木版画
木版画(もくはんが)とは、木製の原版によって制作される凸版画。木版印刷の一種である[1]。実用品に限らず、美術用途にもなっている。英語では ウッドカット(woodcut)もしくは、シログラフ(xylograph) と言う。
歴史
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中国
編集現在知られている最古の木版画は、中国の敦煌の金剛般若経の扉絵で、唐の時代、咸通9年(866年)に製作されたものであろうといわれる。ただし、これは精緻な出来栄えであるので、実際の木版画の誕生は更に数百年も遡るものと考えられる。その後、中国、日本ともにそれぞれ製紙の発達をみ、木版技術も進歩したが、その大半は信仰に関係していた。中国では、主に版木に梨や棗が使用されていた。
日本
編集制作年代が分かっている世界最古の木版印刷物は、法隆寺などに分蔵されている「百万塔陀羅尼文」である[2]。天平宝字8年(764年)、称徳天皇が延命・除災のために書かれた4種の経典を、それぞれ木版で印刷し、高さ14cmほどの木製塔に納めたものである。その後も現在に至るまで、尊像の版画、あるいは、熊野牛王神符に代表されるような垂迹版画が摺り続けられて、参詣客に配られたり、尊像内に納められたりした。室町期には『融通念仏縁起絵巻』が肉筆とは別に、版画絵巻としても版行された(1391年。大念仏寺蔵)[3]。
慶長期、京都において、角倉素庵により、嵯峨本に初めて版画挿絵が入れられた。これを契機として、井原西鶴などの仮名草子の挿絵にも木版技術が使用されるようになる。その後、万治、寛文の頃になると、出版文化の中心が京から江戸に移り行き、金平本や各種評判記が出版され活況を呈した。そして、延宝期になって初めて浮世絵師、菱川師宣の名を記した墨摺絵による冊子の挿絵が現れ、ここから独立して鑑賞用の木版画による一枚絵が版行された。その後、丹絵、紅絵、漆絵、紅摺絵、錦絵と発展していった。
ヨーロッパ
編集ヨーロッパにおける古い木版画は、現存するものでは14世紀末にまで遡る。ヨーロッパにおいては、版木に梨、胡桃、あるいは柘植が使用され、東洋における桜、梨、棗とは異なっていた。彫刻刀は東洋のものと似たようなものが使われ、紙をのせ、刷毛またはタンポのようなもの(ぼろや毛を皮で包んだ用具)で擦ったようである。あとから着色するようになったのも、日本の初期版画と似ていた。しかし、グーテンベルクにより、1434年から1444年頃、印刷機が発明されると版木が金属活字と一緒に油性インクで摺られるようになり、刷毛で擦るのではなく、プレスという方法に変わる。そして、版木も銅板に置き換えられることにより、銅版画への道がひらけていった。この点は、東洋の場合とはっきり異なっていた。
木版画の技法
編集原版は、版木(はんぎ)、板木(はんぎ)、彫板(えりいた)、形木(かたぎ)、摺り形木(すりかたぎ)など[4]と呼び、主に彫刻刀で溝を彫り、凹凸をつけることによって作られる。
日本の木版画
編集伝統木版画
編集江戸時代に菱川師宣による墨摺絵から始まって丹絵、紅絵、漆絵、紅摺絵と発展、そして多色摺りとなる錦絵は鈴木春信らにより創始された。その後、東洲斎写楽などに引き継がれた浮世絵版画は、その大半は木版画であった。複数の版木を用い、多色摺り印刷を行うことができたが、版木が磨耗するなどの問題が生じた。自然と安定した画像を維持するため、印刷数には制限が出る。このため、現代の木版画にはシリアル番号などが割り振られ、版数管理を行っていることが多い。
現在でもこのような伝統的な技法を用いた木版画は、桜の無垢板が使用され、版木の厚さは、版の大きさにもよるが、反りを考慮して中判程度でも2- 3センチメートルほどもある。東京目白にあるアダチ伝統木版画保存財団や京都の竹中木版竹笹堂では浮世絵版画の復刻版を制作しているが、これらは喜多川歌麿や葛飾北斎などの原板から新しい版木に版下を彫り師が彫り、摺り師が色摺りをして、多くの作品を復刻、仕上げている。近代以降、新しい試みとしては現代の洋画家にオリジナルの版下を依頼し、それを復刻版同様に江戸時代からの技術で世に送り出している。
学校教育での扱い
編集日本では、『小学校学習指導要領図画工作編』において、彫刻刀の指導は小学校中学年からと規定されている。そのため、木版画の指導は児童の安全に考慮して小学4年生で初めて行われるのが普通である。版木は安価なベニヤ板を使うことが多く、児童が彫った場所を確認しやすいよう色を塗った物も市販されているが、後述の『彫り進み木版画』では何度もインクを洗ううちに表材が剥がれるという欠点がある。
木版画は、彫刻刀の彫り跡を生かしモノクロながら立体的な世界を描き出すのが、本来の持ち味である。実際優れた指導者のいる学校や地域では、児童生徒による優れた木版画が数々生み出されている。 しかし、現行の学習指導要領では図工にかけられる時間が少ない(4年生は年間60時間、5・6年生は同50時間)こともあり、かつてのように彫刻刀の細かい技法までは取り扱えなくなってきたのが実情である。そんな実態をカバーし、さらに児童に版画の楽しみを手軽に味わわせるために現在取り上げられている技法を以下に紹介する。
一版多色刷り木版画
編集版木に下書きをし、輪郭線のみを彫刻刀で彫り、彫り残した部分に求める色の水彩絵具を載せて刷り上げる手法である。水彩絵具は乾きやすいので少しずつ刷っていく必要があり、絵柄がズレるのを防ぐためにセロテープで版木と紙を固定して行う。
黒い紙を使えばステンドグラスのような仕上がりに出来、"輪郭線のみ彫ればいい"手軽さもあいまって、4年生の初歩段階で多く行われる手法である。
彩色木版画
編集輪郭線になる部分を残して彫り、黒の版画用インクをローラーで付け印刷する。インクが乾いた後、彫って白くなった部分に裏面から水彩絵具で彩色して仕上げるものである。上述一版多色刷り版画同様、4年生で多く行われる手法であり、専用の半透明な和紙が教材用として市販されている。
彫り進み木版画
編集『彫り進み版画』とも言う。1枚の版木を少しずつ彫っては異なる色のインクを載せて刷っていくことにより、多色刷りにしていく手法である。『版木に下書きをする』までは普通の一版多色刷りと同じであるが、後行程は下記のように異なる。
- まず、紙の色(普通は白)を残したい所を彫る。
- 1色めの色インクをローラーで版木に載せ、刷る。
- 版木についたインクを洗って落とし、水分を取る。
- 1色めの色を残したい所を彫る。
- 2色めの色インクを版木に載せ、2で刷った紙を載せ、刷る。
以後同様に「前の色を残したい所を彫り」「新しい色を載せて刷る」工程を繰り返し、作品を完成させる。刷るときは絵柄がずれないように、用紙を机に置き、インクを載せた版木を上から伏せ(普通の版画では版木の上に紙を伏せる)、軽くなじませてから裏返し、ばれんでこすって刷り取る。どれほど注意深く作業しても多少は絵柄がずれるのであるが、それによってできる陰影がかえって作品の味わいを深めてくれる。
日本の教育現場では、彫刻刀で広い面を彫っていかなければならないこと、計画的に作業を進めていかねばならないことなどから、小学5年生の授業用に薦められている手法である。
ギャラリー
編集-
彫刻刀で溝を彫る様子
参考文献
編集- 編集委員会編『ものづくりハンドブック』 第1巻、仮説社、1988年6月。ISBN 978-4-7735-0080-6。
- 編集委員会編『ものづくりハンドブック』 第3巻、仮説社、1994年8月。ISBN 978-4-7735-0111-7。
- 国際浮世絵学会, 編『浮世絵大辞典』東京堂出版、2008年。
- “仮説社”. (公式ウェブサイト). 仮説社. 2010年4月11日閲覧。
脚注
編集- 注釈
- 出典
関連項目
編集外部リンク
編集- “みんなの彫刻のじかん”. (公式ウェブサイト). 道刃物工業株式会社. 2010年4月11日閲覧。
- Hnizdovsky, Jacques. “How Prints are Made Technique” (英語). (official site). Jacques Hnizdovsky. 2010年4月11日閲覧。:ジャーク・ヒニズドフスキーの木版画テクニック。