第55代内閣総理大臣・石橋湛山。1884年生まれ。『東洋経済新報』の記者として反戦や小日本主義を主張。1946年に吉田茂内閣の大蔵大臣となるも、翌年GHQによって公職追放される。1956年、第55代内閣総理大臣に。病気で退任後も、精力的にソ連や中国を訪問した。1973年、88歳で死去旧統一教会との関係や裏金問題で国民の強い批判を浴び、先の衆院選では15年ぶりに過半数割れに陥った自公政権。厳しい状況での船出を強いられた石破