【三人閑談】
江戸の版元
2025/01/08
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石村 将太(いしむら しょうた)
2000年慶應義塾大学環境情報学部卒業、2002年同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。
同年NHK入局。2025年大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」にチーフプロデューサーとして制作に携わる。 -
津田 眞弓(つだ まゆみ)
慶應義塾大学経済学部教授。
専門は日本古典文学、近世文学。江戸時代後期の戯作者・山東京山を始め、浮世絵、草双紙等を研究。著書に『山東京山──江戸絵本の匠』(新典社、2005)他。
蔦屋重三郎の時代をドラマで描く
津田 1月から江戸時代の出版人、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)(1750~1796、以下、蔦重)を主人公にしたNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」が始まりますね。私は蔦重の時代に活躍した浮世絵師で戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)(1761~1816)の弟・山東京山(さんとうきょうざん)(1769~1858)を研究していますので、江戸の出版人が主人公の大河ドラマが始まると聞いてとても楽しみにしています。
「べらぼう」に登場するかはわかりませんが、その京山は、曲亭馬琴(1767~1848)が「伊波伝毛乃記(いわでものき)」で中傷したことで、これまでドラマなどでは悪役として描かれてきました。
鈴木 そうですね。
津田 京山は初代蔦重の死後、19世紀初頭に戯作者になりました。おそらくドラマで見るであろう草双紙の「黄表紙」に続く「合巻(ごうかん)」という新しいスタイルが定着した頃です。それから90歳まで生涯現役、第一線で作品を出し続け、合巻最多、最長の作者となりました。兄の京伝のようにスターにはなりませんでしたが、統制を含め、時代に寄りそう作柄なので、私は京山の作品を通して、19世紀最初の半世紀の江戸の出版、特に文芸や浮世絵を追っています。
鈴木 私は蔦重の専門家ぶっていますが、実は研究はもう30年ぐらい前にやめていたのです。それがまた土俵に上がらされることとなりました。蔦重研究に区切りを付けて以後は蔦重も含め、江戸時代に本がどのように作られ流通し、どのような読者が手に取ったのか、こうしたことの意味や地域性、記録性といった小さなところから江戸の本の文化を捉えようとしてきました。
津田 蔦重の研究者と言えば鈴木さんです。本当にずっと学恩ありがたく、感謝している先生です。今日はとても楽しみにしてきました。
鈴木 江戸の出版文化は全体が見えてこない難しさがあります。細部にこだわるとリアルな部分が見えてきて、こうしたところが面白いのです。
石村 私はNHKでドラマ制作に携わっており、「べらぼう」にチーフプロデューサーの1人として関わっています。大河ドラマは局内のビッグプロジェクトで、最終回の放送まで足かけ複数年かけて取り組みます。鈴木さんには企画を発表した直後の段階から考証でご協力をいただいています。
実は蔦重が生きた江戸中期はおそらく大河ドラマで初めて取り上げる時代です。戦国時代や幕末に慣れている方にも新鮮な目で見ていただけるのではないかなと期待しています。町人文化が栄えた時代の中枢の部分ですので、市井の人たちの喜怒哀楽もドラマで描ければと。
津田 ドラマを楽しみに待っている1人としてお尋ねしたいのですが、ドラマでは蔦重が死ぬあたりまでの時代を扱うのでしょうか。
石村 まだ台本も途中なので最後がどうなるかというのは私たちもわからないのです。蔦屋重三郎の人生を描こうとしているので、彼の人生史を描くつもりで想定しています。
なぜ今蔦重か?
鈴木 しかし、どうして蔦重をドラマにする気になったのでしょうか。
石村 これは個人的な見解ですが、2025年は日本のラジオ放送開始から100年という節目でもあります。メディアというものをもう一度考えてみると、蔦重さんも本を出版するだけでなく、広告的な手法をミックスさせ、世の中を明るくした人物でした。そうしたメディア史的な観点からも見ていただくと面白いかもしれません。
戦国時代や幕末ものは主人公以外のエピソードも盛り込めてストーリーにボリュームが出せるのですが、江戸中期は本当に扱ったことがない歴史上の人物も多く、とくに町人は資料も少ないので、新鮮な視点でご覧いただけるのではないかと思います。
鈴木 大河ドラマの制作発表後に私も取材を受ける機会が増え、「なぜ蔦重か?」とよく訊かれるので困っていました。参考にします(笑)。
石村 蔦重が生きた時代とは、一方で田沼意次が幕政改革を進めた時代でもありました。当時と今の日本の社会は、行き詰まった世の中をどう改革していくか、という点で共通するところもある気がします。
津田 そうですね。たしかに蔦屋重三郎が活躍した田沼時代~寛政の改革の時代は、現代に通じるようなネタが豊富にあると思います。例えば、メディアの変革というか。現在、選挙の報道が、オールドメディアとSNSとの対立かと取り沙汰されているように、今までの常識が変わっていくということを実感しています。
こちらにある近刊『蔦屋重三郎』(平凡社新書)などを拝読すると、蔦重という人がいかに当時、それまでにない新しいメディアの使い方をした人だったかがわかります。
もっとも、黄表紙や狂歌など、蔦重が駆け上がっていく時代の戯作は、本当に楽しそうな本ばかりですが、一方で天明3(1783)年頃には浅間山の噴火のような天変地異や大飢饉が起きた時代でもありました。そこをあえて、笑い飛ばす時代でもありました。
出版統制の影響力とは
津田 田沼意次が失脚し松平定信の寛政の改革になると出版に対する規制や自粛が行われています。岡山大学で近世文学を研究されている山本秀樹氏が以前、寛政改革の出版統制は本当に町触(まちぶ)れされたのかという問題提起をされていました。実態はまだわからない部分があるのですが、少なくとも改革後、2年ほどは様々な版元が自粛したと見えます。戯作者の恋川春町(1744~89)に至ってはそれが死因となったかもしれないので、よほど大きな変革だったのだろうと思います。
私の研究対象の京山がデビューする頃、「文化露寇」、ロシアでは「フォヴォストフ事件」と呼ばれるロシアの蝦夷地襲撃が行われました。1806、7年のことです。この事件を受けて南豊(なんぽう)という講談師が実録体小説の『北海異談』を写本で流通させるのですが、政治向きのことに触れてはいけない禁令に触れ、機密文書も利用していたことで獄門になっています。
寛政から後は、天正時代以降の武将を描いてはいけないとか、華美な本はだめだとか江戸の出版が統制されていったので、蔦屋重三郎が駆け上がる頃の黄表紙などは、みんなが好きなことを書いて楽しむ、本当にキラキラしていた時代だったのだろうなと感じます。
鈴木 そうですね。寛政期以降は統制が強かったのは事実だと思います。ですが、規制の面ばかりを追いかけると縛りが強かった時代、というバイアスがかかってしまうようにも思うんです。
津田 そうですか?
鈴木 高校で習った日本史が刷り込まれているところはあると思います。「お触れが出た」と聞くと、厳しい時代だったと思ってしまうけれど、幕府と町人の間であらかじめ調整済みの上で出されている部分もあったと思います。
逆に町のほうから願い出てお触れを出してもらうといったこともあり、協調関係が働いていた。そういう意味では、江戸時代の出版はやはり自由だった気がします。
津田 まあ、黄表紙も、お正月の商品で年に1回出版されるぐらいですからね。
鈴木 そう。草紙類の出版なんて所詮町人の仕業じゃないですか。幕府が本気で取り締まるのは武家社会のほうだったので「お触れ」と言ってもたかが知れていると思うんです。
津田 確かに、江戸時代の出版はお触れで自粛しても、数年するとまた戻りますね。
鈴木 たくさんお触れが出ているのもむしろ本気で取り締まっていなかった証拠でしょう。幕府は警察的な機構を持っていなかったわけですから。草紙類の取り締まりはあくまでも“風俗”レベルのことだと思います。
政治体制とはあまり関わりのないところで、「町のことは町でちゃんとやりなさい」というのが町触れの目的だったのだろうと私は見ていますけどね。
津田 風俗って、つまるところ倹約・奢侈の自粛が多い気がします。歌舞伎についてもそうではないですか?
鈴木 お触れの文言はきついですから。ですが、それも決まりきった言い回しなので仕方がないのです。それもたぶん町役人レベルで発案された町触れですよ。気運に乗じて町をピリッと引き締めたい時に奉行所はそういう文言を使ったのではないかなと思います。
津田 なるほど。
鈴木 寛政3(1791)年の出版統制で山東京伝も蔦重も科(とが)を受けます。これは前年に、今でいう書店組合にあたる地本(ぢほん)問屋仲間が、風紀を乱す違法出版物を根絶するために自主管理の体制を敷こうとして願書を作った動きと連動しています。奉行所はその本気度を確かめるために引き締めを行った。つまり京伝も蔦重も見せしめだったのです。
津田 それほど蔦屋重三郎が地本問屋の中心的な役割を果たしていたということでしょうか。
鈴木 そう。一番目立っていたのが、版元の蔦重とその作者の1人だった京伝です。その2人を押さえたことで規制強化の効果は絶大でした。
石村 出版統制は当時、社会の規律を高める上で大事だったのですね。
鈴木 書物というのは国の背骨を成すものと考えられていたので、それを統括しないことには、学問上いろいろな異説が出てきて困ることになる。そこで統制を厳しくするわけですが、地本は町人社会のものですから基本的にそういうことには関わらないはずでした。
ところがその後、天保の改革(1831〜43年)が行われる時代になると、何だかうるさく言われるようになっていく。
津田 天保の改革では、草双紙でも、子どもと女性の教育のためになる本を作りなさいといったことが沙汰されますね。でも、それもまた4年ほど経つと潮目が戻っていくのですが。
鈴木 好色本はダメだといっても、あんなものがなくなるはずはないんです(笑)。
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鈴木 俊幸(すずき としゆき)
中央大学文学部教授。
専門は書籍文化誌。近著『蔦屋重三郎』(平凡社新書、2024)他、江戸の出版文化に関する著書多数。2025年大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では考証・指導を担当。