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ノート:反革命

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テルミドールやボナパルティズムについて

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あの…なんというか…もうちょっと公平な表現はできないもんでしょうか… --アズンチャ 2006年1月28日 (土) 14:40 (UTC)[返信]

テルミドールやボナパルティズムを「絶対王政諸国にけしかけられた」というのはなんぼなんでも無茶じゃないですかね。--210.141.166.56 2008年6月15日 (日) 09:10 (UTC)[返信]
私も、210.141.166.56さんの見解に賛成ですが、加えて、そもそも、ここで反革命の例示として、テルミドール反動やボナパルティズム挙げるのは、適当ではないと考えます。
まず、前者についてですが、テルミドールのクーデタの直後に成立した体制は、あくまで、「ブルジョワ革命」としてのフランス革命の範囲内のものであって、決してこれを覆そうとするものではありませんでした。
また、後者については、ナポレオンの統治は、彼の民法典制定の事績に代表される通り、フランス革命の成果を社会に定着させたものと理解できます。確かに彼は革命を終わらせはしましたが、フランス革命に敵対していたわけではありません。
したがって、テルミドール反動とボナパルティズムは、本文における反革命の定義に当てはまらないと思います。
※概説書で恐縮ですが、山川出版社の『新版世界各国史』の「フランス史」(福井憲彦編)では、はっきりとテルミドール反動は反革命ではないとの見解が述べられています。
※「ボナパルティズム」は、通常ナポレオン1世の失脚後の事象について使用されると思いますが、本文でこの言葉が用いられているのが、フランス革命について記述された部分であるので、これを「ナポレオン・ボナパルトによる統治体制」もしくは「彼を支持する政治的態度、思想」の意味であると理解しました。
長々と失礼しました。--抹茶アンパン 2010年4月19日 (月) 16:42 (UTC)[返信]