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もじゃは怒りのデスロードを走る

もじゃ扮する廃品回収車の運転手は、どこか性別すら超越したような、男性でも女性でもない何者かである。たしかにひげは生えているのだが、粗野なところはなく、やけに細かい部分に気がつく人物でもある。男性、女性というより、ひとりの人間がそこにいる、という感じがするのだ。運転手は、トラックに乗ってさまざまなものを回収している。壊れたテレビ。古い冷蔵庫やバイク。それだけならまだしも、ときおり動物や人間までも回収してしまうのである。回収車を呼び止めた男性は、要らなくなった家電のついでに「奥さん」を廃品に出したり、犬や子ども(「ワンちゃん」「坊ちゃん」)を引き取ってもらったりする。きっと飽きてしまったのだろう。運転手はそれを快く引き取り、「大切にするよ」と言ってその場を去っていく。その声には、やけに強い意思を感じる。

私はこのような強い意思を持つトラック運転手を、過去にも見たことがあった。『マッドマックス 怒りのデスロード』(2015)で、巨大なトラックを運転していた女性、フュリオサ(シャーリーズ・セロン)である。男社会に痛めつけられ、利用され尽くした女性たちをトラックに乗せて、地の果てまで逃走しようと試みたのがフュリオサだった。命からがら逃げ出した女性は、追ってきた男たちに殺されてしまうのではないかと恐怖に震えていた。一方、廃品回収に出された「奥さん」をていねいに検分した運転手は、その表情から「ずっと何かに怯えてるね」とすぐに察知する。いったい「奥さん」には何があったのか。さらには「ワンちゃん」と「坊ちゃん」を引き取った運転手は、子どもを抱え上げると「軽いなあ、これからはたくさんごはん食べような」と声をかけてトラックの荷台に載せる。これもずいぶん意味深なせりふである。かくして男社会が不要としたもの、家父長制からこぼれ落ちたものたちが、トラックに集まってきた。

あるいは「奥さん」は、夫からの日常的なドメスティック・バイオレンスに苦しんでいたのではないか。「坊ちゃん」は、まともな食事も与えられないほどにネグレクトされていたかもしれない。こうしたモチーフが、夜7時から始まる地上波のテレビ番組で、コントとして放送されていることに、私は戦慄に近いものを感じたのである。ここにはもじゃのまぎれもない意思がある。コントのなかにこうしたモチーフを忍び込ませて、観客を鋭く刺してきたような気がしたのだ。「型が古い」というワードの繰り返しでコントとしてユーモラスに成立させつつ(観客には非常にウケていた)、全体を通して、はっきりと家父長制にノーをつきつけたように、私には見えた。女性芸人が芸を披露する「The W」という場所にふさわしい、男性芸人には表現できないような世界を展開させた気がしたのだ。「M-1」は楽しいが、勝敗の基準や場の雰囲気がどうにも男性社会に寄りすぎているし、乱暴に感じることもある。なにより「M-1」でDVと育児放棄を題材にした漫才をしても決してウケないだろう。そうしたきわどい部分に踏み込みつつ、笑いとして成立させたもじゃのバランス感覚に、私は興奮を覚えていた。

運転手が「ずっと何かに怯えてるね」と言った瞬間、お笑いの賞レースはここまで幅広い表現ができるものなのかと胸を打たれたし、とてつもなく爽快だった。だからこそ「The W」には存在意義があるし、女性芸人の表現にはスリリングな何かが潜んでいるように思ったのである。そしてこの廃品回収のコントは、これから先の希望とも不安ともとれるような、強い西日に照らされる運転手の表情で終わる。トラックに「奥さん」「ワンちゃん」「坊ちゃん」を乗せてトラックを走らせる運転手は、DVやネグレクト、家父長制から逃げていくのであり、その決然とした姿はどこかフュリオサのように見えて、だからきっと、あのトラックが走っているのは怒りのデスロFury Roadードなのだと私は思った。

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