境内の鳥居をくぐり、階段を登ると 楼門のような随神門。 随神門の奥に、さらに階段が続いており、 階段の左手には祈祷殿がある。 階段を登ると、正面に大きな拝殿。 拝殿の後方、垣の中に本殿があるのだが、 屋根しか見えなかった。 創祀年代は不詳。 社伝によると、金華山は、 神代の昔、大己貴命と少彦名命が国作りをしている時、 椿を作ろうと、金石を煉固めて作った山。 天平二十一年、丸子連等が相謀りて 山中より黄金を採取し、時の陸奥守百済敬福によって 黄金が朝廷に献上されたという。 その功績に拠って、丸子連は牡鹿連の姓を賜わったという。 また、大伴家持が産金を祝して、 すめらぎの御代栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く という長歌を作り、 黄金山と呼ばれるようになり、 後に金花山・金華山と呼ばれるようになったという。 丸子連等が黄金を掘った時、 山頂に国常立命・海童神・金山毘古命の三柱を 山腹に金山