ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル (初代バッキンガム侯爵)
初代バッキンガム侯爵 ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル George Nugent-Temple-Grenville 1st Marquess of Buckingham | |
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トマス・ゲインズバラ画のバッキンガム侯 | |
生年月日 | 1753年6月17日 |
出生地 |
グレートブリテン王国 イングランド ロンドン |
没年月日 | 1813年2月11日(59歳没) |
死没地 |
グレートブリテン王国 イングランド バッキンガムシャー |
出身校 | オックスフォード大学クライスト・チャーチ |
所属政党 | ホイッグ党 |
称号 | 初代バッキンガム侯爵、第3代テンプル伯爵、第2代ニュージェント伯爵、第4代コバム子爵、第4代コバム男爵、ガーター勲章ナイト(KG)、枢密顧問官(PC) |
配偶者 | メアリー(旧姓ニュージェント) |
親族 | ジョージ・グレンヴィル(父)、トマス・グレンヴィル(長弟)、初代グレンヴィル男爵(次弟)、小ピット(従弟) |
内閣 | 第一次小ピット内閣 |
在任期間 | 1783年12月19日 - 1783年12月23日 |
庶民院議員 | |
選挙区 | バッキンガムシャー選挙区 |
在任期間 | 1774年 - 1779年 |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1779年 - 1813年 |
初代バッキンガム侯爵ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル(英語: George Nugent-Temple-Grenville, 1st Marquess of Buckingham, KG, KP, PC、1753年6月17日 - 1813年2月11日)は、イギリスの政治家、貴族。
経歴
[編集]1753年6月17日、後に首相を務める政治家ジョージ・グレンヴィルとその妻エリザベス(第3代準男爵サー・ウィリアム・ウィンダムの娘)の間の長男としてロンドンに生まれる[1][2]。
イートン校をへてオックスフォード大学クライスト・チャーチで学ぶ[2]。
1774年から1779年にかけて バッキンガムシャー選挙区から選出されてホイッグ党の庶民院議員を務める[1][2]。1775年にはロバート・ニュージェントの娘メアリーと結婚した(ロバート・ニュージェントは翌1776年にジョージへの特別継承権を認めたアイルランド貴族爵位ニュージェント伯爵に叙されている)[3]。
1779年9月に死去した伯父の第2代テンプル伯爵リチャード・グレンヴィルから第3代テンプル伯爵位を継承し、貴族院議員に転じた。またこの際に勅許をえて家名を「グレンヴィル」から「ニュージェント=テンプル=グレンヴィル」に改めた[1][2]。
1782年7月から1813年6月にかけてバッキンガムシャー知事を務めた。1782年から1783年にかけてはアイルランド総督を務めた。1783年2月5日には聖パトリック騎士団(勲章)グランド・マスターとなる。1783年中にごく短期間だが、外務大臣や内務大臣を務めた。1784年12月にはバッキンガム侯爵に叙された。1787年から1789年にかけてアイルランド総督に再任した[1][2]。
1788年10月に岳父が死去し、第2代ニュージェント伯爵位を継承した[2]。1801年にはガーター勲章に叙せられた[1][2]。
栄典
[編集]爵位
[編集]1779年9月12日に死去した伯父リチャード・グレンヴィルから以下の爵位を継承した[2][4][5]
- 第3代テンプル伯爵 (3rd Earl Temple)
- (1749年10月18日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第4代コバム子爵 (4th Viscount Cobham)
- ケント州におけるコバムの第4代コバム男爵 (4th Baron Cobham, of Cobham in the County of Kent)
- (1718年5月23日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
1784年12月4日に以下の爵位を新規に与えられた[2][1]。
- 初代バッキンガム侯爵 (1st Marquess of Buckingham)
- (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
1788年10月13日に妻の父ロバート・ニュージェントから特別継承規定(special remainder)で以下の爵位を継承[2][3]。
勲章
[編集]- 1801年5月29日、ガーター騎士団(勲章)ナイト(KG)[2]
家族
[編集]1775年に初代ニュージェント伯爵ロバート・ニュージェントの娘メアリー・エリザベス(1758-1812)と結婚した。彼女は1800年に「ウェストミース州におけるニュージェントのニュージェント女男爵(Baroness Nugent of Carlanstown, in the County of Westmeath)」に叙されたが、この爵位は次男ジョージに継がせるとの特別継承権付であった[6]。彼女との間に以下の3子を儲けた[2]。
- 長男リチャード・テンプル=ニュージェント=ブリッジス=シャンドス=グレンヴィル (1776-1839) : 第2代バッキンガム侯爵を継承し、初代バッキンガム=シャンドス公爵に叙される
- 長女メアリー・アン・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル (1787-1845) : 第10代ウォーダーのアランデル男爵ジェイムズ・アランデルと結婚
- 次男ジョージ・ニュージェント=グレンヴィル (1789-1850) : 母から第2代ニュージェント男爵を継承
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Buckingham, Marquess of (GB, 1784 - 1889)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m Lundy, Darryl. “George Nugent-Temple-Grenville, 1st Marquess of Buckingham” (英語). thepeerage.com. 2015年11月26日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Robert Nugent, 1st Earl Nugent” (英語). thepeerage.com. 2015年11月26日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Temple, Earl (GB, 1749 - 1889)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月26日閲覧。
- ^ Heraldic Media Limited. “Cobham, Viscount (GB, 1718)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月26日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Mary Elizabeth Nugent, Baroness Nugent of Carlanstown” (英語). thepeerage.com. 2015年11月26日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 リチャード・ラウンデス 第2代ヴァーニー伯爵 |
バッキンガムシャー選挙区選出庶民院議員 1774年 – 1779年 同一選挙区同時当選者 第2代ヴァーニー伯爵 |
次代 第2代ヴァーニー伯爵 トマス・グレンヴィル |
公職 | ||
先代 第2代マクルスフィールド伯爵 |
国庫会計係 1763年 – 1813年 |
次代 スペンサー・パーシヴァル |
先代 第3代ポートランド公爵 |
アイルランド総督 1782年 – 1783年 |
次代 第2代ノースイントン伯爵 |
先代 チャールズ・ジェームズ・フォックス |
外務大臣 1783年 |
次代 カーマーゼン侯爵 |
先代 ノース卿 |
内務大臣 1783年 |
次代 初代シドニー男爵 |
先代 第3代ポートランド公爵 |
貴族院院内総務 1783年 | |
先代 第4代ラトランド公爵 |
アイルランド総督 1787年 – 1789年 |
次代 第10代ウェストモアランド伯爵 |
名誉職 | ||
先代 第5代チェスターフィールド伯爵 |
バッキンガムシャー知事 1782年 – 1813年 |
次代 第2代バッキンガム侯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
爵位創設 | 初代バッキンガム侯爵 1784年–1813年 |
次代 リチャード・テンプル=グレンヴィル |
先代 リチャード・グレンヴィル=テンプル |
第3代テンプル伯爵 1779年–1813年 | |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ロバート・ニュージェント |
第2代ニュージェント伯爵 1788年–1813年 |
次代 リチャード・テンプル=グレンヴィル |