ハフポスト日本版ニュースエディター。 公衆衛生、ジェンダー、調査報道が関心領域。[email protected]
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被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例の
一人の男がワシントンDCの地下鉄駅構内に立ってバイオリンを弾き始めた。 1月のある寒い朝だった。 彼はバッハの曲を6曲約45分間演奏した。 その時間帯はラッシュアワーで 約1000人がその駅を通った計算だ。 ほとんどの人たちは仕事に行くところだった。 3分を過ぎた所で 一人の中年の男性が 音楽家が演奏していることに気づいた。 彼は歩くペースを緩め、数秒間立ち止まったが、やがて自分の予定に急いで戻って行った。 1分後、バイオリニストは最初の1ドルのチップを受け取った。 一人の女性が箱にお金を投げ入れ、そして止まることなく歩き続けた。 数分後、壁にもたれて彼の音楽を聴く者がいたが、 その男性は腕時計を見てまた歩き始めた。 彼は明らかに仕事に遅れていた。 もっとも注意を払ったのは3歳の男の子だった。 彼の母親がその子を引っぱって急ごうとしたが その子は立ち止まってバイオリニストを見ていた。 最後
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