マクシミリアン・エルンスト・フォン・エスターライヒ
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マクシミリアン・エルンスト Maximilian Ernst | |
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オーストリア大公 | |
猟犬を連れたマクシミリアン・エルンスト大公、ヨーゼフ・ハインツ画、1604年 | |
出生 |
1583年11月17日 神聖ローマ帝国、グラーツ |
死去 |
1616年2月18日(32歳没) 神聖ローマ帝国、グラーツ |
埋葬 | 神聖ローマ帝国、ゼッカウ修道院 |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | オーストリア大公カール2世 |
母親 | マリア・アンナ・フォン・バイエルン |
マクシミリアン・エルンスト・フォン・エスターライヒ(Maximilian Ernst von Österreich, 1583年11月17日 - 1616年2月18日)は、オーストリア大公家の大公(Erzherzog)。神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の弟。
生涯
[編集]内オーストリア大公カール(2世)とその妻でバイエルン公アルブレヒト5世の娘であるマリア・アンナの間の第10子、五男として生まれた。1592年、長姉アンナのポーランド王ジグムント3世への輿入れに、母とともに随行している[1]。1606年4月25日にウィーンにおいて、皇帝ルドルフ2世が精神異常により統治不能となったため、マティアス大公がオーストリア大公家の家長となるとした宣言に、兄の内オーストリア執政フェルディナント大公、下オーストリア執政マクシミリアン(3世)大公、上オーストリア執政マティアス大公とともに共同で署名した[2][3] 。
1615年、ドイツ騎士団総長を務める従兄マクシミリアン(3世)によりドイツ騎士団の騎士叙任を受け[4] 、翌1616年にドイツ騎士団オーストリア管区長に任命された[5][6]。さらに騎士団総長の後継者職である補佐司教(Koadjutor)に任命され、総長職を継ぐことが決まったが、その年のうちに33歳で死去した。遺骸はゼッカウ修道院(Abtei Seckau)内の教会堂に葬られた[7]。
脚注
[編集]- ^ Akademie der Wissenschaften in Wien. Historische Commission:Archiv für österreichische Geschichte, Band 15, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften., 1856, S. 116
- ^ Johann Sporschil: Geschichte des Entstehens, des Wachsthums und der Grösse der österreichischen Monarchie, Band 4, F. Volckmar, 1844, S. 236
- ^ Anton Schindling, Walter Ziegler: Die Kaiser der Neuzeit: 1519-1918, C. H. Beck, 1990, S. 118
- ^ Kaiserliche Akademie der Wissenschaften: Archiv für Österreichische Geschichte, Band 33-34, Österreichischen Akademie der Wissenschaften, 1865, S. 236
- ^ Friedrich Emanuel von Hurter: Geschichte kaiser Ferdinands II und seiner eltern bis zu dessen krönung in Frankfurt, Hurtersche buchhandlung, 1850, S. 230
- ^ Johann Samuel Ersch: Allgemeine Encyclopädie der Wissenschaften und Künste, F. A. Brockhaus, 1830, S. 244 Digitalisat
- ^ http://www.royaltyguide.nl/families/habsburg/habsburgaustria.htm
参考文献
[編集]- Constantin von Wurzbach: Habsburg, Maximilian Ernst. Nr. 266. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. Band 7. Verlag L. C. Zamarski, Wien 1861, S. 109.
- Johannes Voigt: Geschichte des Deutschen Ritter-Ordens in seinen zwölf Balleien in Deutschland, Band 2, Reimer, 1859, S. 297