久世郡
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久世郡 | |
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京都府久世郡の位置(緑:久御山町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域) | |
国 | 日本 |
都道府県 | 京都府 |
基礎自治体 | 久御山町 |
面積 | |
• 合計 | 13.86 km2 |
人口 (2024年10月1日) | |
• 合計 | 14,678人 |
• 密度 | 1,100人/km2 |
人口14,678人、面積13.86km²、人口密度1,059人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 久御山町(くみやまちょう)
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、以下の区域にあたる。
- 京都市
- 伏見区の一部(淀木津町・淀川顔町・淀新町・淀下津町・淀池上町・淀本町)
- 宇治市の一部(槙島町、宇治以西)
- 城陽市の大部分(水主・奈島・市辺を除く)
- 八幡市の一部(上津屋)
- 綴喜郡宇治田原町の一部(高尾)
歴史
古代
郷
- 竹淵郷(多加不知)
- 奈美郷
- 那羅郷
- 水主郷
- 那紀郷
- 宇治郷
- 殖栗郷
- 栗隈郷(久里久末)
- 富野郷(止無乃)
- 拝志郷
- 久世郷
- 羽栗郷
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
久世郡 24座(大11座・小13座) | |||||||
石田神社 | イハタノ イシタ |
大 | 月次新嘗 | (論)石田神社 | 京都府京都市伏見区石田 | [1] | |
(論)石田神社 | 京都府八幡市八幡岩田里 | ||||||
(論)石田神社 | 京都府八幡市八幡岩田大将軍 | ||||||
水主神社 十座 | ミヌシノ | 並大 | 月次新嘗 (別項に記載)[注 1] |
水主神社 | 京都府城陽市水主宮馬場 | [2] | |
荒見神社 | アラミノ | 小 | (論)荒見神社 | 京都府城陽市富野荒見田 | |||
(論)荒見神社 | 京都府久世郡久御山町田井 | ||||||
双栗神社 三座 | サクリノ | 小 | 雙栗神社 | 京都府久世郡久御山町佐山 | |||
水度神社 三座 | ミトノ | 小 | 鍬靫 | 水度神社 | 京都府城陽市寺田水戸坂 | ||
旦椋神社 | アサクラノ | 小 | 且椋神社 | 京都府宇治市大久保北ノ山 | |||
伊勢田神社 三座 | イセタノ | 小 | 鍬靫 | 伊勢田神社 | 京都府宇治市伊勢田町若林 | ||
巨椋神社 | オホクラノ イホクラ コムラ |
小 | 巨椋神社 | 京都府宇治市小倉町寺内 | |||
室城神社 | ムロキノ | 小 | 室城神社 | 京都府久世郡久御山町下津屋 | |||
凡例を表示 |
- ^ 就中同水主坐天照御魂神水主坐山背大国魂命神二座預相嘗祭
近世以降の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は代官小堀数馬・多羅尾織之助が管轄。●は寺社領が存在。(2町36村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
天領 | 京都守護職役知 | 1町 5村 |
槇島村、伊勢田村[1]、長池町、高尾村、白川村、安田村 |
皇室領・幕府領(小堀) | 1村 | ●寺田村 | |
門跡領・公家領・幕府領(小堀) | 1村 | 平川村 | |
門跡領・公家領・京都守護職役知 | 1村 | 久世村 | |
公家領・幕府領(小堀) | 1村 | 上津屋村 | |
公家領・京都守護職役知 | 1村 | 観音堂村 | |
幕府領(多羅尾)・茶師上林氏領 | 1村 | 宇治郷 | |
京都守護職役知・茶師上林氏領 | 1村 | ●小倉村 | |
京都守護職役知・彫金師後藤四郎兵衛家領・本阿弥家[2]領 | 1村 | 中村 | |
藩領 | 山城淀藩 | 1町 21村 |
広野村、大久保村、富野村、林村、佐山村、市田村、下津屋村、田井村、中島村、●野村、●森村、相島村、東一口村、西一口村、釘貫村、北川顔村、藤和田村、●封戸村、●坊之池村、島田村、江ノ口村、淀町 |
天領・藩領 | 公家領・淀藩・大和小泉藩 | 1村 | 枇杷庄村 |
旗本領・淀藩 | 1村 | 佐古村 |
- 慶応4年
- 明治初年
- 領知替えにより、長池町・佐古村および久世村の一部(京都守護職役知)・上津屋村の一部(幕府領)が淀藩領となる。
- 明治4年
- 明治9年(1876年)(1町24村)
- 中島村・野村・森村・相島村・東一口村・西一口村・釘貫村・北川顔村・藤和田村・封戸村・坊之池村・島田村・江ノ口村が合併して御牧村となる。
- 長池町が富野村に合併。
- 明治12年(1879年)
- 明治14年(1881年) - 宇治郷の一部より宇治町が起立。(2町24村)
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町8村)
- 宇治町 ← 宇治町、宇治郷、白川村(現・宇治市)
- 槇島村(単独村制。現・宇治市)
- 小倉村 ← 小倉村、伊勢田村、安田村(現・宇治市)
- 大久保村 ← 大久保村、広野村(現・宇治市)
- 久津川村 ← 久世村、平川村、上津屋村[浜上津屋・里上津屋を除く](現・城陽市)
- 寺田村 ← 寺田村、綴喜郡水主村(現・城陽市)
- 富野荘村 ← 富野村、枇杷荘村、観音堂村(現・城陽市)
- 佐山村 ← 市田村、田井村、下津屋村、佐古村、佐山村、林村(現・久御山町)
- 御牧村(単独村制。現・久御山町)
- 淀町 ← 淀町の一部[池上町・下津町・新町](現・京都市伏見区)
- 淀町の残部(納所町)が紀伊郡納所村の、上津屋村の残部が綴喜郡都々城村の、中村が同郡青谷村の、高尾村が同郡田原村のそれぞれ一部となる。
- 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。
- 明治25年(1902年)1月5日 - 久世郡役所を宇治宇文字へ新築移転。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)
- 昭和10年(1935年)4月1日 - 淀町が綴喜郡美豆村を編入。
- 昭和11年(1936年)2月11日 - 淀町が乙訓郡淀村を編入。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「宇治地方事務所」が宇治町に設置され、宇治郡とともに管轄。
- 昭和26年(1951年)
- 昭和29年(1954年)10月1日 - 佐山村・御牧村が合併して久御山町が発足。(3町)
- 昭和32年(1957年)4月1日 - 淀町が京都市に編入。伏見区の一部となる。(2町)
- 昭和47年(1972年)5月5日 - 城陽町が市制施行して城陽市となり、郡より離脱。(1町)
変遷表
明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
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宇治町 | 宇治町 | 宇治町 | 昭和26年3月1日 宇治市 |
宇治市 | 宇治市 | 宇治市 |
槇島村 | 槇島村 | 槇島村 | ||||
小倉村 | 小倉村 | 小倉村 | ||||
大久保村 | 大久保村 | 大久保村 | ||||
宇治郡 宇治村 |
宇治郡 宇治村 |
昭和17年4月1日 宇治郡 東宇治町 | ||||
宇治郡 笠取村 |
宇治郡 笠取村 | |||||
寺田村 | 寺田村 | 寺田村 | 昭和26年4月1日 城陽町 |
昭和47年5月5日 市制 |
城陽市 | 城陽市 |
久津川村 | 久津川村 | 久津川村 | ||||
富野荘村 | 富野荘村 | 富野荘村 | ||||
綴喜郡 青谷村 |
綴喜郡 青谷村 |
綴喜郡 青谷村 | ||||
佐山村 | 佐山村 | 佐山村 | 昭和29年10月1日 久御山町 |
久御山町 | 久御山町 | 久御山町 |
御牧村 | 御牧村 | 御牧村 | ||||
淀町 | 淀町 | 淀町 | 淀町 | 昭和32年4月1日 京都市伏見区に編入 |
京都市 | 京都市 |
綴喜郡 美豆村 |
綴喜郡 美豆村 |
昭和10年4月1日 淀町に編入 | ||||
乙訓郡 淀村 |
乙訓郡 淀村 |
昭和11年2月11日 淀町に編入 |
行政
歴代の郡長は以下の通り。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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長村保固 | 明治12年(1879年)4月10日 | 明治15年(1882年)6月27日 | 明治12年(1879年)5月6日までは、宇治郡長も兼任
明治15年(1882年)6月27日逝去[5] | |
荒井公木 | 明治15年(1882年)7月6日 | 明治15年(1882年)11月13日 | 紀伊郡長による兼任のち免兼官[6] | |
田邊信成 | 明治15年(1882年) | 明治19年(1886年)10月8日 | 紀伊郡書記兼宇治郡書記兼久世郡書記へ転任 | |
荒井公木 | 明治19年(1886年)10月8日[7] | 明治25年(1892年)12月27日 | これより奏任官となる
紀伊郡長による兼任のち免兼官[8] | |
伴時彦 | 明治25年(1892年)12月27日 | 明治35年(1902年)4月29日 | 宇治郡長を兼任。 | |
田邊信成 | 明治35年(1902年)4月29日[11] | 明治38年(1905年)7月13日 | 与謝郡長へ転任[12] | |
北本雄 | 明治38年(1905年)7月13日 | 大正2年(1913年)6月28日 | 依願免本官[13] | |
後藤善二 | 大正2年(1913年)6月28日 | 大正5年(1916年)5月4日 | 在任中に死去[14] | |
前田千賀良 | 大正5年(1916年)5月22日[15] | 大正6年(1917年)1月17日 | 依願免本官[16] | |
長世吉 | 大正6年(1917年)1月17日 | 大正7年(1918年)6月21日 | 貴族院書記官へ転任[17] | |
木村正義 | 大正7年(1918年)7月3日[18] | 大正8年(1919年)5月17日 | 文部書記官へ転任[19] | |
平田光雄 | 大正8年(1919年)6月9日[20] | 大正11年(1922年)8月21日 | 警視庁警視へ転任[21] | |
行上常太郎 | 大正11年(1922年)8月21日 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官
地方事務官長崎県壱岐支庁長へ転任 |
脚注
- ^ 伊勢田村・新田村に分かれて記載。
- ^ 刀剣の鑑定と研磨を業とした家。
- ^ 『久御山町史 第2巻(54頁)』久御山町、1989年。doi:10.11501/9576547 。2022年5月20日閲覧。
- ^ 京都府久世、錣喜両郡で争議、児童盟休『大阪毎日新聞』大正15年6月21日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p204 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『山城綴喜郡誌』京都府教育会綴喜郡部会、1908年。doi:10.11501/765995 。2023年1月17日閲覧。
- ^ “京都府紀伊郡長荒井公木増俸ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ “職務進退・勅奏任 進退録坤乙”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
- ^ 『官報 1892年12月28日』日本マイクロ写真、1892年12月28日。doi:10.11501/2946117 。2021年12月8日閲覧。
- ^ “京都府葛野郡長兼愛宕郡長川本正路外三名免兼官等ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ “京都府久世郡長伴時彦依願免本官ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 『官報 1902年04月30日』日本マイクロ写真、1902年4月30日。doi:10.11501/2948946 。2021年12月9日閲覧。
- ^ “京都府久世郡長田辺信成以下七名同府与謝外六郡長ニ被任ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 『官報 1913年06月30日』日本マイクロ写真、1913年6月30日。doi:10.11501/2952373 。2021年12月9日閲覧。
- ^ 『官報 1916年05月20日』日本マイクロ写真、1916年5月20日。doi:10.11501/2953249 。2021年12月9日閲覧。
- ^ “京都府愛宕郡長前田千賀良外二名任免ノ件○朝鮮総督府総務局長兼朝鮮総督府鉄道局参事伯爵児玉秀雄免兼官ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ “判事後藤多喜蔵外二十八名任免ノ件”. 国立公文書館. 2021年11月28日閲覧。
- ^ “京都府久世郡長長世吉外五名任官ノ件○貴族院書記官長世吉外二名任官”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
- ^ 『官報 1918年07月04日』日本マイクロ写真、1918年7月4日。doi:10.11501/2953889 。2021年12月9日閲覧。
- ^ 『官報 1919年05月19日』日本マイクロ写真、1919年5月19日。doi:10.11501/2954149 。2023年1月17日閲覧。
- ^ 『官報 1919年06月10日』日本マイクロ写真、1919年6月10日。doi:10.11501/2954167 。2023年1月17日閲覧。
- ^ “京都府久世郡長平田光雄外十六名任免並官等陞叙ノ件”. 国立公文書館. 2021年12月9日閲覧。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 26 京都府
- 旧高旧領取調帳データベース