渡部 龍一(わたなべ りゅういち、1985年10月2日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元プロ野球選手社会人野球選手(捕手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズブルペン捕手

渡部 龍一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道白老郡白老町
生年月日 (1985-10-02) 1985年10月2日(39歳)
身長
体重
171 cm
79 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手一塁手
プロ入り 2003年 ドラフト7巡目
初出場 2008年6月6日
最終出場 2011年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

父は元社会人野球選手・監督で、バルセロナオリンピック銅メダリストの渡部勝美

来歴・人物

編集

プロ入り前

編集

1998年、小学校卒業までは白老町で過ごし、中学は札幌市の札幌市立月寒中学校に通う。

札幌第一高時代は、2002年の2年時の夏に第84回全国高等学校野球選手権大会に正捕手として出場し、1回戦で同大会の準優勝校である智辯和歌山高に延長10回の末に4-5で敗れた。

2003年プロ野球ドラフト会議で、2004年からの本拠地北海道移転が決定していた日本ハムに7巡目で指名され、入団した。

日本ハム時代

編集

2005年9月、右肩を手術した。

2006年9月27日、1日限定で背番号を63から68に変更した。これは、同年限りでの引退を既に公表していた新庄剛志が自身最後の公式戦をプロに入って最初に付けた背番号63でプレーすることを希望したための暫定的な措置である。新庄は背番号63のユニフォームで実際に出場したが、渡部は出場選手登録されておらず、同日は二軍では試合の予定がなく、翌日には背番号が元に戻されたため、渡部の背番号68のユニフォームは作成されていない。渡部はこの1日限りの変更について「どうせなら(新庄の本来の番号である)背番号1に変更してもらいたかった」と冗談交じりに話す[1]

2007年8月、二軍の北海道遠征に参加した(日本ハムの二軍本拠地は北海道ではなく千葉県鎌ケ谷市にある)。またこの年は北京プレオリンピック野球日本代表の候補に選抜されたが、練習試合で右手を8針縫う怪我を負い、最終登録メンバーから外れている。2007年の日本シリーズでは出場資格者に選ばれた。

2008年6月2日、日本ハムの北海道移転後、道産子選手としては初の一軍昇格を果たし、6月6日には道産子として初の一軍出場、6月9日には道産子選手としての移転後初安打を放っている。

2011年は3試合の出場ながら捕手として若手投手陣の好投を支えた。10月16日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で道産子選手初の先発マスク(北海道移転後)を被ったが銀次に適時打を許し、味方打線が田中将大に零封されたことで、札幌に本拠地移転した2004年からいずれも勝利していた本拠地最終戦での連勝を止めてしまった[2][3]11月10日に球団から戦力外通告を受けた[4]

クラブチーム時代

編集

2012年より、北海道千歳市を拠点にしている社会人野球クラブチームであるトランシスに所属し、北海道地区より都市対抗野球出場を目指していたが、同年の都市対抗予選では代表決定戦で敗れ、本戦出場には至らなかった。

現役引退後

編集

2013年から、古巣の北海道日本ハムファイターズでブルペン捕手を務めている[5]

詳細情報

編集

年度別打撃成績

編集
















































O
P
S
2008 日本ハム 4 4 4 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .500 .750
2010 1 1 1 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
2011 3 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:3年 8 10 10 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .200 .200 .300 .500

年度別守備成績

編集

捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2008 1 1 0 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2011 3 8 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
通算 4 9 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000

記録

編集

いずれも道産子選手としてのチーム北海道移転後初記録である。

背番号

編集
  • 63 (2004年 - 2006年9月26日、同年9月28日 - 2011年)
  • 68 (2006年9月27日)
  • 95 (2013年 - 2022年)
  • 105 (2023年 - )

脚注

編集
  1. ^ 渡部から背番号「63」を“強奪”新庄カウントダウン プロ野球 : nikkansports.com 2016年3月23日閲覧(日刊スポーツ2006年9月28日紙面)
  2. ^ 本拠地最終戦もマー君に完敗「ボールが低めに消えるよう」 2011年10月16日スポニチ
  3. ^ テキスト速報 | 北海道日本ハムファイターズ
  4. ^ 来季契約について 2011年11月10日配信 北海道日本ハムファイターズ公式サイト
  5. ^ 大谷、初の本格ピッチングに大物の予感 18歳とは思えない修正能力の高さ”. MSN 産経ニュース (2013年2月10日). 2013年2月25日閲覧。

関連項目

編集

外部リンク

編集