マルエス主婦の店
株式会社マルエス主婦の店(マルエスしゅふのみせ、Maruesu.Co.)は、かつて青森県弘前市に本社を置き、スーパーマーケットチェーンの「Maruesu」(マルエス)を展開していた企業である。名前の通り、○にSの字をあしらったマークをシンボルとしていた。
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | マルエス、Maruesu |
本社所在地 |
036-8076 青森県弘前市大字和徳字和泉24-1[1]) |
設立 | 1958年(昭和33年)11月29日[2][3] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケットチェーンの運営 |
代表者 | 鈴木孝彦(代表取締役会長) |
資本金 | 9300万円 |
売上高 | 約74億円(2007年5月期) |
従業員数 | 370名 |
決算期 | 5月[1] |
特記事項:2008年7月に破産手続き申請。 |
歴史・概要
編集1958年(昭和33年)11月29日に新戸部ツヤが弘前市土手町57で[4]資本金80万円で株式会社主婦の店を設立し[1]、当時の随一の繁華街であった下土手商店街に[5]、津軽初のスーパーマーケットとして主婦の店弘前店を開店したのが始まりである[6]。 スーパーマーケットの開業に伴って食料品を主力とし[5]、地元小売店に大きな影響を与えたとされている[7]。
1963年(昭和38年)7月に仕入れ部門を分離して「株式会社マルエス商事」としたが、1966年(昭和41年)9月に同社を吸収合併して株式会社マルエス主婦の店に商号を変更した[8]。
スーパーマーケットを多店化したほか、健康食品販売店やレンタル事業、パチンコホールの運営にも進出した[6]。
最盛期となった2000年(平成12年)5月期に年商100億円を突破し[9]、2003年(平成15年)5月期まで売上高100億円の大台を維持した[6]。
破産
編集その後は、競争の激化により売上が減少傾向となり、2007年(平成19年)5月期は売上高が約74億円と落ち込んだことから、資金繰りが悪化[9]。 2008年(平成20年)7月13日に9店舗全店を閉鎖して事業を停止することになった[6]。 そのうち3店舗を同業のユニバースに事業譲渡をされた[10][広報 1]。 この秋までに改装後、店名をユニバースでは無く新業態である『Uマート』として順次開業する予定となっていた(これは3店舗とも売場面積が1,000m2前後と小規模店舗であり、現行のユニバースの店舗基準である2,000m2よりも下回っていることなどが挙げられる)。[11]
その後、同年7月25日に青森地方裁判所弘前支部に破産手続きを申し立て、同年8月1日に破産手続開始決定を受けた[12]。
破産後手続き後の同年8月21日に、ユニバースへ譲渡された2店舗(桔梗野店・弘大前店)がUマートとして新装開店した[12]。
『お隣さん』というプライベートブランドも展開し、それを冠した商品(牛乳〔萩原乳業製造〕、納豆〔野田食品工業[13]製造〕)が販売されていた。また「お隣さんです〜」というイメージソングも制作し、店内で流された。後に佐藤生朗(弘前出身)をはじめ、地元東奥義塾高等学校出身者らで結成されたコーラス・グループJ's(ジェイズ)により、同曲のカバーがなされ、2006年10月には同曲を含めたコラボレーション・ミニアルバムとして「Maruesu meets J's」を発表した(ジャケットはマルエスマークをあしらったもの)。
沿革
編集店舗
編集事業停止までに存在した店舗
編集スーパーマーケット事業部
編集- 弘前市
- 敷地面積約3,600m2[16]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上2階建て[16]、延べ床面積約2,547.66m2[16]、店舗面積約2,169.65m2[16](当社店舗面積約485.75m2[16])、駐車台数約300台[16]。
- ショッピングセンター。2階建てで1階にはスーパー「マルエス」の他、鮮魚店、精肉店、神戸屋、ナチュラルハウス、ラグノオ、菊池薬店、生花店などの専門店も入っており、2階には文具・雑貨の「MILK PAN」(ミルクパン)やゲームコーナーがあった。かつては1階に軽食店、2階に喫茶店もあった。2009年7月、みちのく銀行亀甲町支店を除く、店舗部分のみ解体された。[要出典]
- 店舗面積396m2[17]
- 店舗面積528m2[3]
- スーパーマルサン富田店跡の建物に出店していた[21]。
- 改装してユニバースUマー弘大前店として[広報 2]2008年(平成20年)8月21日に新装開店したが[12]、店舗建物老朽化により2020年(令和2年)6月30日に閉店した[21]。その後、店舗建物は解体され、跡地に青森市の紅屋商事の「メガ富田店」として2021年9月に開業[22]。
- 尾上店 - 尾上栄松に所在。[要出典]
- 平賀店 - 柏木町字東田に所在。[要出典]
専門店事業部
編集- ナチュラルハウスマルエス - アップルツー内の健康食品店[23]。1986年8月開店。
- ミルクパン - アップルツー内の玩具・娯楽用品店[23]。
- ラッキーランドリー富田店 - 富田町大通りに所在。旧富田店が弘大前店として移転開業した後、開業したコインランドリー。現在は閉店、貸店舗。[要出典]
事業停止前に閉店した店舗
編集スーパーマーケット事業部
編集- 弘前市
- 店舗面積297m2[18]
- 店舗面積264m2[24] → 297m2[3]
- 松森町に所在。マルエスを軸に複数の食品店が集まっており、「テンフード」の愛称も付いていた。1990年代に閉店。現在、跡地は青森県道109号弘前平賀線が通っている。[要出典]
- 店舗面積396m2[17]
- 店舗面積116m2[26]
専門店事業部
編集- 弘前市
- はなぞのショップ(弘前市外崎1-1-1[27])
- 花・植木店[27]
- 平賀町(現:平川市)
遊技事業部
編集- 弘前市
- 平賀町(現:平川市)
- 黒石市
かつての関連企業
編集- 株式会社弘前自動車学校(弘前市小沢大開406[32])
- 株式会社フジモーターズ → マルエス自工株式会社(現・ムジコ・クリエイト)(弘前市和徳町91[34][35]、1958年(昭和33年)8月設立[34]、資本金480万円[35] → 1200万円[34])
事業所
編集- 配送セシター(弘前市和徳和泉24-1[42])
参考文献
編集- マルエス主婦の店がユニバースに3店舗事業譲渡(陸奥新報:2008年7月14日[リンク切れ])
- マルエスがユニバースに事業譲渡(東奥日報:2008年7月14日[リンク切れ])<2段落目以降の閲覧は同紙購読者且つ会員制>
- マルエスの負債総額 約29億円(東奥日報:2008年7月14日[リンク切れ])<2段落目以降の閲覧は同紙購読者且つ会員制>
- 旧マルエス2店を佐藤長が取得(東奥日報:2009年1月22日[リンク切れ])<2段落目以降の閲覧は同紙購読者且つ会員制>
脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e 『日本繊維商社銘鑑 1983年版』 東京信用交換所、1983年1月1日。pp2146
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp651
- ^ a b c d e f 『食糧年鑑 1977年版 本編』 日本食糧新聞社、1977年8月15日。pp310
- ^ a b c 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 東京信用交換所、1967年9月15日。pp973
- ^ a b c “小売商業の構造変化と零細小売商Ⅰ スーパーマーケットとの関連を中心に”. 国民金融公庫調査月報 No.82 (国民金融公庫調査部) (1968年1月20日).pp29
- ^ a b c d e “全国小売流通特集 兆候・東北エリア=ローカルSMの淘汰再編進む”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年7月29日). pp9
- ^ “小売商業の構造変化と零細小売商Ⅰ スーパーマーケットとの関連を中心に”. 国民金融公庫調査月報 No.82 (国民金融公庫調査部) (1968年1月20日).pp30
- ^ a b c 『全国繊維企業要覧 昭和48年版 東日本篇』 信用交換所大阪本社、1972年9月1日。pp1204
- ^ a b “弘前のマルエス主婦の店が破たん ユニバースが3店舗譲受”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年7月18日). pp2
- ^ 三沢篤(2008年12月26日). “八戸のスーパー、ユニバースが東証1部上場”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp2
- ^ デーリー東北:2008年7月15日付け朝刊より。
- ^ a b c d e f g “平成20年第3回定例会 第2号 9月9日”. 弘前市議会 (2008年9月9日). 2024年7月25日閲覧。
- ^ 弘前市野田に本社・工場を置き、主に「パール納豆」ブランドの納豆を製造していた。
- ^ a b c d e f g h i j k 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp502
- ^ 中村敬一 “地域スーパー「フレック」に見る、プレミアムのないプリペイドカード戦略”. Card wave 1991年8月号 (インフキュリオンコンサルティング) (1991年7月10日).pp38
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp152
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『小売業年鑑 百貨店・スーパー 1983年版』 商業界、1983年3月。pp140
- ^ a b c d e f g h i 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp79
- ^ a b c d e f 『日本セルフ・サービス年鑑 1966年版』 日本セルフ・サービス協会、1965年。pp436
- ^ 『事業所名鑑 昭和63年版 本編』 総務庁統計局、1988年12月。pp1042
- ^ a b “Uマート弘大前店 6月30日で閉店”. デーリー東北 (デーリー東北新聞社).. (2020年5月30日)
- ^ スーパー跡地に「メガ」出店へ/弘前市富田|経済・産業・雇用|青森ニュース|Web東奥[リンク切れ]
- ^ a b 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp95
- ^ a b c d e 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp503
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp80
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp144
- ^ a b 『全国商業通覧 1982年版 東日本』 通商産業調査会、1982年4月。pp315
- ^ 『二十五年の歩み 組合設立25周年記念誌』 青森県旅館業環境衛生同業組合、1982年5月26日。pp32
- ^ “カード導入リスト&データ”. 遊技通信 1995年4月号 (遊技通信社) (1995年4月).pp134
- ^ “プリペイドカード導入最新リスト&分布”. 遊技通信 1994年2月号 (遊技通信社) (1994年2月).pp71
- ^ a b c d e f 『帝国銀行・会社要録 第46版』 帝国興信所、1965年11月10日。pp青森17
- ^ 『全国学校総覧 昭和56年版』 東京教育研究所、1980年11月20日。pp1300
- ^ a b 『日本繊維商社銘鑑 1969年版』 東京信用交換所、1968年。pp844-845
- ^ a b c d e f g h 『日本職員録 第14版 下』 人事興信所、1972年11月16日。ppま8
- ^ a b c d 『帝国銀行・会社要録 第46版』 帝国興信所、1965年11月10日。pp青森16
- ^ 『青森県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp28
- ^ 『青森県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp20
- ^ 『青森県事業所名鑑』 総務庁統計局、1985年8月。pp47
- ^ a b c d 『東商信用録 東北・新潟版 昭和50年版』 東京商工リサーチ東北支社、1975年10月15日。pp青森85
- ^ a b c d 『東商信用録 東北・新潟版 昭和56年版』 東京商工リサーチ東北支社、1981年10月。pp青森142
- ^ 『パチンコ産業年鑑 1986年版』 綜合ユニコム、1985年9月30日。pp287
- ^ 『全国商業通覧 1979年版 上巻』 通商産業調査会、1979年2月。pp248
広報資料・プレスリリースなど一次資料
編集- ^ ユニバースのリリースより(2008年7月14日)[リンク切れ]
- ^ a b 『第42期 有価証券報告書』 ユニバース、2009年7月16日。pp10
- ^ http://motor-school.jp/pdf/080715.pdf[リンク切れ]