3690XX | ||
市外局番 | +7 8782 | ||
ナンバープレート | 09 |
チェルケスク(ロシア語・カラチャイ・バルカル語・カバルド語: Черкесск, Cherkessk)はロシア連邦の都市。北コーカサス西部に位置するカラチャイ・チェルケス共和国の首都。人口は11万3226人(2021年)。クバン川の右岸に位置する。20km北にはカラチャイ・チェルケス共和国とスタヴロポリ地方との境界が走る。最寄りの町は16km南西にあるカラチャイ・チェルケスの街ウスチ・ジェグタと、47km北にあるスタヴロポリ地方の街ネヴィンノムイスク。
1804年にクバン・コサックらにより、ロシア帝国の南の国境を守るための軍の基地が建設され、1825年に要塞からスタニツァ(村)の地位を得た。1825年当時はバタルパシンスカヤ(Баталпашинская, Batalpashinskaya)と呼ばれ、1880年にはクバン地方の行政中心地となった。1931年に市となりバタルパシンスクと改名されたが、その後何度も改称された。1934年にソビエト連邦の政治家ダニル・スリモフの栄誉をたたえスリモフ(Сулимов, Sulimov)に、1937年にスリモフが粛清されると内務人民委員部(NKVD)の長官ニコライ・エジョフにちなみイェジョヴォ・チェルケスク(Ежого-Черкесск)に、さらにエジョフが粛清された1939年にはチェルケスクと改称され現在に至っている。
1989年の国勢調査では、カバルド人が35.0%、ロシア人が33.0%、カラチャイ人が20.7%、アバザ人が11.5%を占めた。その他、少数派としてノガイ人、ギリシア人、アルメニア人が住む。
カラチャイ・チェルケス共和国の中心として、多くの大学および大学分校が所在する。また劇団、交響楽団、コサックダンスグループなどが本拠を置く。かつては一農村であり、現在は電器、皮革、食品産業などが立地する。ロストフ・ナ・ドヌとバクー方面を結ぶ北コーカサスの幹線である高速道路M29が近くを通るほか、市内にはトロリーバスが走る。
脚注
[編集]- ^ “city population”. 2 May 2023閲覧。