秦宓
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秦宓(しん ふく、173年?-226年)は、三国時代の蜀漢の武将。字は子勅。
益州広漢郡綿竹の人。文学や弁論に優れた学者でもあれば、政治力に長けた人物でもあった。劉璋に仕えた忠実な家臣の一人で、劉璋が劉備を蜀に迎えようとしたときはこれに反対し、劉備の家臣・簡雍が降伏勧告に来たときに取った傲慢な態度に対して一喝している。
その後は劉備に仕え、劉備が関羽の敵討ちをしようとしたときは、それを懸命に諌めている。諸葛亮にもその才能を認められ、別駕、長水校尉に任じられた。また、呉の使者として張温がやって来たとき、彼と弁論したが、そのときに張温は秦宓の博識を賞賛している。
なお、秦宓が劉璋に仕えているとき、広漢太守の夏侯簒や王商らから出仕を求められたという経緯があるが、それほど才能に優れた人物だったということであろう。