高保勗とは? わかりやすく解説

高保勗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
高保勗
荊南
第4代国主
王朝 荊南
在位期間 建隆元年8月27日 - 建隆3年11月20日
960年9月20日 - 962年12月19日
都城 江陵
姓・諱 高保勗
省躬
生年 同光2年(924年
没年 建隆3年11月20日
962年12月19日
文献王

高 保勗(こう ほうきょく)は、十国荊南の第4代国主。文献王高従誨の十男。

生涯

幼少時は病弱であったとされるが、高従誨の寵愛を受け、高従誨の気分が勝れない時にでも高保勗を見れば必ず微笑んだことより、臣下に万事休とも称され、故事の「万事休す」の元となった(高従誨が高保勗を溺愛し、それを見た民衆が嘆いたという説もあり)。

建隆元年(960年)、兄の貞懿王高保融が病没した際にその長男である高継沖が幼少であったこと、政治的には有能であったことから遺命によりその地位を継承し、より荊南節度使に任じられた。

ところが即位後は荒淫を極め、昼間より娼妓を官府に招き、若い士兵との色交を姫妾と共に観想したと史書にある。また建造物にも強い興味を示し、その造営に多額の出費をするなど朝政を省みなくなり、人臣の不満が高まった。

建隆3年(962年)に39歳で病死すると甥の高継沖が嗣位するが、その数カ月後に荊南は滅亡することとなり、万事休の通称が予兆したものとされた。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高保勗」の関連用語

1
56% |||||

2
50% |||||

3
34% |||||

4
18% |||||

5
16% |||||

高保勗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高保勗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高保勗 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS