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サミュエル・ウォリス

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サミュエル・ウォリスの肖像(ヘンリー・スタッブル画、1785年ごろ)
タヒチの人々の敵意に直面するドルフィン号
トゥルーロ大聖堂にあるウォリスとその部下たちの記念プレート

サミュエル・ウォリス: Samuel Wallis1728年4月23日 - 1795年1月21日)は、コーンウォールの航海士。世界一周航海を行った。

コーンウォールのカメルフォード郊外に生まれる。1766年に、フィリップ・カートレット指揮のスワロー号とともに世界周航を行うドルフィン号の指揮官に任命された。ドルフィン号はマゼラン海峡を通過後にスワロー号と別れた後、タヒチ島に向かった。ウォリスは、この島をキング3世島と命名した(1767年6月)。ウォリス自身は体調不良で船室にこもっていたため、副官のトバイアス・フルノーが初めて足を踏み入れ、ペナントを掲揚し、国王の名のもとに島を領有した。その後、ドルフィン号はバタビアに寄港したが、そこで船員の多くが赤痢で死んだ。さらに喜望峰を経由して、1768年5月にイングランドに帰港した。ウォリスはそこで、太平洋に向けてまもなく出発するジェームズ・クックに有益な情報を伝えることができた。ドルフィン号の乗組員のなかにも、クックと航海をともにする者がいた。

1780年に海軍本部のコミッショナー(委員)に任命された。

ポリネシアウベア島は、ウォリスにちなんでウォリス島と命名された。

参考文献

  • South Seas Companion Biographical entry
  • Glyndwr Williams, ‘Wallis, Samuel (1728–1795)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004; online edn, May 2005 accessed 10 Dec 2007
  • Hawkesworth, John; Byron, John; Wallis, Samuel; Carteret, Philip; Cook, James; Banks, Joseph (1773), An account of the voyages undertaken by the order of His present Majesty for making discoveries in the Southern Hemisphere, and successively performed by Commodore Byron, Captain Wallis, Captain Carteret, and Captain Cook, in the Dolphin, the Swallow, and the Endeavour drawn up from the journals which were kept by the several commanders, and from the papers of Joseph Banks, esq, London Printed for W. Strahan and T. Cadell , Volume I, Volume II-III