◆ 第六章 王太子はお飾り寵妃を溺愛する(2)
(でも、もしかすると待ちぼうけしているかも?)
ブルーノとまだ婚約者同士としてまだ上手くいっているころ、一度だけベアトリスが約束の時間を勘違いして待ち合わせをすっぽかすという非礼をしたことがある。
そのとき、ブルーノは何時間も根気強くベアトリスを待ち、何かあったのではないかと心配してベアトリスの家に遣いまで出してきた。そういう気遣いができる男性だっただけに、あの婚約破棄は本当にベアトリスにとって衝撃だったのだ。
そのときと今回とではだいぶ事情も違うが、待っていたとしても不思議ではない。
(仕方がないわね)
ベアトリスはすっくと立ちあがる。
「行くの?」
机越しに手紙をのぞき込んでいたサミュエルがベアトリスを見る。
「はい。もういらっしゃらないとは思いますが、念のためです」
ベアトリスは風よけのショールを肩に掛けると、離宮を出た。
離宮から指定の庭園にあるガゼボまでは十分ほどだ。
(さすがに、もういないか)
ガゼボには人影がなさそうに見えた。ベアトリスはガゼボまで行き確認したが、やはり人はいない。
ふと見上げると、空が茜色に染まり始めていた。
(綺麗……)
ベアトリスは空を見上げ、目を細める。
ブルーノには会えなかったけれど、散歩に来たと思えば悪くない。夕焼けに見惚れていると、かさっと背後から足音がした。
「ベアトリス」
「え?」
ベアトリスは振り返る。
「ブルーノ様」
そこには、元婚約者のブルーノがいた。
ローラのことで心労がたたったのだろうか。その目元にはくまが見える。
「突然、どうされたのですか?」
ベアトリスは尋ねる。
突然ブルーノから手紙を貰ってここまで来たものの、何の話なのかさっぱり予想が付かない。
「あん……ま……い」
「え?」
ブルーノの声が小さく、よく聞き取れなかった。
ベアトリスは耳元に手を当て、聞き返す。
「あんなことをして、済まなかった」
「あんなこと?」
「王宮舞踏会で──」
ブルーノはそれだけ言うと、唇を噛みしめて拳を握る。
「ローラが言っていることを真に受けてしまって──。今回の件で、父上にひどく怒られた。事実をしっかり確認せずに、とんでもないことをしでかしたと」
ふたりの間に沈黙が流れる。
その空気を破ったのは、ベアトリスのほうだった。
「今更ですわ」
突き放した言い方に、ブルーノはびくっと肩を揺らす。
「『謝ってくださってありがとう。悪いのはランス様、それにローラです。ブルーノ様はお気になさらないで』とでも言うかと思いましたか? わたくしがあのあと、どんな目に遭ったと思います? そんな一言で済ませられると?」
ベアトリスは悲しげに首を横に振る。
その言葉を、あの婚約破棄の翌日に言ってくれたのならばまた状況が違ったかもしれない。けれど、今更そんなことを言われても遅すぎる。
『ベアトリス=コーベットは婚約者の気持ちを奪われた嫉妬に駆られて友人を虐め、それが婚約者本人にばれて婚約破棄された惨めな性悪令嬢である』という噂が流れたせいでベアトリスは婚約者捜しが難航し、王太子の仮初め寵妃というおかしな役目を引き受けることになった。
挙げ句の果てに、先日は殺されかけたのだ。