富澤清太郎
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名前 | ||||||
愛称 | カンペー | |||||
カタカナ | トミサワ セイタロウ | |||||
ラテン文字 | TOMISAWA Seitaro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1982年7月8日(42歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市港北区 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | SC相模原 | |||||
ポジション | MF / DF | |||||
背番号 | 3 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1994 | 読売日本SCユースS | |||||
1995-1997 | 読売日本SCジュニアユース | |||||
1998-2000 | 読売日本SCユース | |||||
1998-2000 | ヴェルディ川崎 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2011 | 東京ヴェルディ1969 | 184 | (7) | |||
2005 | →ベガルタ仙台 (loan) | 14 | (0) | |||
2012-2015 | 横浜F・マリノス | 85 | (9) | |||
2015-2016 | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 41 | (3) | |||
2017-2018 | アルビレックス新潟 | 44 | (0) | |||
2019- | SC相模原 | 34 | (4) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
富澤 清太郎(とみさわ せいたろう、1982年7月8日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー(守備的ミッドフィールダー)、ディフェンダー(センターバック)。
来歴
クラブ
幼少時から東京ヴェルディの前身に当たる読売日本サッカークラブの下部組織でプレー。
2001年、トップチームに昇格するも、レギュラー獲得には至らず。
2005年、ベガルタ仙台に期限付き移籍。仙台では定位置をつかみかけたものの、シーズン途中で右足腓骨骨折の重傷を負い、後半戦はリハビリで棒に振った。
2006年、ヴェルディに復帰。前年の骨折が治りきっておらず3月に手術した影響でシーズン序盤は欠場したが、7月12日第27節の仙台戦で復帰。その後は徐々に出番を増やし、後半戦はスタメンに定着した。2007年は土屋征夫の加入などもあり出番は流動的だったが、30試合に出場、J1昇格に貢献した。2008年は土屋と那須大亮がスタメンで固定されたため、ボランチやサイドバックとしての起用が多かった。2010年よりチームキャプテンを務めた。
2012年より横浜F・マリノスへ移籍。小椋祥平、兵藤慎剛、中町公祐ら中盤の厚い選手層の中で、ボランチとして多くの出場機会を得て、いくつか重要なゴールを決めた。トップ下の中村俊輔とも良好な関係を築き、久々に上位進出を果たした横浜を支えた。2013年はダブルボランチの一角として先発に定着し、チームのリーグ戦2位、21年ぶり7回目の天皇杯優勝に貢献。同年、自身初となるJリーグ優秀選手賞を受賞した。
2015年7月8日、ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍した[1]。2015年はセンターバック、2016年はボランチで主にプレー。2016年は副キャプテンを務めた。同年限りで契約満了により千葉を退団。
2017年よりアルビレックス新潟に完全移籍した[2]。2018年限りで契約満了により新潟を退団した[3]。
その他
- 「カンペー」のあだ名は小学生時代につけられ、間寛平に似ていることに由来している。
- ニンテンドーDSのボンバーマン愛好者であり、遠征バスの中で通信対戦をよくやっている。ヴェルディ時代「ヴェルディの中では1番強い」と選手たちに言われていた。富澤はボンバーマンについて「サッカーに似ていて、奥が深い」と語っている。
- マリノスのチャントでは「日吉のヒーロー、漢・富澤」と歌われていた。新潟でのチャントは、アニメ「キン肉マン」のオープニングテーマ「キン肉マン Go Fight!」(串田アキラ)が原曲となっている。
所属クラブ
- ユース経歴
- - 1994年 読売日本SCユースS (現・ヴェルディジュニア) (横浜市立駒林小学校)
- 1995年 - 1997年 読売日本SCジュニアユース (現・ヴェルディジュニアユース) (横浜市立日吉台西中学校)
- 1998年 - 2000年 読売日本SCユース (現・ヴェルディユース) (東京実業高等学校)
- 1999年 - 2000年 ヴェルディ川崎 (2種登録選手)
- プロ経歴
- 2001年 - 2011年 東京ヴェルディ1969/東京ヴェルディ
- 2012年 - 2015年7月 横浜F・マリノス
- 2015年7月 - 2016年 ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2017年 - 2018年 アルビレックス新潟
- 2019年 - SC相模原
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 東京V | 24 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
2002 | 14 | 10 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | ||
2003 | 6 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 11 | 0 | |||
2004 | 1 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | |||
2005 | 仙台 | 4 | J2 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0 | |
2006 | 東京V | 14 | 18 | 3 | - | 0 | 0 | 18 | 3 | ||
2007 | 30 | 1 | - | 1 | 0 | 31 | 1 | ||||
2008 | J1 | 25 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 32 | 1 | ||
2009 | J2 | 45 | 0 | - | 1 | 0 | 46 | 0 | |||
2010 | 31 | 2 | - | 0 | 0 | 31 | 2 | ||||
2011 | 17 | 0 | - | 2 | 0 | 19 | 0 | ||||
2012 | 横浜FM | 27 | J1 | 26 | 4 | 5 | 0 | 5 | 0 | 36 | 4 |
2013 | 29 | 3 | 6 | 0 | 6 | 1 | 41 | 4 | |||
2014 | 19 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 21 | 1 | |||
2015 | 11 | 1 | 6 | 1 | - | 17 | 2 | ||||
千葉 | 15 | J2 | 20 | 0 | - | 0 | 0 | 20 | 0 | ||
2016 | 21 | 3 | - | 1 | 0 | 22 | 3 | ||||
2017 | 新潟 | 50 | J1 | 24 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 25 | 0 |
2018 | 5 | J2 | 20 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | |
2019 | 相模原 | 3 | J3 | 16 | 3 | - | - | 16 | 3 | ||
2020 | 18 | 1 | - | - | 18 | 1 | |||||
通算 | 日本 | J1 | 152 | 10 | 30 | 1 | 21 | 1 | 203 | 12 | |
日本 | J2 | 216 | 9 | 1 | 0 | 5 | 0 | 222 | 9 | ||
日本 | J3 | 34 | 4 | - | - | 34 | 4 | ||||
総通算 | 402 | 23 | 31 | 1 | 26 | 1 | 459 | 25 |
その他の公式戦
- 2014年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2014 | 横浜FM | 27 | 3 | 0 |
通算 | AFC | 3 | 0 |
脚注
- ^ 富澤清太郎選手加入のお知らせジェフユナイテッド市原・千葉公式サイト 2015年7月8日
- ^ ジェフユナイテッド市原・千葉から富澤 清太郎選手 完全移籍加入のお知らせアルビレックス新潟公式サイト 2017年1月9日
- ^ 契約満了選手のお知らせアルビレックス新潟公式サイト 2018年11月29日
- ^ 富澤清太郎選手 新加入のお知らせSC相模原公式サイト 2019年1月23日
関連項目
外部リンク
- 富澤清太郎 - J. League Data Siteによる選手データ
- 富澤清太郎 (@st___50) - Instagram