バジリスク

ヨーロッパの伝承上の生物

バジリスクまたはバシリスク: basilisk, : basiliscus, 古希: βασιλίσκος, basiliskos)は、ヨーロッパの伝承上の生物である。名称はギリシア語で「小さな[1]」を意味する[2][3]βασιλεύς, basileus「王」+指小辞 -ίσκος, -iskos)。ラテン語ではそれを直訳したregulusとも呼ばれた(rex 「王」+ 指小辞-ulus)。

プリニウス博物誌』(ドイツ語版)より、「バシリスク」、1584年フランクフルト・アム・マイン

古代の伝承

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古代ローマの学者大プリニウス(CE 22 / 23 - 79)が書いた『博物誌』(CE77年)第8巻第33(21)章第78 - 79節及び29巻19章66節の記述をまとめると以下のようになる。「バジリスクはクレタ・キュレナイカ州で産出されるヘビ[注釈 1]で、体長は12ディギトゥス[注釈 2]に満たない。頭に王冠を彷彿とさせる白い模様があり、鳴き声[注釈 3]を聞くだけで他の全てのヘビは逃げていく。体をくねらせず、前半身を持ち上げて進む。その毒は非常に強力で、息だけで草を枯らし石を砕き、馬上の人が手に持った槍でバジリスクを突けば槍を伝った毒がその人を殺しさらに馬すら殺す。イタチが天敵であり、イタチはその臭い[注釈 4]でバジリスクを殺すが、戦いによってイタチもまた死ぬ」

これらの特徴は、インドエジプトを含む北アフリカに生息するコブラに関する伝聞に由来したのではないかとも考えられている[2][4]。インドに生息するキングコブラは体をくねらせず、頭を持ち上げてまっすぐ進み、またヘビを捕食するヘビである。インドコブラは、白い輪っかのような模様を持つ。

聖書において、バジリスクは旧約聖書の翻訳の際にヘブライ語で「毒蛇」を表す箇所の対応語として使われた(日本語訳聖書では「まむし」、標準英語訳聖書新欽定訳聖書など現代の英語訳聖書では「adder」の語がよく充てられる)[注釈 5]詩篇91章13節「עַל־שַׁחַל וָפֶתֶן תִּדְרֹךְ תִּרְמֹס כְּפִיר וְתַנִּֽין׃(あなたは獅子とコブラを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。[5])」はギリシャ語の七十人訳聖書において「ἐπ᾽ ἀσπίδα καὶ βασιλίσκον ἐπιβήσῃ καὶ καταπατήσεις λέοντα καὶ δράκοντα(あなたは蛇(アスプ)とバジリスクを踏み、獅子とドラゴン[注釈 6]を踏み潰すだろう)」であり、ラテン語のウルガタ聖書もこれを引き継いだ。ウルガタ聖書ではイザヤ書においてregulusの形での使用もみられる。改訂標準訳聖書ではイザヤ書エレミヤ書において用いられている。こうしたことからバジリスクはドラゴンとともに(あるいは混同されながら[注釈 7])、救世主によって倒される悪魔の象徴となっていった[3]

当初はただのヘビであったバジリスクだが、その姿には雄鶏の特徴が取り入れられるようになる。詩篇91:13をモチーフとしたイコン図案「Christ treading on the beasts」においてバジリスクは他の3体の獣(beasts)と共に描かれるが、この中において、9世紀初期にはすでにほぼ完全に鶏型のものが見られる[6][7]。また、「鶏冠」だけであれば5世紀まで遡る[8]

中世の伝承

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ウリッセ・アルドロヴァンディ(Ulisse Aldrovandi)著 『怪物誌』(Monstrorum historia)より、「バジリスク」(Basilisk)、木版画、1642年、ボローニャ
 
ニワトリに似たバジリスク
 
聖ミカエルがバジリスクを殺すシーンを描いたズヴォーレ市章

中世において、バジリスクは見ただけで死をもたらす力を持っていると思われていた[9][2][3][4][10]。『アレクサンドロス・ロマンス』の中世改訂版のひとつ(Rezension J³)には「アレクサンダー大王がバジリスクと遭遇して苦しめられたが、盾の表に鏡を張ってその邪視を跳ね返して撃退する」というエピソードが存在する。

バジリスクの伝承には様々な要素が付け加えられた。バジリスクは、雄鶏の産んだヒキガエル[11][12](またはヘビ[10]など)が孵化させて生まれると言われるようになった[12]。また、リビアや中東にある砂漠地帯は、そこを住処とするバジリスクの力で砂漠となったと言い伝えられた[3]

バジリスクは「8本足のトカゲ」として描かれることもあった[13]

中世においてコカトリスはバジリスクと同一視されるようになり[13]、「バジリスク」の別称として「コカトリス」が用いられるようにもなった。コカトリスとは雌雄関係にある(どちらが雄か雌かは不明)とも言われる。ジェフリー・チョーサー1343頃-1400)は『カンタベリー物語』(14世紀)に「バシリコック」(バジリコック Basilicokとも)という名前でバジリスクを登場させている[10]

その後、バジリスクの恐ろしさに関する記述はどんどん大げさになっていく。例えば、体の大きな怪物とされたり、口から火を吹くことになっていた[10]

近世以降

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ルネサンス時代には、「本当にそれほど危険であれば、実際にバジリスクを見た者は生きて帰れないので、誰もそれについて語れないはずだ」という意見が出てきた[2][10]

バジリスクの伝承はヨーロッパの文化に根付き、貴族や団体などがバジリスクを紋章のデザインに取り入れており、今日まで続いている[10]

現代では、バジリスクは多くのファンタジー作品に登場している。多くの場合、非常に危険な存在として描かれており(『ダンジョンズ&ドラゴンズ』、『ソード・ワールドRPG』などのテーブルトークRPGでも事実上のボス敵として登場している)、ほとんどで「猛毒を持つ」「視線で石化する」という2つの能力が共通して登場している[14]。ファンタジー作品におけるバジリスクは鶏の特徴を持つ場合が多いが、『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の例のように純粋なヘビ型で登場することもまた少なくはない。

1768年に発見された中米のトカゲは、バジリスクを思わせるトサカを持っていたため、バシリスク[注釈 8]と名付けられた。ただし、毒はなく、もちろん、見た者を殺す能力もない。

脚注

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注釈

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  1. ^ 古代・中世におけるヘビ(aspis、serpentus)は主としてヘビを指すが、ヘビとトカゲをあまり区別しない。
  2. ^ ディギトゥスは日本語で言う横指に近い単位で、約2cm。よって約24cm。
  3. ^ ヘビの立てる「シュー」という音。
  4. ^ 原文はvirus。毒の意味でもあるが、「空気を伝わって害する何か」と言ったような曖昧な概念であり、正確な現代語訳は難しい。
  5. ^ 訳された起源元年前後当時においてのバジリスクは、大プリニウスやセビリャのイシドールスが記述したところの“(ギリシャ・ローマから見て)外国に実在する(と考えられた)ヘビ”であった点には留意する必要がある。
  6. ^ ドラゴンもまた起源元年前後においては「ヘビの一種」でしかない。
  7. ^ 聖ゲオルギウスなどのドラゴン退治物語においてそれがバジリスクとされることがある
  8. ^ 和訳では濁点で書き分けられるが、英語ではどちらもbasilisk

出典

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  1. ^ アシモフ, アイザック 著、小隅黎・十河矜也 訳『アシモフ博士の世界』早川書房、1983年2月、244頁。ISBN 978-4-15-203221-8 
  2. ^ a b c d 世界幻想動物百科』 24ページ
  3. ^ a b c d 世界の怪物・神獣事典』 323ページ
  4. ^ a b 図説ヨーロッパ怪物文化誌事典』 178ページ
  5. ^ 新改訳聖書刊行会 訳『聖書 新改訳』(2版8刷)日本聖書刊行会、1994年4月20日、917頁。ISBN 4-264-01118-3 
  6. ^ Saxl, F. (1943). "The Ruthwell Cross" Journal of the Warburg and Courtauld Institutes, 6: 9-13.
  7. ^ "Bodleian Library MS. Douce 176", (9c, early). France
  8. ^ de Rossi, Giovanni Battista "Bullettino di archeologia cristiana" (1867). 5(1): 9-13.
  9. ^ Neckam, Alexander (arr. 1190). "De naturis rerum", Book 2 Cap. 153.
  10. ^ a b c d e f 世界の怪物・神獣事典』 324ページ
  11. ^ Neckam, Alexander (arr. 1190). "De naturis rerum", Book 1 Cap. 75.
  12. ^ a b 図説ヨーロッパ怪物文化誌事典』 179-180ページ
  13. ^ a b 図説ヨーロッパ怪物文化誌事典』 179ページ
  14. ^ RPG幻想事典』 133、144ページ

参考文献

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原典資料

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二次資料

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関連項目

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外部リンク

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