1953年の映画
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出来事
編集世界
編集→「1953年 § できごと」も参照
- フランス、『現金に手を出すな』(ジャック・ベッケル監督)などフィルム・ノワール流行[1]。
- 5月 - 東宝、ロサンゼルスに出張所の開設を決定[2]。
- 6月28日 - 『煙突の見える場所』(五所平之助監督) 、第3回ベルリン国際映画祭でドイツ上院陪審賞(三等賞)を受賞[3][4][5]。
- 7月23日 - 米国・ロサンゼルスに国際東宝が設立される[6]。
- 8月27日 - イタリア、長編カラー記録映画『緑の魔境』公開[1][7][注 1]。
- 9月5日 - 第14回ベニス国際映画祭で 溝口健二監督『雨月物語』が銀獅子賞受賞[2][8][9]。
- 9月16日 - 米国ニューヨーク・ロキシー劇場、シネマスコープ第1作『聖衣』(20世紀フォックス、ヘンリー・コスター監督)初公開[10][1][11][注 2][矛盾 ]。
- 月日不詳
日本
編集→「1953年の日本 § できごと」も参照
- 1月
- 東映、今井正監督『ひめゆりの塔』が空前の配給収入(1億8000万円)を記録する[12][8][13]。社内の消極論を押し切り、『きけ、わだつみの声』(1950年)の2匹目のドジョウを狙ったマキノ光雄の功績が大[14]。
- 1月1日 - 入場税が税率50パーセントに軽減される[15][12][8][16]。
- 1月15日 - 早川電機工業(のちのシャープ)、国産第一号の白黒テレビ発売[17]。
- 1月19日 - 映画産業振興会発足[16]。
- 1月30日 - 東映、中里介山作『大菩薩峠』の映画化権譲渡をめぐり、東京地裁に権利保有の仮処分申請[14]。4月23日に『大菩薩峠 甲源一刀流の巻』(渡辺邦男監督)[18]が公開後も法定闘争は続き、1956年暮に円満解決[14]。
- 2月
- 3月
- 4月
- 5月
- 6月
- 7月
- 日活、株主に対して「映画製作開始についてお知らせ」を発送[25]。
- 7月1日 - 北海道釧路市内の全映画館、外国映画の高額な上映権利料を理由に上映を拒否、一斉に外国映画のボイコットを断行[4]。7月10日、外国映画会社の各北海道支社、釧路興行組合の上映権利料の値下げ要求と歩合制への移行を一蹴[4]。
- 7月7日 - 阪東妻三郎(51歳)死去[8][6]。7月11日、松竹京都撮影所で「関西映画人葬」執行[4][26]。
- 7月14日 - 日本初の夜通し(深夜)興行、福岡東宝劇場で実施[17]。
- 7月22日 - 東京・五反田東映劇場、区画整理のため休業[14]。9月1日、リニューアル・オープン[14]。
- 8月
- 9月
- 松竹、『君の名は』3部作大ヒット配給収入9億6000万円[8]。
- 新東宝、服部知祥社長就任[2]。
- 9月4日 - 日活、12年ぶりに自主製作、配給の再開を発表[2][8][9]。
- 9月6日 - 東京、丸の内スバル座全焼[2][8][28][9]。
- 9月10日 - 松竹・東宝・大映・新東宝・東映が映画俳優引き抜き防止の五社協定を調印[19][8]。違反罰金1000万円[8]。
- 9月15日 - 東宝初の総天然色映画『花の中の娘たち』(山本嘉次郎監督)[29]公開[9]。
- 9月29日 - 東宝『赤線基地』(谷口千吉監督)、反米映画と米記者から批判され、翌30日からの公開を中止[17]。12月8日、映画を改訂して公開[17]。
- 10月
- 11月
- 12月
- 12月1日 - 米・英・仏の連合3国、大蔵省に対して「日本国内における旧ドイツ映画の著作権管理を放棄し原製作者に返還する」旨を通達[34]。
- 12月18日 - 大阪・南街会館新築オープン(南街劇場、なんば東宝、南街ミュージック・ホールを収容)[9]。
- 12月22日 - 日本映画連合会理事会で劇映画のテレビ放映は公開から3年経たものに限ると決議[19][9]。ただし、短編には制限なし[19]。
- 12月26日 - 東京・有楽座と大阪・南街劇場(29日から)でシネマスコープ第1作『聖衣』を東宝が独占上映[19][35][注 3]。
- 12月28日 - 東映、2本立て製作配給を開始[36]。2本立て全プロ(グラム)配給は、中編映画「東映娯楽版」を連作することで実現[34]。
- 月日不詳
周年
編集- 創立30周年
- ウォルト・ディズニー・プロダクション - 創立30周年記念作品として、『ピーター・パン』を公開した。
日本の映画興行
編集- 入場料金(大人)
- 入場者数 7億6418万人[36]
配給会社 | 年間配給収入 | 前年対比 |
---|---|---|
松竹 | 36億7464万円 | — |
東宝 | 23億5702万円 | — |
大映 | 30億2955万円 | — |
新東宝 | 21億9819万円 | — |
東映 | 26億3878万円 | — |
日活 | — | — |
- 出典: 井上雅雄「映画産業の戦後「黄金期」の実態(下) : ポスト占領期の映画産業と大映の企業経営・補論」『立教經濟學研究』第71巻第2号、立教大学経済学研究会、2017年10月、102頁、doi:10.14992/00015468。
各国ランキング
編集日本配給収入ランキング
編集順位 | 題名 | 配給 | 配給収入 |
---|---|---|---|
1 | 君の名は 第二部 | 松竹 | 3億0002万円 |
2 | 君の名は 第一部 | 松竹 | 2億5047万円 |
3 | 太平洋の鷲 | 東宝 | 1億6318万円 |
4 | 地獄門 | 大映 | 1億5176万円 |
5 | 金色夜叉 | 大映 | 1億4669万円 |
6 | 花の生涯 彦根篇 江戸篇 | 松竹 | 1億3990万円 |
7 | 戦艦大和 | 新東宝 | 1億3601万円 |
8 | 東京物語 | 松竹 | 1億3165万円 |
9 | 叛乱[40] | 新東宝 | 1億2642万円 |
10 | 家族会議 | 松竹 | 1億2554万円 |
- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、104頁。ISBN 978-4873767550。
順位 | 題名 | 製作国 | 配給 | 配給収入 |
---|---|---|---|---|
1 | 地上最大のショウ | パラマウント映画 | 2億0270万円 | |
2 | シェーン | パラマウント映画 | 1億8175万円 | |
3 | クォ・ヴァディス | MGM | 1億5251万円 | |
4 | グレン・ミラー物語 | ユニバーサル・ピクチャーズ | 1億3422万円 | |
5 | シンデレラ姫 | RKO | 1億2714万円 | |
6 | 機動部隊[41] | ワーナー・ブラザース | 1億2182万円 | |
7 | 地上より永久に | コロンビア ピクチャーズ | 1億1472万円 | |
8 | 遠い太鼓[42] | ワーナー・ブラザース | 1億0686万円 | |
9 | 静かなる男 | リパブリック=NCC | 1億0627万円 | |
10 | ライムライト | 松竹 | 1億0540万円 |
- 出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、105頁。ISBN 978-4873767550。
日本公開作品
編集→詳細は「1953年の日本公開映画」を参照
受賞
編集- 第11回ゴールデングローブ賞
- 作品賞 - 『聖衣』
- 主演男優賞 (ドラマ部門) - スペンサー・トレイシー - The Actress
- 主演女優賞 (ドラマ部門) - オードリー・ヘプバーン - 『ローマの休日』
- 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門) - デヴィッド・ニーヴン - 『月蒼くして』
- 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) - エセル・マーマン - Call Me Madam
- 監督賞 - フレッド・ジンネマン - 『地上より永遠に』
- 第19回ニューヨーク映画批評家協会賞[43]
- 作品賞 - 『地上より永遠に』
- 第6回カンヌ国際映画祭
- パルム・ドール - 『恐怖の報酬』 - アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、 フランス/ イタリア
- 第14回ヴェネツィア国際映画祭
- 金獅子賞 - 受賞無し
- 第3回ベルリン国際映画祭
- 金熊賞 - 『恐怖の報酬』 - アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、 フランス/ イタリア
- 第8回毎日映画コンクール
- 日本映画大賞 - 『にごりえ』
生誕
編集- 1月30日 - スティーヴン・ザイリアン、 アメリカ合衆国、映画監督・脚本家
- 2月8日 - メアリー・スティーンバージェン、 アメリカ合衆国、女優
- 2月11日 - フィリップ・アングリム、 アメリカ合衆国、男優
- 2月19日 - マッシモ・トロイージ、 イタリア、男優
- 3月4日 - スコット・ヒックス、 オーストラリア、映画監督
- 3月16日 - イザベル・ユペール、 フランス、女優
- 4月3日 - 仁科亜季子、 日本、女優
- 4月5日 - 潘恵子、 日本、声優
- 4月18日 - リック・モラニス、 カナダ、男優・コメディアン
- 4月23日 - 国広富之、 日本、男優
- 5月4日 - 江原正士、 日本、声優
- 5月16日 - ピアース・ブロスナン、 アイルランド、男優
- 5月17日 - 島田陽子、 日本、女優
- 5月24日 - アルフレッド・モリーナ、 イギリス、男優
- 5月30日 - コルム・ミーニイ、 アイルランド、男優
- 6月7日 - 若原瞳、 日本、女優
- 6月13日 - ティム・アレン、 アメリカ合衆国、男優
- 7月31日 - 古谷徹、 日本、声優
- 8月11日 - ハルク・ホーガン、 アメリカ合衆国、レスラー
- 8月27日 - ピーター・ストーメア、 スウェーデン、男優
- 9月10日 - エイミー・アーヴィング、 アメリカ合衆国、女優
- 9月15日 - 竹下景子、 日本、女優
- 10月9日 - トニー・シャルーブ、 アメリカ合衆国、男優
- 10月26日 - モーリーン・ティーフィ、 アメリカ合衆国、女優
- 10月28日 - 斉藤暁、 日本、男優
- 10月31日 - マイケル・J・アンダーソン、 アメリカ合衆国、男優
- 11月1日 - 石丸謙二郎、 日本、男優
- 11月2日 - 平田満、 日本、男優
- 11月3日 - ケイト・キャプショー、 アメリカ合衆国、女優
- 11月6日 - ロン・アンダーウッド、 アメリカ合衆国、映画監督
- 11月22日 - 中田喜子、 日本、女優
- 11月28日 - 松平健、 日本、男優
- 12月6日 - トム・ハルス、 アメリカ合衆国、男優
- 12月8日 - キム・ベイシンガー、 アメリカ合衆国、女優
- 12月8日 - サム・キニソン、 アメリカ合衆国、スタンドアップコメディアン
- 12月9日 - ジョン・マルコヴィッチ、 アメリカ合衆国、男優
- 12月17日 - ビル・プルマン、 アメリカ合衆国、男優
- 12月31日 - ジェームズ・レマー、 アメリカ合衆国、男優
死去
編集日付 | 名前 | 出身国 | 年齢 | 職業 | |
3月 | 5日 | ハーマン・J・マンキーウィッツ | アメリカ合衆国 | 55 | 脚本家 |
6月 | 20日 | フセヴォロド・プドフキン | ロシア帝国 | 60 | 映画監督 |
10月 | 8日 | ナイジェル・ブルース | イギリス | 58 | 男優 |
11月 | 29日 | サム・ド・グラッス | アメリカ合衆国 | 78 | 男優 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 石原良太 1986, p. 88.
- ^ a b c d e f g h i j k l 松竹 1985, p. 680.
- ^ a b c d e f 筈見 1956, p. 97.
- ^ a b c d 時事通信社 1954a, p. 15.
- ^ “映画 煙突の見える場所 (1953)について”. allcinema. スティングレー. 2023年10月6日閲覧。 “ベルリン国際映画祭 1953年 ドイツ上院陪審賞 国際平和賞”
- ^ a b c d 東宝 1982b, p. 64.
- ^ “緑の魔境 (1953) - Release info -” (英語). IMDb. 2023年10月4日閲覧。 “Italy August 27, 1953”
- ^ a b c d e f g h i j k l 谷川 1993, p. 122.
- ^ a b c d e f g h i j 東宝 1982b, p. 65.
- ^ 時事通信社 1954b, p. 87.
- ^ “聖衣 - Release info -” (英語). IMDb. 2023年10月6日閲覧。 “United States September 16,1953(New York City, New York,premiere)”
- ^ a b c d e 松竹 1985, p. 679.
- ^ a b c “東映クロニクル”. 東映公式サイト. 東映. 2020年4月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 東映 1992, p. 16.
- ^ 斉藤 2009, p. 56.
- ^ a b c d e 東宝 1982b, p. 63.
- ^ a b c d 東宝 2010b, p. 207.
- ^ “大菩薩峠 甲源一刀流の巻(1953)”. allcinema. スティングレイ. 2023年3月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 山川 1987, p. 225.
- ^ “映画 三代の盃 (1942)について”. allcinema. スティングレー. 2023年10月6日閲覧。
- ^ 時事通信社 1954a, p. 12.
- ^ a b c 時事通信社 1954a, p. 13.
- ^ “日本の3D映画 : 第三の革命 立体3D映画の時代 (2)”. 映画.com. 2019年9月7日閲覧。 “大手映画会社の中で、秘密裏に3Dシステムの開発を進めていたのが東宝である。(中略)「トービジョン」という名称が与えられた(後略)”
- ^ a b c 時事通信社 1954a, p. 14.
- ^ 日活 2014, p. 60.
- ^ “故 阪東妻三郎 関西映画人葬実況”. 国立映画アーカイブ. 2023年10月8日閲覧。
- ^ 時事通信社 1954a, p. 16.
- ^ “第2章 観覧施設または観客に係る事故事例” (PDF). 東京消防庁公式サイト. 東京消防庁. p. 11. 2019年10月2日閲覧。
- ^ “花の中の娘たち”. キネノート. キネマ旬報社. 2020年1月7日閲覧。
- ^ 時事通信社 1954b, p. 10.
- ^ a b 東映 1992, p. 16-17.
- ^ “沿革”. 東映公式サイト. 東映. 2020年4月1日閲覧。
- ^ “日輪(1953)”. キネノート. キネマ旬報社. 2020年4月2日閲覧。
- ^ a b c 時事通信社 1954b, p. 11.
- ^ 東宝 1982b, p. 66.
- ^ a b c 東映 1992, p. 17.
- ^ 角川春樹、藤岡和賀夫、阿久悠『ザ・ブーム』角川書店、1982年1月25日、198頁。
- ^ “小売物価統計調査(動向編) 調査結果”. 統計局. 2016年8月3日閲覧。
- ^ “主要品目の東京都区部小売価格:昭和25年(1950年)〜平成22年(2010年)” (Excel). 統計局. 2016年8月3日閲覧。
- ^ “叛乱(1954)”. KINENOTE(キネノート). 2018年9月29日閲覧。
- ^ “機動部隊”. allcinema. 2018年9月30日閲覧。
- ^ “遠い太鼓”. allcinema. 2018年9月30日閲覧。
- ^ “1953 Awards”. ニューヨーク映画批評家協会. 2012年3月19日閲覧。
参考文献
編集- 石原良太 編『映画賞・映画祭日本・外国受賞作品大全集 : 栄光と虚栄・アカデミー賞からヨコハマ映画祭』芳賀書店、1986年6月。ISBN 4-8261-0520-7。
- 井上雅雄「映画産業の戦後「黄金期」の実態(下) : ポスト占領期の映画産業と大映の企業経営・補論」『立教經濟學研究』第71巻第2号、立教大学経済学研究会、2017年10月、67 - 107頁、doi:10.14992/00015468。 - 1953年から1956年の邦画各社の状況について書かれている。
- 斉藤守彦『映画館の入場料金は、なぜ1800円なのか?』ダイヤモンド社、2009年11月27日。ISBN 978-4-478-01134-8。
- 時事通信社『映画年鑑 1954年版』時事通信社、1954年1月1日。doi:10.11501/2472548。全国書誌番号:55003055。 - 「映画界重要日誌」1952年9月から1953年8月まで。
- 時事通信社『映画年鑑 1955年版』時事通信社、1954年12月15日。doi:10.11501/2472550。全国書誌番号:55003055。 - 「映画界重要日誌」1953年9月から1954年8月まで。
- 松竹『松竹九十年史』松竹、1985年12月。全国書誌番号:87001945。
- 谷川義雄『年表・映画100年史』風濤社、1993年5月。ISBN 4-89219-113-2。
- 東映『クロニクル東映-II 1947-1991』東映、1992年10月。全国書誌番号:93017746。
- 東宝『東宝五十年史』東宝、1982年11月。全国書誌番号:83041631。
- 渋沢社史データベース版(1982年11月刊行本が底本)
- 東宝 編『東宝75年のあゆみ ビジュアルで綴る3/4世紀 1932 - 2007』東宝、2010年4月。
- 東宝 編『東宝75年のあゆみ 1932 - 2007 資料編』(PDF)東宝、2010年4月。
- 日活『日活100年史 = Nikkatsu-celebrating 100 years of history』日活、2014年3月。全国書誌番号:22411179。
- 筈見恒夫『写真映画百年史』 補巻、鱒書房、1956年6月。 NCID BA32272354。NDLJP:2478782。
- 山川浩二『昭和広告60年史』講談社、1987年。ISBN 4-06-202184-6。