もう数カ月後に迫っている「2025年の崖」。これを乗り越えるため既に多くの企業が、レガシーシステムの見直しや再構築を進めている。しかし、実態は延命策やシステムの焼き直しも多く、本当に「本質的な課題解決」につながっているのか。疑問に思う方も少なくないだろう。そこでファーストリテイリングやRIZAPグループでCIOを歴任したISENSE 代表取締役社長の岡田 章二氏に2025年に向けた課題の本質と解決策について話を聞いた。
経済産業省が2018年の「DXレポート」の中で、「2025年の崖」に言及してから既に6年が経過した。2025年まで、わずか数カ月しかない。この崖を乗り越えるため数多くの企業が、レガシースシステムの見直しや再構築を進めている。しかしその渦中にある情報システム部門やDX担当部門の中には、「今の取り組みが本当に正解なのか」確信を持てずにいる人も多いのではないだろうか。
このような疑問に対してISENSEで代表取締役社長を務める岡田 章二氏は次のように指摘する。
「経済産業省は2025年の崖について、レガシーシステムの存在がDX推進を阻害する要因になると述べていますが、実はDXに限らず既存ビジネスすらも立ち行かなくなる危険性をはらんだ、極めて重要な問題だと言えます」
ISENSE 株式会社
代表取締役社長
岡田 章二氏
1985年 エンジニアとしてキャリアをスタート。「システムで成果を上げるには、業務とITの両方をやらなければいけない」と考え退社を決意。1993年 まだ黎明期のユニクロに入社。グローバル企業になるまでの24年間にわたり、業務改革とシステム化を推進。日本初SPAのビジネスモデルのシステムを構築したのちEC立ち上げやグローバル経営を行うための仕組みを構築。2016年RIZAPグループの役員に就任。2年半にわたって同社のデジタル化推進やジーンズメイトなど複数子会社の再生を担当。2019年情報テクノロジーを企業経営に活かすことを事業目的にISENSEを起業。現在に至る。
岡田氏は製造業でのシステムエンジニアを経て、1993年にまだ黎明期だったユニクロ(ファーストリテイリング)に入社。店舗オペレーションの組み立てから店舗運営マニュアルの作成、ECの立ち上げ、さらには日本初となるSPA(製造小売業)の基盤となる、サプライチェーンのシステム構築まで手掛けてきた人物だ。その後、ユニクロでの四半世紀にわたる経験を経営に生かしたいと考えRIZAPグループに転じ、事業取締役や事業再生などを担当。その後、2019年にISENSEを起業している。
「先日は大手食品メーカーがシステム障害で製品出荷できなくなったという事故が報道されましたが、これは氷山の一角に過ぎません。システム再構築が失敗した例だけでなく、レガシーシステムがそのまま残されたり、適切なマイグレーションやモダナイゼーションができなかったりしたことで、ビジネスに支障が生じるケースは、これから数多く出てくると思います」
そもそも2025年の崖で乗り越えるべき「レガシーシステムの本質的な問題」とは、いったい何なのか。岡田氏は、その根源は日本ならではの企業文化や慣習が、重厚長大な業務システムを生み出してしまったことにあると言う。
「日本の情報システム部門は長きにわたり、業務部門の下請け的な立ち位置で、業務部門が求めるものを一生懸命つくり続けてきました。業務現場の意見を大切にし、現場の仕事のやり方を守りながら、それをどう効率化していくのかに腐心してきたわけです。そのため本来はグローバルなベストプラクティスに業務を合わせるべきERPの導入でも、業務現場が求める機能や画面を実装するため、膨大なカスタマイズや追加開発を行ってきました。これが、今、行き詰まるようになっているのです」
この状態が長年にわたって続けられたのは、日本企業に終身雇用のカルチャーがあったことが大きい、と岡田氏は言う。そのカルチャーのない米国では、開発プロジェクトが終了したらプロジェクトチームも解散し、チームメンバーはそれぞれ別の会社のプロジェクトに改めて参加するケースが多く、その繰り返しでスキルを高めていく。そのため「自分がずっとそこにいる」ことを前提としない、標準的な仕組みをつくるのが一般的だ。
これに対して日本企業では、重厚長大なシステムの構築にかかわった情報システム部門やベンダーの担当者が、その後の面倒まで長期的に見るケースが多い。しかし、このような慣習を、これからも続けていくことは難しい。レガシー技術による基幹システム構築に参画したエンジニアは、若い人でも既に50歳代になっている。この最後の世代が定年を迎えれば、レガシーシステムをサポートする人材が一気に不足することは、目に見えている。これは経済産業省も指摘していることだ。
もちろんベテランエンジニアのスキルや知見を、若手に「承継する」というアプローチも考えられる。しかし現在の日本では、これも現実的ではないと岡田氏は指摘する。
「その理由は、終身雇用が実質的に崩壊したことで、日本における働き手の意識も大きく変わったからです。今の若手エンジニアは常に転職を視野に入れながら、自分の市場価値をどう高めていくかを考えています。そのため『既存のものを支えていく』といった地味な仕事よりも、『最先端のデジタル技術を積極的に活用する』仕事を選ぶようになっているのです。そして最先端のデジタル技術を身に着けたい若手は、事業会社よりもSIerやコンサルタントといったベンダー側を就職先として選ぶケースが増えています。その結果、事業会社のIT人材はさらに枯渇するようになっています」
もともと日本企業の情報システム部門はベンダーへの依存度が高く、社内でIT人材が育っていないことが大きな問題だと指摘されてきた。今後はこれが、さらに深刻になっていく可能性が高いようだ。これに加えてベンダーへの過度な依存が、脱レガシーシステムでも大きな問題を引き起こす要因になっていると、岡田氏は付け加える。
「既に数多くのメディア記事でも指摘されていますが、システム予算やプロジェクト期間が、計画当初よりも大幅に超過するケースが増えています。私自身が見ている範囲でも、このような状況に陥っているプロジェクトは少なくありません。その最大の理由は、重厚長大になった既存システムの文化を、そのまま引きずっているからです」
この問題の解決をベンダーに期待することは難しい。プロジェクトの予算が大きくなり、期間が長期化すれば、それがそのままベンダー側の収益につながるからだ。そのため問題を解決したいというモチベーションを持ちづらいのである。
その一方で、基幹業務やサプライチェーンといった「縁の下の力持ち」的なシステムに携わる人材の数は、ベンダーの中でも減少傾向にあると岡田氏は話す。最近では基幹システム更改プロジェクトに参画するベンダー側の主要メンバーが、全員50歳代というケースも珍しくないという。
人材が不足していけばベンダー側も必然的に、「より収益性の高い事業」にリソースを振り分けるようになるだろう。株主からも、これからの伸びが期待できないレガシーシステムの面倒や、そのマイグレーション後のメンテナンスから、手を引くように圧力が掛かる可能性がある。つまりこれまでのように、ベンダーに「甘え続けること」は難しくなっていくわけだ。
「事業会社は長らくベンダーからお客様として大切に扱われてきましたが、最近では見積依頼が断られるケースが増えています。つまりユーザー企業がベンダーを選ぶのではなく、ユーザー企業側が選ばれる時代が到来しつつあるのです」
それではこれらの問題を解決するには、どうすればいいのか。「まず会社全体を俯瞰できる人が、自社のビジネスがどうあるべきかを明確に定義し、そのためには何が問題なのか、どのような仕組みをつくるべきなのかを考え、その上で情報システムのあり方にも経営課題の1つとして取り組んでいく必要があります」と岡田氏は語る。
情報システム部門も「業務部門の下請け」や「御用聞き」の立場から脱却し、経営陣と頻繁にやり取りしながら、事業目標やKPIを達成するための「伴走者」や、会社のミッションやビジョンを達成するための「改革推進者」になっていく必要があるという。
その1つの成功事例として岡田氏が挙げるのが、あるコンビニ大手のケースだ。岡田氏はそのCIOと頻繁に会話をしながら同社のシステム変革を共に進めているが、ここで行われていることがまさに「経営イシューとして情報システムを考える」ことなのだという。
「実はそのCIOはITの専門家ではなく、もともとは業務部で活躍されてきた方です。だからこそ情報システムは経営課題なのだということをきちんと理解されているのだと思います。同社では、国内だけで多くの店舗を展開していますが、実際にこれらを支える巨大なシステムが、CIOのリードのもとでうまく回り始めています。またシステムの改善やつくり直しを継続的に行えるよう、コンビニ特有の領域に関しては、社内でのプロジェクト経験を伝承できる仕組みも考えられています。これによってベンダー依存のままではなし得ない、『無形資産』の蓄積を進めつつあるのです」
もちろんこのような取り組みを、一朝一夕のうちに実現することは難しい。岡田氏はこのような悩みに応えるためにISENSEを起業し、顧客企業のプロジェクトリーダーの立ち位置で、「経営」「組織」「仕組み」まで俯瞰した改革を推進。情報システムをつくる場合には、ベンダーの選定まで主導している。どこの傘下にも入っていない独立系企業である上、SIerやコンサルタントとは競合しない立ち位置であるからこそ、このようなことが可能になるのだという。最近では人材の育成にも着手。既に顧客企業の中で、約50人に上る次世代経営層や改革リーダーの人材を育成している。
もちろんレガシーシステムの問題を解消していくには、マイグレーションやモダナイゼーションによって、新たなIT基盤をつくり上げていくことも重要な課題になる。これによって、運用コストの高止まりや、旧来技術を熟知したエンジニアの不足といった問題を解決しやすくなるからだ。
またクラウドライクなソリューションを導入すれば、ハードウエア購入や保守にかかる費用も削減でき、スケーラビリティも確保しやすくなる。さらに最新技術を導入することで、システムパフォーマンスの大幅な向上や、ユーザー体験の改善、セキュリティー強化といった恩恵を受けることもできる。
つまり古い技術を使い続けることで生じる「技術的な負債」を解消することで、様々なメリットが生まれてくるのだ。ただしその際にも、注意すべきポイントがある。それは、既存システムをそのままモダナイズしても、レガシーシステムの本質的な問題は解決しないということだ。
「いま多くの企業が取り組んでいることは、私からは『新たなレガシーシステムをつくっている』ように見えます。このままでは今後も高額な費用を払い続けることになり、結局は将来に向けた負債を抱えるだけという結果になりかねません。それを回避するために重要なのが、新しい技術に精通した専門家の知見をうまく取り込んでいくと共に、ビジネス全体を俯瞰した上で、できるだけシンプルなものをつくっていくことです。そのために最近では、業務部門で計画に携わる方々が自ら業務フローを書く、ということを提唱しています。これによって会社全体のビジネスモデルを俯瞰する力をつけ、ビジネス改革のプロフェッショナルとしてデジタル技術のプロフェッショナルと対話することで、ビジネス目標に適したシステムを見出すことが容易になるからです」
さらに「シンプル化とは『捨て去ること』でもある」と岡田氏は指摘する。何を「つくらない」のか、何を「残さない」のかを、システム機能はもちろんのことデータに関しても、きちんと考え抜くことが欠かせないという。
当然ながら情報システム部門には、「伴走者」や「改革推進役」として、このような取り組みを支援することが求められる。もちろん経営者も、外部の専門家に任せればいいという発想から脱却しなければならない。そしてそのためには、ベンダーとは立ち位置が異なる「相談役」を確保することも重要だと指摘する。
2025年の崖をうまく乗り越えていくには、これまでの「日本の常識」から脱却する必要がある。自社のビジネスのあるべき姿を俯瞰し、それに必要なシンプルなシステムを見出すこと。決して簡単なことではないが、経営の重要テーマとして一刻も早く取り組むべきだと言えるだろう。