コーンウォール (重巡洋艦)
コーンウォール | |
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基本情報 | |
建造所 | イングランド、デヴォン州、プリマス、デヴォンポート海軍基地 |
運用者 | イギリス海軍 |
級名 | カウンティ級(ケント級)重巡洋艦 |
艦歴 | |
起工 | 1924年10月19日 |
進水 | 1926年3月11日 |
就役 | 1928年5月8日 |
最期 | 1942年4月5日、セイロン沖海戦にて戦没。 |
要目 | |
基準排水量 | 9,850 トン |
満載排水量 | 13,520 トン |
全長 | 630 ft (192.0 m) |
最大幅 | 68 ft 5 in (20.9 m) |
吃水 | 20 ft 6 in (6.2 m) |
主缶 | アドミラリティ式三胴型水管ボイラー×8基 |
主機 | パーソンズ式ギアード・タービン×4基 |
出力 | 80,000 hp (60,000 kW) |
推進器 | スクリュープロペラ×4軸 |
最大速力 | 31.5ノット (58.3 km/h) |
航続距離 | 13,000海里 (24,000 km)/12kn |
乗員 | 784 名 |
兵装 |
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装甲 |
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搭載機 | 水上機×3機(1942年まで) |
その他 | 艦載機用カタパルト×1基(1942年まで) |
HMS コーンウォール (HMS Cornwall, 56) は、イギリス海軍のカウンティ級重巡洋艦[注釈 1][注釈 2]。ケント級重巡洋艦に分類されることもある[2][3]。艦名はイングランド南西部のコーンウォール州にちなむ。
艦歴
[編集]1924年10月9日にデヴォンポートで起工し、1926年3月11日に進水[1]。1928年5月8日に就役した[1]。中国艦隊の第5巡洋艦戦隊に配備され、極東にむかう。
1929年10月、姉妹艦「ケント」や空母「ハーミーズ」等と共に日本を訪問し、各艦は日本列島の各地に寄港する[4]。「コーンウォール」は長崎県長崎港(8日~14日)[5]、大分県別府港(16日~21日)[6]、静岡県清水港(22日~30日)に入港した[7]。
1930年4月、「コーンウォール」は神奈川県横浜港(14日~22日)や[8]、兵庫県神戸港(23日~29日)に[9]、それぞれ寄港して滞在した。
1934年11月、イギリス艦隊が日本各地を訪問する[10]。「コーンウォール」は横浜港(2日~12日)と[11]、神戸港(13日~19日)に[12]、それぞれ滞在した。
1935年10月、イギリス海軍の重巡「ドーセットシャー」やD級巡洋艦多数が日本を訪問するが、「コーンウォール」は朝鮮半島に留まり来日していない[13]。
1936年7月、イギリス本国に戻り、修理と改装を行う[注釈 3][15]。1937年12月に改装を終え、第2巡洋艦戦隊に配備されたあと、古巣の第5巡洋艦戦隊に戻った。
1939年9月、第二次世界大戦が始まる。連合国の海軍に対して劣勢のドイツ海軍は通商破壊を開始、Uボートと共に仮装巡洋艦やドイッチュラント級装甲艦[16](通称 “ポケット戦艦”)を大西洋やインド洋に放った[17]。「コーンウォール」は装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」の捜索に従事した。
1940年7月、イギリスに戻る。8月、再びイギリスを離れ西アフリカでダカール沖海戦に参加[15]、また自由フランス軍のカメルーン、ドゥアラ占領を支援した。同年12月からは南アフリカのサイモンズタウンを拠点に南大西洋とインド洋で多数の船団を護衛した。
1941年4月29日にドイツ仮装巡洋艦「ピンギン」に沈められたイギリス船「Clan Buchanan」の信号が受信されると、「コーンウォール」などはモンバサから出撃した[15][18]。5月7日にはタンカー「British Emperor」が「ピンギン」に沈められた[19]。「British Emperor」の発した信号を受信すると「コーンウォール」は現場へと急行し、翌日「ピンギン」を捉えた[19]。戦闘となったとき「コーンウォール」は不具合が発生していてすぐに反撃ができず、また被弾により操舵装置が被害を受けたが、その後与えた命中弾が「ピンギン」に搭載されていた爆雷を爆発させ、「ピンギン」は爆沈した[20]。「コーンウォール」では電気系統に被害が生じたことで機関室が高温となり、熱射病による死者が1名でた[21]。この戦闘での「コーンウォール」の被弾は2発で、一方4発の命中弾を与えた[22]。
1942年月、東洋艦隊に加わる。ジェームズ・サマヴィル提督(東洋艦隊司令長官)直率の高速部隊と分離して行動中の4月5日、セイロン島の南東約320kmのインド洋で日本海軍の南雲機動部隊から飛来した江草隆繁少佐(空母「蒼龍」飛行隊長)率いる九九式艦爆隊(蒼龍18、飛龍18、赤城17、合計53機)の急降下爆撃を受ける[23]。重巡洋艦「ドーセットシャー」とともに僅か10数分で撃沈された[24]。コーンウォールへの命中弾は9発、至近弾は6発であったという[25]。
生存者はサメのいる海を漂流することになった[26]。サメは多数いたが、生きている者には襲い掛からなかった[26]。なお重巡2隻の沈没を知ったサマヴィル提督は、指揮下の軽巡洋艦「エンタープライズ」および駆逐艦2隻[注釈 4]を救助に派遣した[27]。4月6日の午後遅く、3隻は1122名を救助した[26]。ドーセットシャーでは190名が死亡した[26]。
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空襲下のコーンウォールとドーセットシャー
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沈没寸前の英重巡「コーンウォール」[28]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 36–37.
- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, pp. 74–75イギリス/重巡洋艦「ケント」級 KENT CLASS
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 81(原本144-145頁)一等巡洋艦ケント
- ^ 「海軍公報 第805号 昭和4年9月19日(木) pp.21-22」 アジア歴史資料センター Ref.C12070322400 〔 ○英艦本邦來航豫定 〕
- ^ #ケント他4隻来訪 p.21(コーンウォール長崎入港)
- ^ #ケント他4隻来訪 p.35(コーンウォール別府入港)、同資料 p.41(コーンウォール別府出港)
- ^ #ケント他4隻来訪 p.42(コーンウォール清水入港)、同資料 p.45(コーンウォール清水出港)
- ^ #官房1161、コーンウォール pp.5-6(コーンウォール横浜入港)
- ^ #官房1161、コーンウォール p.9(コーンウォール神戸入港)、同資料 p.10(コーンウォール神戸出港)
- ^ #官房3976、コーンウォール等寄港 pp.3-4およびpp.7-8(英国軍艦来航予定)
- ^ #官房3976、コーンウォール等寄港 p.13(コーンウォール横浜出港)
- ^ #官房3976、コーンウォール等寄港 p.14(コーンウォール神戸入港)、同資料 p.19(コーンウォール神戸出港)
- ^ 「海軍公報 第2556号 昭和10年9月3日(火) pp.7-8」 アジア歴史資料センター Ref.C12070351700 〔 ○英國東洋艦隊來航豫定 〕
- ^ 世界の艦船、写真シリーズ(3)巡洋艦 2007, p. 71「コーンウォール」Cornwall
- ^ a b c Wright, Malcolm (2017) (英語). British and Commonwealth Warship Camouflage of WW II: Cruisers, Minelayers, and Armed Merchant Cruisers. 3. 47 Church St., Barnsley S70 2AS: Seaforth Publishing. p. 59. ISBN 9781848324206
- ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 130ドイツ/重巡洋艦(装甲艦)「ドイッチュラント」級 DEUTSCHLAND CLASS
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 106■ドイツの仮装巡洋艦
- ^ Hitler's Secret Pirate Fleet, p. 122-123
- ^ a b Hitler's Secret Pirate Fleet, p. 123
- ^ 『ドイツ仮装巡洋艦vsイギリス巡洋艦』59-60ページ、German Raiders of World War II, p. 163
- ^ Hitler's Secret Pirate Fleet, p. 124
- ^ 『ドイツ仮装巡洋艦vsイギリス巡洋艦』60ページ
- ^ 日本空母戦史 1977, pp. 182–184英重巡二隻を撃沈(四月五日) ― 二百五十キロ爆弾への自信深まる ―
- ^ 烈将山口多聞 1989, pp. 161–162.
- ^ 世界の艦船、写真シリーズ(3)巡洋艦 2007, p. 120(コーンウォール解説)
- ^ a b c d e Battle Summaries 15, 16, p. 10
- ^ 日本空母戦史 1977, p. 186.
- ^ 太平洋戦争大全 海空戦編p.82『インド洋作戦=セイロン島沖海戦 一九四二年四月五日〜九日』 ビジネス社
参考文献
[編集]- 生出寿『烈将 山口多聞』徳間書店〈徳間文庫〉、1989年8月。ISBN 4-19-598853-5。
- 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。
- 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『写真シリーズ 軍艦の構造美を探る(3) 巡洋艦 WORLD CRUISERS IN REVIEW』株式会社海人社〈世界の艦船 別冊〉、2007年6月。
- 編集人 木津徹、発行人 石渡長門『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。
- ロバート・フォーチェック、宮永忠将(訳)『ドイツ仮装巡洋艦vsイギリス巡洋艦 大西洋/太平洋1941』大日本絵画、2011年、ISBN 978-4-499-23046-9
- 本吉隆(著)、田村紀雄、吉原幹也(図版)「イギリスの巡洋艦」『第二次世界大戦 世界の巡洋艦 完全ガイド』イカロス出版株式会社、2018年12月。ISBN 978-4-8022-0627-3。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍研究社編輯部 編『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1935年版』海軍研究社、1935年5月 。
- 海軍研究社編輯部 編『ポケット海軍年鑑 : 日英米仏伊独軍艦集. 1937,1940年版』海軍研究社、1937年2月 。
- James P. Duffy, Hitler's Secret Pirate Fleet: The Deadliest Ships Of World War II, University of Nebraska Press, 2005, ISBN 0-8032-6652-9
- August Karl Muggenthaler, German Raiders of World War II, Englewood Cliffs, 1977, ISBN 0-13-354027-8
- Battle Summaries: No.15 Naval Operations off Ceylon 29th March to 10th April, 1942, No.16 Naval Operations at the Capture of Diego Suarez (Operation IRONCLAD) May, 1942
- アジア歴史資料センター(公式)
- 『英国軍艦「ケント」他4隻本邦来航の件』。Ref.C04016607000。
- 『官房第935号 5.4.1 英国軍艦「コーンウォール」外1隻本邦来航方の件』。Ref.C05021075700。
- 『官房第1161号 5.4.14 英国軍艦「コーンウォール」外1隻本邦来航方の件』。Ref.C05021075800。
- 『官房第3976号 9.9.10 英国軍艦「ケッペル」外駆逐艦4隻並「ケント」「コーンウォール」「ケープタウン」及「メドウェ-」外潜水艦6隻本邦寄港に関する件』。Ref.C05023467600。
- 『第3042号 昭和4年10月7日 「コンウォール」寄港予定変更の件』。Ref.C11080481700。
関連項目
[編集]- コーンウォール- 初代。1692年進水の80門3等戦列艦
- コーンウォール - 2代目。アロガント級戦列艦
- コーンウォール- 3代目。ヴァンジュール級戦列艦
- ウェルズリー- ブラック・プリンス級戦列艦。晩年に改名され4代目となる。
- コーンウォール- 5代目。モンマス級装甲巡洋艦
- コーンウォール- 7代目。22型フリゲート