阿部裕太
阿部 裕太(あべ ゆうた、1981年8月8日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1981年8月8日(43歳) | |||
出身地 | 茨城県ひたちなか市 | |||
ラテン文字 | Yuta Abe | |||
身長 | 191cm | |||
体重 | 82kg | |||
血液型 | A型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | 東レアローズ静岡 | |||
愛称 | ユウタ | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | S | |||
指高 | 246cm | |||
利き手 | 両利き | |||
スパイク | 350cm | |||
ブロック | 322cm |
来歴
編集家族の影響で、大島中学1年よりバレーボールを始める[1]。
2001年、東海大学在学中の19歳の時に日本代表入りを果たし、同年のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で代表デビュー。
全日本史上最高身長のセッターとして期待されたが、同じセッターの宇佐美大輔・朝長孝介の存在により、日本代表から漏れることもあった。
2004年、東レアローズに入団。2012年6月、東レを退団しサントリーサンバーズに移籍した[2][3][4]。
2017年4月24日、黒鷲旗大会をもってサントリーを退団し[5]、コーチ兼任として東レに復帰した[6]。
両利きという器用さを持ち、左腕から放たれるツーアタックが持ち味。
2022年3月、東レの主力セッターである藤井直伸の離脱に伴うセッター不足から一時的に選手登録された[9]。実際には試合に登録されることはなく9月に登録抹消となった[10]。
2024年、東レアローズ静岡の監督に就任した[11]。
球歴
編集- 全日本代表 - 2001-2004、2006-2007、2009、2012-2016年
- 世界選手権 - 2002年、2006年
- ワールドカップ - 2003年、2015年
- ワールドリーグ - 2002年、2003年、2004年、2012年
- ワールドグランドチャンピオンズカップ - 2001年、2009年
受賞歴
編集- 2005年 - 第11回Vリーグ新人賞
- 2013年 - Vリーグ栄誉賞
- 2013年 - 第62回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 ベスト6
所属チーム
編集- ひたちなか市立大島中学校
- 勝田工業高校
- 東海大学
- 東レアローズ(2004-2012年)
- サントリーサンバーズ(2012-2017年)
- 東レアローズ(2017-2019年)
同時期の全日本男子セッター
編集脚注
編集- ^ 「月刊バレーボール」2017年12月号臨時増刊 31ページ
- ^ “阿部裕太選手退団について”. 東レアローズ男子バレーボール部 (2012年6月1日). 2012年6月7日閲覧。
- ^ “東レ男子 阿部裕太退団”. バレーボールワールド (2012年6月1日). 2012年6月7日閲覧。
- ^ “2012年度 サントリーサンバーズ選手・スタッフ陣容”. サントリーサンバーズ (2012年6月11日). 2013年5月10日閲覧。
- ^ “勇退選手、退団選手、プロ選手のお知らせ”. サントリーサンバーズ. 2017年4月27日閲覧。
- ^ “阿部裕太 コーチ兼選手の入団について”. 2017年6月22日閲覧。
- ^ “阿部コーチ兼選手引退について(ご報告)” (2019年4月23日). 2019年11月5日閲覧。
- ^ “阿部コーチ兼選手引退コメントについて” (2019年5月9日). 2019年11月5日閲覧。
- ^ “追加登録選⼿・スタッフ(男⼦)リスト”. ウェイバックマシン. 2024年6月1日閲覧。
- ^ “退 団 選 ⼿ ( 男 ⼦ )”. ウェイバックマシン. 2024年6月1日閲覧。
- ^ “| お知らせ | 東レアローズ男子バレーボール部 | TORAY”. 東レアローズ男子バレーボール部 (2023年7月1日). 2024年6月1日閲覧。
外部リンク
編集- 阿部裕太 - V.LEAGUEのプロフィール
- プレーヤーのプロフィール JP.Volley24.com