木村作次郎
木村 作次郎(きむら さくじろう、明治5年7月5日(1872年8月8日)[1] - 昭和23年(1948年)12月20日[1])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。
経歴
編集岐阜県安八郡大垣町(現在の大垣市)出身。上田甚助の長男として生まれ、木村家の婿養子となった[2]。東京法学院(現在の中央大学)で学び、雑誌「濃州」を発刊した[3]。のち日刊に改め、美濃新聞社、美濃大正新聞社の経営にあたった[3]。大垣町会議員、安八郡会議員、大垣市会議員、大垣市会副議長、岐阜県会議員を歴任した[3]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回・第20回でも再選された。
脚注
編集参考文献
編集- 『衆議院要覧(乙) 昭和11年3月』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。