色々と解説して頂きました。ありがとうございます。 私が寝てしまった後の続きはこちら。起きてれば良かった… 「遅滞行動とそれに関連するかもしれない辺りを纏めてみた」http://togetter.com/li/177353
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太平洋戦争における日本の輸送船の壊滅の原因について述べる前に、まず、次の二つの表を見ていただきたい。 最初の表は、太平洋戦争中における第1海上護衛隊(門司~シンガポールを担当)の護衛下にあった輸送船団とアメリカ潜水艦の会敵率と損害の推移である。(戦史叢書「海上護衛戦」防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 P237、P354、P463、ちなみに、1942年9月以前、1943年12月、1944年12月、1945年4月以降のデータは戦史叢書には無い。) 見ていただければ分かると思うが、ばらつきはあるが、会敵率と損害は、概ね比例している。会敵しない限り、撃沈されることはないのであるから、これは当然のことであろう。 また、時と共に会敵率が増加し、1944年8月、9月、10月、1945年2月、3月には、100%を越えている。出航したら必ずアメリカ潜水艦に見つかる訳である。これは、どう見ても異常な数
元アメリカ海軍 グレッグ・フォレスト: ハードタック作戦が行われたとき、私は、戦艦レンビルで甲板員をしていました。爆心地から10km離れた地点で、水中実験、大気圏実験を含め、一連の実験に立ち会いました。 爆心地一体には、駆逐艦と思われる船が3隻並んでいました。1隻目は爆心地から1.5km地点に、2隻目は3km地点に、3隻目は5km地点に置かれていました。爆発のとき、私たちは、爆心地に背を向け、両手で目を覆うように言われました。爆発の瞬間、1.5km地点に配置された船が、突然飛び上がりました。一瞬、船体の下に水平線が見えたんです。船は落下し、そのまま見えなくなりました。続いて3km地点においてあった船も飛び上がりましたが、1隻目ほど高くは上がりませんでした。落下して大きく揺れながら、沈んでいきました。爆発のあと浮いていたのは、5kmはなれた船だけでした。 実験は、その後も続きました。戦艦の大
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