些細なところに曖昧に突っ込む
⇒分裂勘違い君劇場 - 日本のソフトウェアビジネスが今後もずっとアメリカの足下にも及ばない理由
似たようなことは、ギリシャ哲学が生まれた背景にもなっています。
当時のギリシャは、さまざまな異質な民族・宗教が交錯する場所でした。
そういう場所で、異質な民族と共通了解を持とうとすると、
「裸の人間の根本的な本能、欲望、認知システム」に基づいた、根本原理を打ち立てる必要がありました。
そして、その共通了解を、特定の民族や文化に依存しない形で作り上げるためのユニバーサルプロトコルである「対話」という手法が必要となりました。
「対話」は、「メタ文化」の重要な構成要素なのです。
つうわけで、雑駁に、紀元前624年から紀元前322年なのだが。
というわけで、終わりはアレクサンドロスのチューターであるアリストテレスということ。つまり、アレクサンドロスはすでにギリシア哲学ではない。
⇒アレクサンドロス3世 - Wikipedia
なのだが、「さまざまな異質な民族・宗教が交錯」というかウニヴァーサルな地平が見えるのはむしろアレクサンドロス以降の世界。まあ、完全に以降と言えるわけでもない。
この時代、ギリシア的世界と後代から見えるのは、実はペルシャ世界であり、ヘレニズムというはヘラスにあらずペルシャなのだとだけいうとトンデモだろうけど。それと、アレクサンドロスというのはマケドニアであってその文化はギリシアではなかった。ここもそう言うとトンデモなのだが。
ギリシア世界というものがあり、それがペルシャに対峙していた。ヘロドトスでもそうだ。
が、そこでマケドニアからヘレニズムが興り世界をペルシャを元に作り出した。