1960年の相撲
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大相撲
編集できごと
編集- 1月、初場所、蔵前国技館で15日間。大鵬が新入幕し初日から11連勝、12日目に小結柏戸に敗れる。元大関三根山引退、熊ヶ谷襲名。この場所の番付から若者頭、世話人、呼出の名が除かれ、勝負検査役が番付面の中央に、取締、理事は最下段に改められる。立行司庄之助には正直が、伊之助には鬼一郎が昇格。行司定年制実施。行司定員制実施。十両格以上25名を19名に減員。副立行司を廃止、立行司2名、三役3名、幕内7名、十両7名とする。決まり手を70手と制定。
- 2月、初場所優勝の横綱栃錦がエールフランスの招待で渡欧。
- 3月、春場所、大阪府立体育会館で15日間。この場所、横綱若乃花と横綱栃錦が史上初の千秋楽全勝対決を行う。
- 5月、夏場所、蔵前国技館で15日間。初日から連敗した横綱栃錦は3日目に引退を発表、年寄春日野となる。13日目、昭和天皇と香淳皇后が初の観戦。
- 7月、名古屋場所、金山体育館で15日間。場所後の番付編成会議で柏戸の大関昇進決定。
- 9月、秋場所、蔵前国技館で15日間。大鵬が20歳3ヶ月で新関脇。
- 10月、大阪準本場所15日間、北葉山優勝。栃錦引退相撲。
- 11月、九州場所、福岡スポーツセンターで15日間。場所後の番付編成会議で大鵬の大関昇進決定。出羽海前理事長が福岡で死去。
- 12月、出羽海前理事長の協会葬。出羽海部屋の後継者として武蔵川取締(元前頭筆頭出羽ノ花)が出羽海を襲名。蔵前国技館で相撲協会の財団法人35周年記念式典。
本場所
編集- 一月場所(蔵前国技館、10~24日)
- 幕内最高優勝 : 栃錦清隆(14勝1敗,10回目)
- 殊勲賞-北の洋、敢闘賞-大鵬、技能賞-柏戸
- 十両優勝 : 八染茂雄(12勝3敗)
- 三月場所(大阪府立体育会館 6~20日)
- 幕内最高優勝 : 若乃花幹士(15戦全勝,8回目)
- 殊勲賞-柏戸、敢闘賞-北葉山、技能賞-北の洋
- 十両優勝 : 双ツ龍徳義(12勝3敗)
- 五月場所(蔵前国技館、8~22日)
- 幕内最高優勝 : 若三杉彰晃(14勝1敗,1回目)
- 殊勲賞-若三杉、敢闘賞-大鵬、技能賞-柏戸
- 十両優勝 : 開隆山勘之亟(12勝3敗)
- 七月場所(金山体育館、6月26~7月10日)
- 幕内最高優勝 : 若乃花幹士(13勝2敗、9回目)
- 殊勲賞-柏戸、敢闘賞-岩風、技能賞-柏戸
- 十両優勝 : 花田茂廣(14勝1敗)
- 九月場所(蔵前国技館、11~25日)
- 幕内最高優勝 : 若乃花幹士(13勝2敗,10回目)
- 殊勲賞-小城ノ花、敢闘賞-北葉山、技能賞-大鵬
- 十両優勝 : 荒岐山正(12勝3敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター、13~27日)
- 幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(13勝2敗,1回目)
- 殊勲賞-房錦、敢闘賞-羽黒花、技能賞-栃ノ海
- 十両優勝 : 若駒健三(12勝3敗)
誕生
編集- 1月19日 - 次郎(立呼出、所属:三保ヶ関部屋→春日野部屋)
- 1月22日 - 輪鵬和久(最高位:十両11枚目、所属:花籠部屋→放駒部屋)
- 4月6日 - 桧山剛志(最高位:十両12枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋)
- 7月6日 - 旭富士正也(第63代横綱、所属:大島部屋、年寄:伊勢ヶ濱)[1]
- 7月22日 - 床鶴(特等床山、所属:君ヶ濱部屋→井筒部屋→陸奥部屋→音羽山部屋)
- 7月26日 - 立富士祐司(最高位:十両11枚目、所属:立浪部屋)
- 7月29日 - 恵那櫻徹(最高位:前頭筆頭、所属:押尾川部屋)[2]
- 8月8日 - 北天佑勝彦(最高位:大関、所属:三保ヶ関部屋、+ 2006年【平成18年】)[3]
- 8月20日 - 藤ノ川祐兒(最高位:前頭3枚目、所属:伊勢ノ海部屋)[4]
- 9月16日 - 大鷹雅規(最高位:十両4枚目、所属:大鵬部屋)
- 9月30日 - 大竜忠博(最高位:十両4枚目、所属:大鵬部屋、年寄:大嶽)[5]
- 10月20日 - 清王洋好造(最高位:十両9枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋、+ 2003年【平成15年】)
- 10月27日 - 床中(一等床山、所属:押尾川部屋→錦戸部屋)
- 11月6日 - 富士乃真司(最高位:前頭筆頭、所属:九重部屋、年寄:陣幕)[6]
- 12月6日 - 花乃湖健(最高位:小結、所属:花籠部屋→放駒部屋)[4]
- 12月6日 - 琴椿克之(最高位:前頭3枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋、年寄:白玉)[7]
- 12月9日 - 床辰(一等床山、所属:立浪部屋)
- 12月27日 - 6代木村玉治郎(元・三役格行司、所属:立浪部屋)[8]
死去
編集- 2月22日 - 朝響信親(最高位:前頭2枚目、所属:佐ノ山部屋→高砂部屋、年寄:佐ノ山、* 1897年【明治30年】)[9]
- 3月1日 - 錦洋与三郎(最高位:関脇、所属:井筒部屋、* 1900年【明治33年】)[10]
- 3月26日 - 土州山役太郎(最高位:前頭筆頭、所属:友綱部屋、年寄:二子山、* 1888年【明治21年】)[11]
- 5月25日 - 高ノ花武也(最高位:前頭8枚目、所属:出羽海部屋、* 1902年【明治35年】)[12]
- 8月10日 - 両國勇治郎(最高位:関脇、所属:入間川部屋→出羽海部屋、年寄:武隈、* 1892年【明治25年】)[13]
- 11月28日 - 常ノ花寛市(第32代横綱、所属:出羽海部屋、年寄:出羽海、第2代日本相撲協会理事長、* 1896年【明治29年】)[14]
その他
編集- 楽曲
出典
編集- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 209頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 217頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 202頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 212頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、12頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 215頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 228頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、32頁。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 51頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 57頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 21頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 73頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 33頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 42頁
参考文献
編集- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p54