コンテンツにスキップ

「関屋貞三郎」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Yhfhwajd (会話 | 投稿記録)
Normdaten
83行目: 83行目:
{{-}}
{{-}}
{{静岡県知事|官選第17代:1919-1921}}
{{静岡県知事|官選第17代:1919-1921}}
{{Normdaten}}

{{DEFAULTSORT:せきや ていさふろう}}
{{DEFAULTSORT:せきや ていさふろう}}
[[Category:日本の官僚 (1868-1949)]]
[[Category:日本の官僚 (1868-1949)]]

2016年10月9日 (日) 12:14時点における版

関屋 貞三郎
せきや ていざぶろう
関屋 貞三郎
生年月日 (1875-05-04) 1875年5月4日
出生地 栃木県
没年月日 (1950-06-10) 1950年6月10日(75歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学
親族 木内孝胤(曾孫)

日本の旗 静岡県知事(官選)
在任期間 1919年8月20日 - 1921年3月9日
テンプレートを表示

関屋 貞三郎(せきや ていざぶろう、1875年明治8年)5月4日 - 1950年昭和25年)6月10日)は、日本官僚宮内次官、貴族院議員枢密顧問官等を歴任した。栃木県出身。

年譜

  • 1899年(明治32年)7月10日東京帝国大学法科大学卒業。7月15日内務属、地方課勤務。11月20日文官高等試験合格。
  • 1900年(明治33年)5月26日台湾総督府参事官。
  • 1902年(明治35年)1月10日兼大蔵省参事官。12月24日叙従六位
  • 1903年(明治36年)7月29日兼内務大臣秘書官。8月26日免兼大蔵省参事官。
  • 1904年(明治37年)2月25日免兼官、兼台湾総督秘書官。
  • 1905年(明治38年)5月19日兼関東州民政署事務官。5月30日叙正六位。7月31日関東州民政署事務官兼台湾総督府参事官。
  • 1906年(明治39年)9月1日関東都督府事務官兼関東都督府民政署長。
  • 1907年(明治40年)6月10日叙従五位。10月9日佐賀県事務官、内務部長。
  • 1908年(明治41年)6月12日鹿児島県事務官、内務部長。
  • 1910年(明治43年)10月1日朝鮮総督府学務局長。12月20日叙正五位
  • 1911年(明治44年)6月28日叙勲四等瑞宝章
  • 1915年(大正4年)9月29日叙勲三等授瑞宝章。
  • 1916年(大正5年)3月31日叙従四位
  • 1917年(大正6年)10月8日朝鮮総督府中枢院書記官長兼朝鮮総督府学務局長。
  • 1919年(大正8年)8月20日静岡県知事
  • 1921年(大正10年)3月9日宮内次官。4月11日叙正四位
  • 1922年(大正11年)9月28日叙勲二等授瑞宝章。
  • 1926年(大正15年)4月15日叙従三位。10月28日叙勲一等授瑞宝章。
  • 1931年(昭和6年)5月1日叙正三位。
  • 1933年(昭和8年)2月25日依願免本官。2月27日叙従二位。12月5日貴族院議員(勅選、〜昭和21年4月13日)。
  • 1935年(昭和10年)2月日本銀行監事。
  • 1939年(昭和14年)6月中央協和会理事長。
  • 1946年(昭和21年)3月19日枢密顧問官(〜昭和22年5月2日)。
  • 1947年(昭和22年)5月2日廃庁により退官。
  • 1950年(昭和25年)6月10日死去。

栄典

家族・親族

参考文献

脚注

  1. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  2. ^ 『官報』第7159号・付録「叙任及辞令」1907年5月14日。
  3. ^ 『官報』第8251号「叙任及辞令」1910年12月21日。
  4. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  5. ^ 塩谷七重郎『松江春次伝』(歴史春秋社、2005年)23頁。
  6. ^ 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 324頁、552頁。
  7. ^ 佐藤 『門閥』 262-263頁、270頁。
  8. ^ 神 『閨閥』 400頁。
  9. ^ 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 552頁。
  10. ^ 『終戦のエンペラー』を製作するにあたり

外部リンク