1979年の野球
競技結果
編集日本プロ野球
編集ペナントレース
編集セリーグ
編集順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 67 | 50 | 13 | .573 | 優勝 |
2位 | 横浜大洋ホエールズ | 59 | 54 | 17 | .522 | 6.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 57 | 14 | .509 | 7.5 |
4位 | 阪神タイガース | 61 | 60 | 9 | .504 | 8.0 |
5位 | 読売ジャイアンツ | 58 | 62 | 10 | .483 | 10.5 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 48 | 69 | 13 | .410 | 19.0 |
パリーグ
編集
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 74 | 45 | 11 | .622 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 75 | 44 | 11 | .630 | -1.0 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 63 | 60 | 7 | .512 | 13.0 |
4位 | ロッテオリオンズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 18.5 |
5位 | 南海ホークス | 46 | 73 | 11 | .387 | 28.0 |
6位 | 西武ライオンズ | 45 | 73 | 12 | .381 | 28.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月13日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 1 - 5 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月14日(日) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 4 - 7 | 近鉄バファローズ | |
10月15日(月) | 移動日 | ||||
10月16日(火) | 第3戦 | 近鉄バファローズ | 2 - 1 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
年間優勝:近鉄バファローズ |
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日本シリーズ
編集→「江夏の21球」も参照
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月27日(土) | 第1戦 | 広島東洋カープ | 2 - 5 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月28日(日) | 第2戦 | 広島東洋カープ | 0 - 4 | 近鉄バファローズ | |
10月29日(月) | 移動日 | ||||
10月30日(火) | 第3戦 | 近鉄バファローズ | 2 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月31日(水) | 第4戦 | 近鉄バファローズ | 3 - 5 | 広島東洋カープ | |
11月1日(木) | 第5戦 | 近鉄バファローズ | 0 - 1 | 広島東洋カープ | |
11月2日(金) | 移動日 | ||||
11月3日(土) | 第6戦 | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
11月4日(日) | 第7戦 | 広島東洋カープ | 4 - 3 | 近鉄バファローズ | |
優勝:広島東洋カープ(初優勝) |
個人タイトル
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 江夏豊 | 広島 | C.マニエル | 近鉄 | ||
最優秀新人 | 藤沢公也 | 中日 | 松沼博久 | 西武 | ||
首位打者 | F.ミヤーン | 大洋 | .346 | 加藤英司 | 阪急 | .364 |
本塁打王 | 掛布雅之 | 阪神 | 48本 | C.マニエル | 近鉄 | 37本 |
打点王 | 山本浩二 | 広島 | 113点 | 加藤英司 | 阪急 | 104点 |
最多安打 | 大島康徳 | 中日 | 159本 | 加藤英司 | 阪急 | 163本 |
盗塁王 | 高橋慶彦 | 広島 | 55個 | 福本豊 | 阪急 | 60個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
山本浩二 | 広島 | 220個 | 加藤英司 | 阪急 | .443 |
最優秀防御率 | 平松政次 | 大洋 | 2.39 | 山口哲治 | 近鉄 | 2.49 |
最多勝利 | 小林繁 | 阪神 | 22勝 | 山田久志 | 阪急 | 21勝 |
最多奪三振 | 新浦寿夫 | 巨人 | 223個 | 村田兆治 | ロッテ | 230個 |
最高勝率 | 藤沢公也 | 中日 | .722 | 山田久志 | 阪急 | .808 |
最優秀救援投手 | 江夏豊 | 広島 | 31SP | 金城基泰 | 南海 | 20SP |
ベストナイン
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 小林繁 | 阪神 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 木俣達彦 | 中日 | 梨田昌崇 | 近鉄 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 加藤英司 | 阪急 |
二塁手 | F.ミヤーン | 大洋 | B.マルカーノ | 阪急 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 島谷金二 | 阪急 |
遊撃手 | 高橋慶彦 | 広島 | 石渡茂 | 近鉄 |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 |
若松勉 | ヤクルト | 栗橋茂 | 近鉄 | |
M.ラインバック | 阪神 | 新井宏昌 | 南海 | |
指名打者 | C.マニエル | 近鉄 |
ダイヤモンドグラブ賞
編集セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 西本聖 | 巨人 | 山田久志 | 阪急 |
捕手 | 若菜嘉晴 | 阪神 | 梨田昌崇 | 近鉄 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 柏原純一 | 日本ハム |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | B.マルカーノ | 阪急 |
三塁手 | 掛布雅之 | 阪神 | 島谷金二 | 阪急 |
遊撃手 | 山下大輔 | 大洋 | 高代延博 | 日本ハム |
外野手 | 山本浩二 | 広島 | 福本豊 | 阪急 |
J.スコット | ヤクルト | 簑田浩二 | 阪急 | |
J.ライトル | 広島 | 平野光泰 | 近鉄 |
オールスターゲーム
編集→詳細は「1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
編集- 第51回選抜高等学校野球大会優勝:箕島(和歌山県)
- 第61回全国高等学校野球選手権大会優勝:箕島(和歌山県)
- 箕島が史上3校目の春夏連覇
大学野球
編集- 第28回全日本大学野球選手権大会優勝:中央大
- 第10回明治神宮野球大会優勝:明治大
- 東京六大学野球連盟優勝 春:早稲田大、秋:明治大
- 東都大学野球連盟優勝 春:中央大、秋:国士舘大
- 関西大学野球連合優勝 春:大阪商業大、秋:同志社大
社会人野球
編集メジャーリーグ
編集→詳細は「1979年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ピッツバーグ・パイレーツ(ナ・リーグ) (4勝3敗) ボルチモア・オリオールズ(ア・リーグ)
できごと
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1月
編集- 1月7日
- 1月22日 - 西武ライオンズの古賀正明と倉持明と、ロッテオリオンズの成重春生・山崎裕之のトレードが両球団の間で合意[3]。
- 1月26日 - 1979年度に野球体育博物館に表彰、掲載される野球人を選出する競技者投票委員会が東京・有楽町のアラスカにて行われ、記者投票を行い別所毅彦を選出[4]。
- 1月31日 - 阪神と巨人は、阪神が前年のドラフトで指名した江川卓と契約を交わした上で巨人の小林繁とトレードすると発表[5]。
2月
編集- 2月2日 - 野球体育博物館の特別表彰委員会が正午から東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、平沼亮三と谷口五郎の野球殿堂入りを決定[6]。
- 2月8日
- 2月9日 - 阪神の球団代表の岡崎義人と巨人の球団代表の長谷川実雄が東京・大手町の巨人の球団事務所にて8日のプロ野球実行委員会で承認された巨人の小林繁のトレードについて無償トレードとすることで合意[8]。
- 2月10日 - 阪神は正午から大阪市北区のホテル阪神にて小林繁の入団を正式に発表[9]。
- 2月11日 - 小林繁が阪神の安芸キャンプに合流[10]。
- 2月16日 - 南海ホークスの門田博光が春季キャンプ地の高知の大方キャンプにて午前10時45分頃ジャンプして着地した際右足を大怪我し、中村市内の病院にて診察を受けアキレス腱断裂の診断[11][12]。
3月
編集- 3月14日 - 南海は新外国人のフランク・オーテンジオの登録名を漢字表記の「王天上」に変更することを発表[13]。
- 3月16日 - 日本野球機構は午後3時から東京・日比谷のプレスセンターにて記者会見し、プロ野球の新コミッショナーに元最高裁判事の下田武三が就任すると発表[14]。
4月
編集- 4月7日
- 4月9日
- 4月10日 - 阪急の福本豊が西宮球場での対西武1回戦の2回裏に二盗を成功させ、プロ通算700盗塁を達成[20]。
- 4月14日
- 4月16日 - 南海の佐々木宏一郎が大阪スタヂアムでの対近鉄3回戦の7回途中から登板し、プロ通算600試合登板を達成[23]。
- 4月17日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対日本ハム1回戦の5回表に柏原純一から三振を奪ってプロ通算2500奪三振を達成、またこの日柏原、加藤俊夫に本塁打を打たれて通算被本塁打が381となり、金田正一の持つ最多被本塁打記録380を更新[24]。
- 4月21日 - 阪神の掛布雅之が阪神甲子園球場で対大洋1回戦の7回裏に4号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[25]。
- 4月24日
- 4月29日 - 西武の土井正博が後楽園球場での対日本ハム6回戦の9回表に6号3点本塁打を放ってホームインしプロ通算1000得点を達成[27]。
5月
編集- 5月1日 - 巨人対阪神4回戦が後楽園球場にて行われ、巨人が阪神に8対7と勝利し対阪神戦通算500勝を達成[28]。
- 5月6日 - 近鉄のチャーリー・マニエルが藤井寺球場での対阪急5回戦の1回裏に8号本塁打を放ち、プロ野球通算100号を達成[29]。
- 5月9日 - 大洋の基満男が横浜スタジアムでの対阪神4回戦の第一打席から第四打席まで二塁打を打ち、1試合4二塁打のプロ野球タイ記録[30]。
- 5月11日 - 広島の江夏豊が広島球場での対巨人5回表に王貞治から三振を奪い、プロ通算2500奪三振を達成[31]。
- 5月16日 - 大洋の平松政次が対巨人7回戦(石川) に先発登板し、プロ通算500試合登板を達成[32]。
- 5月20日 - 阪神の真弓明信がナゴヤ球場での対中日6回戦で、1回表第一打席で3号本塁打、3回表に安打、7回表に二塁打、9回表に三塁打を放ち、サイクルヒットを達成[33]。
- 5月23日 - 巨人の柴田勲が甲子園球場での対阪神8回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成[34]。
- 5月25日 - 巨人の張本勲が横浜スタジアムでの対大洋8回戦の8回表に二塁打を放ち、プロ通算400二塁打を達成[35]。
- 5月26日 - 巨人の堀内恒夫が横浜スタジアムでの対大洋9回戦に先発しプロ通算500試合登板を達成[36]。
- 5月27日
- 5月29日 - 阪神の若菜嘉晴が仙台での対大洋6回戦で5連続三振のプロ野球新記録[39]。
- 5月31日
6月
編集- 6月2日 - 巨人の江川卓が後楽園球場での対阪神11回戦で先発しプロ初登板、8回126球を投げ4失点、3被本塁打の内容で敗戦投手となる[42]。
- 6月5日 - 日本ハムの島田誠が後楽園球場での対西武11回戦の3回裏に二盗、三盗、本盗の1イニング3盗塁プロ野球タイ記録[43]。
- 6月9日 - 近鉄のチャーリー・マニエルが日生球場での対ロッテ10回戦の5回裏に八木沢荘六の投球を顔面に受け顎を複雑骨折[44]。
- 6月12日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト7回戦で1回裏に安打を放ち、プロ野球史上初の通算5500塁打を達成[45]。
- 6月17日 - 日本ハムの村上雅則が藤井寺球場での対近鉄前期11回戦の五回裏二死からリリーフ登板して5勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[46]。
- 6月20日 - 巨人のジョン・シピンが横浜スタジアムでの対大洋12回戦の5回表に安打を放ち、プロ野球通算1000本安打を達成[47]。
- 6月21日 - 日本ハムと西武は行沢久隆と吉岡悟のトレードが成立したと発表[48]。
- 6月23日 - 巨人の石井茂雄が甲子園球場での対阪神14回戦に3回途中からリリーフとして登板し、プロ通算700試合登板を達成[49]。
- 6月26日
- 近鉄対南海前期最終戦が大阪スタヂアムで行われ1-1の引き分けとなり、近鉄が前期優勝を決める[50][51]。
- 中日の星野仙一が甲子園球場での対阪神13回戦の一回裏に阪神のマイク・ラインバックから三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[52]。
7月
編集- 7月4日 - 広島の渡辺秀武が横浜スタジアムでの対大洋13回戦の三回裏から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[53]。
- 7月8日 - ナゴヤ球場での中日対大洋14回戦で中日が大洋に6-1で勝利し、球団通算2000勝を達成[54]。
- 7月12日 - 【MLB】シカゴ・ホワイトソックス対デトロイト・タイガースのダブルヘッダーで、第1試合終了後にディスコミュージックのレコードを爆破した挙句ファンがグラウンドに乱入したため、第2試合が放棄試合となる(ディスコ・デモリッション・ナイト)。
- 7月13日
- 後楽園球場での日本ハム対南海後期3回戦が、南海の選手の用具を載せた運送会社のトラックが東名高速道路の日本坂トンネル火災事故のため迂回のため走行していた中央高速道路の渋滞に巻き込まれ試合開始時刻までに到着する見込みがないとして、午後5時10分中止となる[55]。
- 広島の水沼四郎が甲子園球場での対阪神11回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[56]。
- 7月28日
- 7月31日
8月
編集- 8月1日 - 巨人の西本聖が広島市民球場での対広島17回戦の7回裏に、三村敏之、萩原康弘、衣笠祥雄へ死球を与え1イニング3死球セ・リーグ新記録。3人目に死球を受けた広島の衣笠祥雄は左肩亀裂骨折で全治2週間の重傷[61]。
- 8月2日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのサーマン・マンソンが、自家用セスナ機を操縦中に木に衝突して墜落事故死。
- 8月8日 - 広島の高橋慶彦が広島市民球場での対阪神14回戦に負傷して途中退場した7月31日以来6試合ぶりに出場。4打数0安打で連続試合安打の記録は33で止まる[62]。
- 8月12日
- 8月16日 - 第六十一回全国高校野球選手権大会の第9日目の第4試合の3回戦の箕島高校対星稜高校戦が午後4時6分から阪神甲子園球場で行われ、69年の第五十一回大会の決勝戦以来となる延長18回となり、箕島が延長18回裏4-3でサヨナラ勝ち[65][66]。
- 8月17日
- 8月21日
- 8月22日 - 西宮球場での阪急対南海後期7回戦で、阪急が一回裏に二死から島谷金二以降連続10人が得点を挙げる10者連続得点のパ・リーグ新記録[71]。
- 8月23日 - ロッテの有藤通世が後楽園球場での対日本ハム後期8回戦の六回表に21号本塁打を放ち、プロ通算250号本塁打を達成[72]。
- 8月31日 - ヤクルトの船田和英が神宮球場での対巨人19回戦の五回裏に11号三点本塁打を放ち、プロ通算100号本塁打を達成。
9月
編集- 9月2日 - 阪神の竹之内雅史がナゴヤ球場での七回表に21号本塁打を放ち、プロ通算200号本塁打を達成[73]。
- 9月5日 - ヤクルトの森昌彦ヘッドコーチ、植村義信一軍投手コーチがそれぞれ佐藤邦雄球団社長と話し合い、退団することで合意[74]。
- 9月12日 -
- 9月15日 - 巨人はリック・クルーガーに対し自由契約選手とすることを通知し、クルーガーもこれを了承したため退団が決定[78]。
- 9月18日 - 阪神の江本孟紀が甲子園球場での対広島22回戦に先発して11勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[79]。
- 9月19日 - 広島の江夏豊が甲子園球場での対阪神23回戦の6回途中からリリーフ登板し、プロ通算600試合登板を達成[80]。
- 9月20日 - 近鉄の鈴木啓示が日生球場での対南海11回戦に完投で8勝目を挙げ、プロ通算250勝を達成。史上8人目[81]。
- 9月21日 - 西武の野村克也が西宮球場での対阪急後期12回戦の四回表に二死三塁で立花義家の適時打で生還し、王貞治に次いでプロ野球2人目の通算1500得点を達成[82]。
- 9月24日 - 南海の山内新一が後楽園球場での対日本ハム後期12回戦に先発して12勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[83]。
- 9月30日 - 広島のエイドリアン・ギャレットが後楽園球場での対巨人24回戦の五回表に25号本塁打を打ち、プロ野球通算100号本塁打を達成。史上107人目[84]。
10月
編集- 10月4日 - ロッテの白仁天が西京極球場での対阪急後期10回戦の一回表に17号満塁本塁打、三回表に18号2点本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成。史上32人目[85]。
- 10月5日 - 阪急が西京極球場での対南海13回戦に9回で6-6で引き分け、パ・リーグ後期優勝を決める[86]。
- 10月6日 - 広島対阪神24回戦が広島市民球場で行われ、広島が阪神に4対3で勝利し、1975年以来4年ぶり球団史上2度目のセ・リーグ優勝が決まる[87]。
- 10月10日 - 西武の山崎裕之が西武球場での対日本ハムダブルヘッダー第1試合、後期12回戦の九回裏に中前安打を打ち、プロ通算1500本安打を達成。史上36人目[88]。
- 10月13日
- 10月14日 - 阪神のリロイ・スタントンが神宮球場での対ヤクルト26回戦の七回表に今季134個目の三振に倒れ、1969年阪神のウィリー・カークランドの133個を上回るセ・リーグシーズン最多三振を記録[91]。
- 10月16日 - パ・リーグプレーオフ第3戦が西宮球場で行われ、前期優勝の近鉄が後期優勝の阪急に延長10回の末2対1で勝利し、3勝0敗で球団創立29年目で初のパ・リーグ制覇[92]。
- 10月20日 - 川崎球場でのロッテ対近鉄後期13回戦は近鉄が5-0で勝利し、これでパ・リーグの全日程が終了[93]。
- 10月21日 - 巨人は後楽園球場での対大洋26回戦で今季の全日程を終了後、後楽園球場サロンにて記者会見し、来年のコーチ陣を発表。球団OBで野球評論家の青田昇がヘッドコーチに就任[94]。
- 10月24日 - 沢村栄治賞の選考が東京運動記者クラブによって東京・数寄屋橋のニュートーキョーで正午から開かれ、阪神の小林繁を選出[95]。
- 10月25日
11月
編集- 11月4日 - 1979年度プロ野球日本シリーズの第7戦が大阪スタヂアムで行われ、広島が近鉄を4-3で下し(江夏の21球)、球団史上初の日本一となる[98]。
- 11月6日
- 11月9日 - 阪急は来年度のコーチングスタッフを発表。長池徳士が現役を引退し1軍打撃コーチ、足立光宏が選手兼任で一軍投手コーチとなる。
- 11月20日 -
- 11月27日 - 1979年度のプロ野球新人選択会議が午前11時から東京・九段下のホテル・グランドパレスにて行われ、早稲田大学の岡田彰布は阪神、社会人野球・日本鋼管の木田勇は日本ハムが交渉権を獲得[104]。
12月
編集- 12月1日 - 広島は一軍打撃コーチの山本一義が退団したと発表[105]。
- 12月4日 - ロッテの成田文男が自由契約となる[106]。
- 12月8日 - 日本ハムはトロント・ブルージェイズのトニー・ソレイタの入団が内定。3年契約で報酬は3年間で約30万ドル(推定)[107]。
- 12月13日
- 12月18日 - 日本ハムの永淵洋三が現役引退し来季よりスカウトに就任することが決定[110]。
- 12月21日 - 中日は定例役員会を開き、球団代表が中川清に代わり鈴木怨夫が就任することを決定[111]。
- 12月24日 - パ・リーグは東京・銀座の連盟事務所で理事会を開き、リーグの正式名称を「太平洋野球連盟」から「パシフィック・ベースボール・リーグ」に変更することを決定[112]。
- 12月26日 - 元宇高レッドソックスオーナーの宇高勲が午前7時55分、十二指腸胃潰瘍で横浜市金沢区の南共済病院にて68歳で死去[113]。
誕生
編集1月
編集- 1月2日 - ミチェル・アブレイユ
- 1月3日 - マイケル・レストビッチ
- 1月4日 - 岡上和典
- 1月8日 - 平本学
- 1月9日 - 洗平竜也
- 1月9日 - 神島崇
- 1月12日 - 金澤健人
- 1月18日 - 小川将俊
- 1月19日 - 金炳賢
- 1月21日 - 下窪陽介
- 1月22日 - 林威助
- 1月22日 - カルロス・ルイーズ
- 1月29日 - ランス・ニークロ
2月
編集- 2月7日 - エリザー・アルフォンゾ
- 2月7日 - ジョン・レスター (右投手)
- 2月9日 - 岩村明憲
- 2月12日 - 金剛弘樹
- 2月17日 - ジョシュ・ウィリンガム
- 2月19日 - 呂建剛
- 2月23日 - クリス・アギーラ
- 2月27日 - 神田義英
3月
編集- 3月1日 - 鈴木貴志
- 3月12日 - 李惠踐
- 3月14日 - 久本祐一
- 3月15日 - ケビン・ユーキリス
- 3月20日 - 阿部慎之助
- 3月26日 - 鎌田圭司
- 3月27日 - マイケル・カダイアー
- 3月29日 - 廣瀬純
4月
編集- 4月3日 - 山本浩司
- 4月3日 - 渡辺正人
- 4月7日 - エイドリアン・ベルトレ
- 4月7日 - 平野恵一
- 4月12日 - 天野浩一
- 4月12日 - 小田嶋正邦
- 4月25日 - 東辰弥
- 4月25日 - 酒井泰志
- 4月27日 - クリスチャン・ベロア
- 4月28日 - 小林亮寛
- 4月28日 - ショーン・ダグラス
- 4月29日 - 吉村将生
5月
編集- 5月5日 - 中谷仁
- 5月19日 - 小田智之
- 5月20日 - ジェイソン・ワース
- 5月22日 - 森章剛
- 5月24日 - 丸山泰嗣
- 5月25日 - クリス・ヤング (投手)
- 5月28日 - 五十嵐亮太
- 5月28日 - 能見篤史
6月
編集- 6月7日 - 田中健太郎
- 6月8日 - 谷口悦司
- 6月12日 - ユウキ
- 6月12日 - 辻武史
- 6月15日 - 山田真介
- 6月16日 - 小川裕介
- 6月16日 - 志田宗大
- 6月18日 - 藤原通
- 6月22日 - 新沼慎二
- 6月24日 - 清水清人
- 6月25日 - 澤井道久
- 6月26日 - ルイス・ゴンザレス (内野手)
- 6月26日 - 佐藤友紀(トモキ)
- 6月27日 - 肥田高志
- 6月29日 - 谷口邦幸
7月
編集- 7月3日 - 大沼幸二
- 7月7日 - チェイス・ランビン
- 7月13日 - 飯山裕志
- 7月13日 - 井川慶
- 7月14日 - 辻俊哉
- 7月15日 - 帆足和幸
- 7月17日 - 奥村武博
- 7月19日 - 浅井良
- 7月19日 - リック・アンキール
- 7月28日 - 衣川隆夫
- 7月29日 - 梶原和隆
- 7月29日 - 吉川元浩
- 7月31日 - J.J.ファーマニアック
8月
編集- 8月2日 - 高塚信幸
- 8月2日 - コルビー・ルイス
- 8月10日 - ダン・ジョンソン
- 8月10日 - 兵動秀治
- 8月12日 - D.J.ホールトン
- 8月14日 - 岩崎智史
- 8月19日 - 中村渉
- 8月20日 - フランクリン・グラセスキー
- 8月23日 - クリス・ロバーソン
- 8月25日 - 川口知哉
- 8月26日 - 田中敬人
- 8月31日 - ラモン・サンティアゴ
9月
編集- 9月1日 - 三上真司
- 9月2日 - 大脇浩二
- 9月5日 - 橋本啓
- 9月6日 - 田中充 (外野手)
- 9月7日 - 石原慶幸
- 9月10日 - 青木智史
- 9月12日 - 川岸強
- 9月12日 - 吉浦貴志
- 9月13日 - 三木仁
- 9月14日 - 前田大輔
10月
編集11月
編集- 11月1日 - 藤田太陽
- 11月4日 - 鳥谷部健一
- 11月6日 - 稲田直人
- 11月8日 - 笹川隆
- 11月9日 - アダム・ダン
- 11月9日 - 庄田隆弘
- 11月19日 - ライアン・ハワード
- 11月25日 - 中村浩一
- 11月28日 - マイク・シュルツ
- 11月28日 - 林昌樹
- 11月29日 - 山本拓司
12月
編集死去
編集作品
編集- 映画
- 11月10日 - 『がんばれ!!タブチくん!!』公開。
脚注
編集- ^ 朝日新聞1979年1月8日19面「阪神と江川 初交渉は平行線 『君を欲しい』『巨人で…』」朝日新聞縮刷版1979年1月p215
- ^ 読売新聞1979年1月8日17面「宮崎新監督が就任 早大野球部」読売新聞縮刷版1979年1月p207
- ^ 日刊スポーツ1979年1月21日2面「山崎晴れて西武 両球団でトレード契約」
- ^ 読売新聞1979年1月27日17面「剛腕別所、殿堂入り 競技者18人目」読売新聞縮刷版1979年1月p887
- ^ 朝日新聞1979年2月1日1面「江川が巨人入り 阪神との契約直後 小林投手と交換」朝日新聞縮刷版1979年1月p1
- ^ 読売新聞1979年2月3日17面「故平沼氏と谷口氏殿堂入り」読売新聞縮刷版1979年2月p97
- ^ a b 朝日新聞1979年2月9日1面「江川移籍は開幕日以降 小林の阪神入り了承」朝日新聞縮刷版1979年2月p279
- ^ 読売新聞1979年2月9日17面「阪神小林きょう発表 ひとりぼっち、これで最後」読売新聞縮刷版1979年2月p349
- ^ 読売新聞1979年2月11日17面「阪神・小林が安芸キャンプ入り」読売新聞縮刷版1979年2月p385
- ^ 読売新聞1979年2月12日17面「キャンプ地フィーバー 球春連休 10球団4万5千」読売新聞縮刷版1979年2月p419
- ^ “【2月16日】1979年(昭54) 南海・門田、アキレス腱断裂 どうなる住宅ローン!?”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年2月6日). 2015年12月18日閲覧。
- ^ 読売新聞1979年2月17日17面「南海・門田、アキレスけん切断」読売新聞縮刷版1979年2月p591
- ^ “【12月12日】1978年(昭53) 世界の王よりも上に!王天上、ホークス入り内定”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2007年11月28日). 2015年12月18日閲覧。
- ^ 朝日新聞1979年3月17日17面「プロ野球新コミッショナーに下田氏(元最高裁判事)が就任」朝日新聞縮刷版1979年3月p631
- ^ 毎日新聞1979年4月7日夕刊10面「『巨人江川』が誕生 背番号30 上気して『夢みたい』」毎日新聞縮刷版1979年4月p230
- ^ 読売新聞1979年4月7日夕刊11面「『巨人・江川』晴れ晴れ30番」読売新聞縮刷版1979年4月p279
- ^ 毎日新聞1979年4月8日1面「箕島 三度目の優勝 センバツ 逆転、逆転また逆転 浪商を破る」毎日新聞縮刷版1979年4月p233
- ^ 読売新聞1979年4月10日19面「石井が現役選手登録」読売新聞縮刷版1979年4月p363
- ^ 読売新聞1979年4月10日19面「巨人、輝く3000勝達成 ベテラン勢、奮起の連打 ここ一番、堀内完投で花」読売新聞縮刷版1979年4月p363
- ^ 読売新聞1979年4月11日16面「福本が700盗塁 先制の2号も」読売新聞縮刷版1979年4月p404
- ^ 毎日新聞1979年4月15日19面「西武、こけら落とし飾れず エラー続出で自滅 日本ハムに敗れる」毎日新聞縮刷版1979年4月p477
- ^ 読売新聞1979年4月15日17面「煙もくもく中断」読売新聞縮刷版1979年4月p563
- ^ 読売新聞1979年4月17日17面「南海・佐々木宏一郎投手(三五)が600試合登板」読売新聞縮刷版1979年4月p639
- ^ 読売新聞1979年4月18日17面「近鉄・鈴木啓示投手(三一)が通算2500奪三振、最多被本塁打」読売新聞縮刷版1979年4月p679
- ^ 毎日新聞1979年4月22日19面「大洋、すかさず逆転 掛布の100号遅かった」毎日新聞縮刷版1979年4月p709
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- ^ 読売新聞1979年5月10日17面「大洋・基が1試合二塁打4本のプロ野球タイ記録」読売新聞縮刷版1979年5月p299
- ^ 読売新聞1979年5月12日17面「広島・江夏豊投手(三〇)が2500奪三振」読売新聞縮刷版1979年5月p381
- ^ 読売新聞1979年5月17日17面「大洋・平松政次投手(三一)が500試合登板達成」読売新聞縮刷版1979年5月p565
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- ^ 読売新聞1979年5月27日17面「巨人・堀内恒夫投手(三一)が500試合登板」読売新聞縮刷版1979年5月p965
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- ^ 読売新聞1979年5月28日17面「スコット 1日に4発 ヤクルト、阪神を連破」読売新聞縮刷版1979年5月p997
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- ^ “【6月26日】1979年(昭54) チーム最大の危機を救った“泣きながら”のバックホーム!”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年6月20日). 2015年12月18日閲覧。
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- ^ 読売新聞1979年8月17日17面「ドカンと3発二人 有藤、レオンが快記録 ロッテが大勝」読売新聞縮刷版1979年8月p415
- ^ 読売新聞1979年8月17日17面「大洋・松原誠選手(三五)が通算2000試合出場」読売新聞縮刷版1979年8月p415
- ^ 朝日新聞1979年8月17日19面「死闘18回、星稜力尽きる 箕島強運、二度生き返る 二死から本塁打 土壇場で自力サヨナラ勝ち」朝日新聞縮刷版1979年8月p537
- ^ 朝日新聞1979年8月17日23面「奇跡の連続 "逃げ水"ウイニングボール 同店ホーマー・隠し玉・邪飛ポロリ 星稜箕島 完全燃焼、わく甲子園」朝日新聞縮刷版1979年8月p541
- ^ 読売新聞1979年8月18日19面「広岡監督が突然対団 ヤクルト コーチ更迭に怒る」読売新聞縮刷版1979年8月p585
- ^ 毎日新聞1979年8月18日14面「広島、首位に躍り出る 4年ぶり"古葉スマイル"」毎日新聞縮刷版1979年8月p494
- ^ 朝日新聞1979年8月22日1面「箕島が初優勝飾る 春夏連覇は大会史上三度目」朝日新聞縮刷版1979年8月p689
- ^ 読売新聞1979年8月22日19面「ヤクルト・松岡弘投手(三二)が通算1500奪三振」読売新聞縮刷版1979年8月p729
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- ^ 読売新聞1979年8月24日17面「ロッテ・有藤通世内野手(三二)が通算250本塁打」読売新聞縮刷版1979年8月p803
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- ^ 読売新聞1979年9月6日16面「森、植村コーチも退団」読売新聞縮刷版1979年9月p200
- ^ “【9月12日】1979年(昭54) ただ1度だけ!王貞治、21年目の代打本塁打”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年9月10日). 2015年12月18日閲覧。
- ^ 読売新聞1979年9月13日17面「王"健在" 代打初アーチ 貴重なダメ押し26号」読売新聞縮刷版1979年9月p469
- ^ 読売新聞1979年9月13日17面「日本ハム・高橋直樹投手(三四)が無四球11のパ・リーグ新」読売新聞縮刷版1979年9月p469
- ^ 読売新聞1979年9月16日17面「クルーガー退団」読売新聞縮刷版1979年9月p585
- ^ 読売新聞1979年9月19日17面「阪神・江本孟紀投手(三二)がプロ入り100勝を達成」読売新聞縮刷版1979年9月p709
- ^ 読売新聞1979年9月20日17面「広島・江夏豊投手(三一)が600試合登板を達成」読売新聞縮刷版1979年9月p745
- ^ 読売新聞1979年9月21日17面「近鉄・鈴木啓示投手(三二)が通算250勝」読売新聞縮刷版1979年9月p789
- ^ 読売新聞1979年9月22日17面「西武・野村克也捕手(四四)が史上人目の通算1500得点」読売新聞縮刷版1979年9月p833
- ^ 読売新聞1979年9月25日夕刊11面「南海・山内 プロ入り100勝目」読売新聞縮刷版1979年9月p923
- ^ 読売新聞1979年10月1日17面「広島のヘンリー・ギャレット外野手が通算100本塁打」読売新聞縮刷版1979年10月p17
- ^ 読売新聞1979年10月1日17面「ロッテ・白仁天外野手(三五)が通算200本塁打」読売新聞縮刷版1979年10月p174
- ^ 読売新聞1979年10月6日19面「阪急"土壇場アーチ"で後期優勝」読売新聞縮刷版1979年10月p225
- ^ 読売新聞1979年10月7日1面「広島、二度目の優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1979年10月p243
- ^ 読売新聞1979年10月11日夕刊13面「西武・山崎裕之内野手(三二)が通算1500本安打」読売新聞縮刷版1979年10月p383
- ^ 日刊スポーツ1979年10月14日3面「西武パ新ならず 1500人足りなかった」
- ^ 読売新聞1979年10月14日17面「別当監督勇退 土井体制に 大洋」読売新聞縮刷版1979年10月p487
- ^ 読売新聞1979年10月15日17面「阪神・スタントンが1シーズン最多三振のセ・リーグ記録」読売新聞縮刷版1979年10月p519
- ^ 読売新聞1979年10月17日1面「『パ』近鉄が初優勝 球団創設30年目」読売新聞縮刷版1979年10月p583
- ^ 読売新聞1979年10月21日17面「加藤英(打率打点)山田(勝率勝利)が2冠 パ・リーグ全日程を終了 本塁打王マニエル(外人選手4年連続)」読売新聞縮刷版1979年10月p771
- ^ 読売新聞1979年10月1日17面「"さあ再建80年" 巨人新内閣」読売新聞縮刷版1979年10月p805
- ^ 読売新聞1979年10月25日16面「小林、2度目の『沢村賞』 セ最多の22勝 満場一致」読売新聞縮刷版1979年10月p922
- ^ 読売新聞1979年10月26日16面「セ・リーグ全日程終了 首位打者 ミヤーン外人初」読売新聞縮刷版1979年10月p970
- ^ a b 読売新聞1979年10月26日16面「土井、武上"正式"に誕生」読売新聞縮刷版1979年10月p970
- ^ 中国新聞1979年11月5日1面「広島、日本シリーズ初優勝 球団創設30年 悲願を達成 近鉄に4勝3敗 全員野球 見事に実る」
- ^ 読売新聞1979年11月7日17面「MVP セはセーブ王江夏 パは本塁打王マニエル」読売新聞縮刷版1979年11月p243
- ^ 読売新聞1979年11月7日17面「投手コーチに植村氏 日本ハム入団」読売新聞縮刷版1979年11月p243
- ^ 読売新聞1979年11月7日17面「広島・三村にカムバック賞」読売新聞縮刷版1979年11月p243
- ^ 読売新聞1979年11月21日17面「大北(巨人)と成重(西武)交換トレード成立」読売新聞縮刷版1979年11月p771
- ^ 読売新聞1979年11月21日17面「横溝氏ヘッドコーチ 南海の新陣容」読売新聞縮刷版1979年11月p771
- ^ 読売新聞1979年11月27日夕刊11面「岡田は阪神に決まる ドラフト 巨人は快速球の林 木田・日ハム、牛島・中日」読売新聞縮刷版1979年11月p1029
- ^ 読売新聞1979年12月2日17面「山本一コーチ退団」読売新聞縮刷版1979年12月p61
- ^ 読売新聞1979年11月21日17面「球界ルポ プロ厳し、ロッテの成田退団」読売新聞縮刷版1979年12月p179
- ^ 読売新聞1979年12月9日17面「ソレイタ、ハム合格」読売新聞縮刷版1979年12月p349
- ^ 読売新聞1979年12月14日17面「柳田らトレード発表」読売新聞縮刷版1979年12月p547
- ^ 読売新聞1979年12月14日17面「球界ルポ "不惑の石井"引退」読売新聞縮刷版1979年12月p547
- ^ 読売新聞1979年12月18日15面「ハム・永淵ついに引退」読売新聞縮刷版1979年12月p729
- ^ 読売新聞1979年12月22日15面「中日代表に鈴木氏」読売新聞縮刷版1979年12月p837
- ^ 読売新聞1979年12月25日15面「パ、正式呼称を変更」読売新聞縮刷版1979年12月p937
- ^ 読売新聞1979年12月27日17面「宇高勲氏」読売新聞縮刷版1979年12月p997